見えない敵と戦う少年

先日、信号待ちをしていた。
隣で小学生1、2年生とおぼしき少年がいた。
少年はジャンプを繰り返し、たまにパンチを繰り出していた。
何と闘っているのだ?と見ていたところ、どうやら車の影と闘っていたようだ。
車の影をジャンプで交わして、その影に攻撃していた。
見えない敵と戦う少年がいる、と思った。
この話は別段、少年に限らなかったりする。実は「見えない敵と戦う人」は少なからずいる。
たとえばジャーナリストの知人は「真実を暴く!」という信念で戦地にも向かう。そこにいるのは、局地的には「政府」「隣国」などがあるかもしれないけれど、大きなところでは「見えない敵」と闘っている。
政治や国営に携わる知人もそのような人が多いかもしれない。
ブログなどのWebメディアでも「おうおう、そんな喧嘩腰にならんでも」と思うほど牙をむきだし闘う人たちがいる。時には不正であったり、邪悪(evil)であったり、あるいは偏りであったりするけれど、いずれにせよ、長期的には何かしら「巨大な見えない敵」と闘っていたりする。
そんなことを考えながら交差点を渡って、道を折れた。少し進んだ。
その道では、男性と女性が2人歩いていた。男性はスタスタと道を渡った。その道は2車線の2方面で信号機のない場所だから、少しタイミングが難しい。
女性はそんな折「渡れないよ」と男性に声をかけて、男性は中央分離帯で止まっていた。
道を渡るということの是非はともかくとして、そこで「渡ろうとチャレンジ」するかどうかが1つの闘いでないかとふと思った。
いわば「何かへの挑戦」が1つの見えない敵との戦いになるのかもしれない、と思う。
以前、「人生は差分だ」と書いたことがあるのだけれど、もしかしたら、人生は「挑戦の総和」で決まるのかもしらんな、とふと思った。

時には電車の中で大口で

先週、夜。23時ごろ
打ち合わせの帰りに電車に乗っていた。大江戸線の六本木。
大江戸線は他の車両よりも空いていることが多い。それでも、この時間はそこそこ混んでいて。
ふと、妙齢の女性が座っているのが目に付いた。その容姿ゆえではなく「上に大口を空けて、爆睡していた」からだった。まぁ、その端麗な容姿とのコントラストが否応にも目を引いたのは否めないけれど。
周りの人は特に気にせず横に座っていたアフリカ系の人はiPhoneで熱心に何かを読んでいた。思わず中島みゆきのファイトが脳裏に浮かんだ。
一時の安寧とオリエンタルな地下鉄だった。
先週、夜。26時頃。
走ってこよう、と思ってマンションの部屋から1階へ向かった。
マンションの郵便受けを2週間くらい空けてないな、と思いながら、エレベータがN階で止まった。
エレベータ内から透明ガラスを通じて、N階を見ると、女性の部屋から男性が出てきていた。女性は部屋の中で、扉を開けたのが男性だった。
エレベーターのドアが空いて、女性が男性に怒っているのが聞こえた。男性は女性と目を合わせず下を向いていた。
ドアを空けながら私は「乗りますか?」と聞いた。男性が2秒ほど考えてから「すいません。先にいってください」と男性は言った。
平日丑三つ時の論争と慈しみのN階だった。
先週、夜。23時頃。
大学の同窓会的な何かで寄ったグローバルダイニング系の飲食店@恵比寿
トイレに立った私はテーブルの間を抜けて。ふと、女性が1人で食事をしていた。
周りは誕生日の祝いやカクテルショーで賑わしい中、そのテーブルにはシーザサラダとファフィータ、バッファローウィングにガカモレがところ狭しと並んでいた。
1人で食事する人は珍しくない「コンクリートジャングル」だけど、その量の多さが目について。
栄養素とカロリー以外の何かを腹に収めるように、その人は食事をしていた。
喧噪と哀愁が同席するテーブルだった。
都会の夜はドラマが溢れているな、と思う。嫌いではない。私が勝手にドラマを作り上げているだけかもしれないけれど。

思いどおりに働く!―20代の新世代型仕事スタイル

思いどおりに働く!―20代の新世代型仕事スタイル
宮脇 淳
エヌティティ出版
売り上げランキング: 12643

上記の本に取り上げて頂きました。
以下のような内容。

20代の注目すべきビジネスパーソン10人の取材をもとに、これからの働き方のヒ
ントや最新のウェブツールを紹介する実践的な仕事本。

ちょっとした仕事術的なものをお話いたしました。
しかし20代も最後の年になってしまつた。あまり年齢は気にしない生き物なので、便宜的に意識しているフリをすることになるのだけれど。
さて本書、他の回答者の方々がユニークな方なので、是非、お手にとって頂ければ幸甚です。
そして何より宮脇さんありがとうございました!

瀬谷ルミ子さん

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瀬谷ルミ子さんという方がいらっしゃいます。
面識は全くないのですが、以前メディアで拝見して感銘を受け「負けない!」と思いブログTwitterなどをよく拝見しています(文章も面白い)。
公式プロフィールをブログから引用させて頂くと

中央大学総合政策学部→英ブラッドフォード大学紛争解決学修士号取得。国連PKO、外務省、NGOなどで勤務。第二回秋野豊賞受賞。
ルワンダ、アフガニスタン、シエラレオネ、コートジボワール等で勤務。専門は紛争後の復興、平和構築、治安改善(SSR)、兵士の武装解除・動員解除・社会再統合(DDR)など。
アフリカのPKOセンターで軍人、警察、文民の訓練カリキュラム立案や講師も務める。

と書かれているように、国際社会における内戦や戦争後の地域に貢献されている方です。
上記で強調した「DDR」が専門で、「DDR」とは、Disarmament, Demobilization, and Reintegrationの略で「武装解除」「動員解除」「社会復帰」の三つのプログラムを総称。
私自身、上記にも記載されているような「ルワンダ」や「アフガニスタン」「ケニア」など海外の戦地をまわったからかもしれませんが、この辺りの厄介さは想像を絶するものだとは理解できるので、単純に感銘を受けるわけです。
「武力を解除させる(その人たちにとっての戦争を終わらせる)」というのは、「戦争を始める」ことの数倍~数十倍は大変なんではなかろうか。武力を解除することにって、自分は殺されるかもしれない。あるいは仕事がなくなるかもしれない。何より習慣を放棄することになる。と「戦士たち」は考えます。
それを「武力を使わず納得させる」わけで(ソフトパワーも含め)、何たるタフネゴシエーター
そして年齢は関係ないかもしれませんが、32歳の若さで・・・。
過去にはニューズウィークの「2009年 世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれ、アフガニスタンのカルザイ大統領から「ミスDDR」とも呼ばれています。
周りは国際政治に興味ある人も多かった気がするので、何となく共有でした。もう業界では著名人かもしれませんが。

↑ 最近はYouTubeにチャンネルも公開されたそうです。
著作は以下。

武装解除  -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)
伊勢崎 賢治
講談社
売り上げランキング: 5189
おすすめ度の平均: 5.0

5 紛争地域との関わり方
3 国際貢献とは何かを考えさせられる
5 事実は冒険小説よりすごい
5 平和のコスト
5 一気に読んでしまいました

国際協力の現場から―開発にたずさわる若き専門家たち (岩波ジュニア新書)
岩波書店
売り上げランキング: 88852
おすすめ度の平均: 3.5

4 若手の国際協力専門家紹介
4 日本女性の活躍
3 若き専門家たちの挑戦

以下もご参考まで。
組織の枠を超えて輝く個人の力 | キャリワカ:仕事術 | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

【関係者注目】遠藤ちひろ御大がいよいよ!

e.jpg
あの遠藤さんが、いよいよ東京都多摩市長選に出馬されましたよ(現:多摩青年会議所副理事長)!!!
参考:遠藤千尋氏が出馬表明 多摩市長選 – MSN産経ニュース
こりゃもう万難排してチャレンジを応援するしかないでせう。
ご関係者の方々は当然ながら、生きとし生けるものは是非、以下をご覧頂ければと。
» 多摩市長立候補者 遠藤ちひろオフィシャルホームページ ~多摩の明日を考える会~
寄付!
そして、寄付ですよ寄付。サイトから献金も出来ます。当然、原田も十二指腸を売って2億ガバスくらい献金しましたので、是非、ご興味ある方は以下からどうぞ。
» http://www.e-chihiro.com/donation.html
■遠藤さんの肖像
遠藤さんと初めて合ったのは、2002年くらいの早稲田学園祭だった気がします(参考
そこから朝生やら、ユニストやら、長野の選挙やら、謎のテレビ番組などで色々楽しい時間を頂きました。そして、学費のために会社を創業して経営をしていた遠藤さんには色々学ばせてもらいました。
遠藤さんのおもしろエピソードはキリがないのですが、色々支障があるといけないので自重いたします。

走る男

毎週、決まった曜日に走る人がいた。
そして、毎回きっかり同じ距離を走る。5キロ程度を30分くらいで流す。距離はわからない。コースが一定、というだけだ。
かれこれ10年近くになる。
昔はタイムを付けていた。すると風邪を引いている時でも、体調がいい時でも時間は3分以内の違いに止まった。雨であろうと、真夏であろうと3分以内の誤差だった。
ある習慣化された出来事というのは、その行為者のコンディションや環境に左右されず、愚直に邁進していくものだ、という哲学を彼はひっそりと心に閉まった。きっとそれを口に出して言えば、反証や例外が出されて、彼が持つささやかな走る哲学は少し濁ったものになってしまう。
自分の哲学というのは信じるために存在するものだ。それは一種の信仰にも近い。学問としての哲学は議論によって洗練を身にまとうが個人の哲学は真冬の指先を温めるアンカのように、ひっそりと存在すべきものなのだ。
その曜日に彼は走ることを欠かすことはなかった。雨の日は音楽再生機をタオルに巻いて走った。スニーカーは3度代わったけれど、それも彼のタイムを変えることはなかった。
走り終えると、定期的なエクササイズを行う。20パターンのストレッチと腕立て・腹筋・背筋の20回を3セット。きっかり行う。これを終えないと走るという行事は終わったことにならない。正月におみくじが欠かせないように、走るという行為には適切なエクササイズが欠かせないのだ、というのも彼の信仰の1つだった。
「痩せてるね」と言われることがあるかもしれない。でも彼は「走っているから」とは言わない。「そう?」と返す。走るという行為は彼の聖なる儀式であり、それと体系や体調と切り離して考えているからだ。
雨の日やクリスマスに誰かが言うかもしれない。
「雨の日くらい休んで、明日、走れば?」と。
あるいは「クリスマスなんだから振り返れば」と。
「そうね」と彼は応えるかもしれない。でも、黙って走りに行く。いつも通り、音楽再生機を右手に、左手に鍵を。
「そういうことじゃない」と彼は自分に呟く。「この曜日に走る」と決めたら、走れる限りは走ろうと思う。もちろん天災や外部要因によっては走れないこともあるかもしれない。でも、走れるうちは走るのだ、と決めている。
「やるところまでやって、だめだったらその時考える」という別の信仰を彼は持っていた。とりあえず走れるなら走るのだ。
もっともその曜日に海外に居たり、仕事の都合でどうしても走れない時は、すぱっと彼は走るのを辞める。ただ、走れるならば、とことん走るのだ。
コーヒーを飲む時も彼は信条を持っていた。
1杯目は、入れ立てのコーヒーをブラックで飲むというものだ。ポイントは「入れ立て」という点だ。
それは、どれだけ熱くても入って1分以内に彼はそれに口をつける。「アツッ」と決まった台詞のように彼は呟く。
しかし、そろそろと彼は熱いコーヒーを口に運ぶ。
「さましてのんだら」と誰かが言うかもしれない。でも、彼は「そういうことじゃない」と独りごちる。これはもはや、コーヒーとの対峙なのだ。コーヒーが熱くあるならば、彼はそれを受け入れようと思う。
熱がるのはこちらの都合で、コーヒーが熱いのは当たり前だ、と思う。
「ミルクを入れたら」という人もいるかもしれない。
「そうじゃないんだな」と思う。ただ「できだけのコーヒーを熱いうちに飲む」という哲学は、多分そういうことではないのだ。
※この物語はフィクションであり、かつ寓話であろうとする話です。

内在する戦争

以下のニュースを見かけた。
» 「あけおめ!」イランがイスラエルに新年挨拶メールを誤送信 イスラエル側も返信「ことよろ!」:アルファルファモザイク
いい話だ、と「後で」思ったが、その前に「そういうこともあるのか」と思った。
というのも、イスラエルとイランだからだ。説明するまでもなく、深い深い溝を持った国同士。幾多の血が流れてきた歴史を持つ国。
戦争というのは、現代の日本においては、「海の向こうの話」という意識が強いから、どうしても希薄になるのだけれど、戦場は現代にも存在する。
私の拙い経験でも、やはり中央アジアや東アフリカ、イスラエルなどでは戦争があった。それが戦争という言葉で表現できるものか、あるいは、内戦という言葉で隠匿されているものかなどの違いはあれ。
血は止めどなく流れるし、死というものが日常にある。
蛇足だが、以下の村上龍氏の「海の向こうで戦争が始まる」というタイトルは秀逸だ。村上龍氏はネーミングセンスが素晴らしい。

海の向こうで戦争が始まる
村上 龍
講談社
売り上げランキング: 17422
おすすめ度の平均: 4.5

5 全てが淡々と並列
5 神経にピリピリくる描写にしびれる
4 技巧的には作者のキャリア・ハイか。
2 ビジョン
5 水墨画と詩人

そして、戦争という言葉で思い出す。

経営とは戦争だよ

という言葉。これは古来から言われているし、また、何人かの先輩からも耳にする。
実際、これは、戦争の定義をどうとらえるかによるけれど、戦は戦であろう。
ただ、それよりも問題は、今、日本に内在する見えない戦争である。
上記の「経営は戦争だ」という理論を国に当てはめてみれば、当然「経済戦争」という現実は、不適当な例えではない。
国を挙げて、経済の総力戦で各国が争っている。
戦争といえば、武器があり、主権同士の闘いがあり、または血が流れる。そのようなイメージとは違うから、気づきにくいけれども、日常で、国同士の戦いは常に生まれ、そしてどんどん進捗していく。
帝国主義時代のように領土をとられることはないけれど、お金を生命線ととらえるならば、そのお金が外に出て行き、また、戦力のKPIである頭数が減っているという現状は、戦争のメタファーから考えるにやぶさかではない。
ただ、これは今更言うまでもないことだし、日本の栄光の10年からその戦争問題は繰り返し議論されてきた(車の貿易戦争やタイムズスクエアを筆頭とする企業の買収戦争等など)。
しかし、ポイントは「そのような経済戦争は問題として正しいのか?」という思いである。
個人的に、国同士の闘いの正当性がいまいちわからない。政治学を学んだ1人として国の存在価値や、その「国民の利益を最大化するという理念」から考えれば、国をよりどころとする人々が、その帰属意識を高揚させるのは理にもかなったことである。
しかし、同時に国というのは、生まれながらに付与されてしまう所与条件であり、そのような先天的な条件をベースに戦をするというのは、なんだかフェアではないような気がする。
少なくとも個人のイデオロギーが国の総論でない以上、いくら前提条件が民主主義の制度によって国の総意が国民の総意と同義されていても、実質問題としては、建前でしかない。つまり、ベストプラクティスとしては、「人は自分のイデオロギーに沿って、自分の帰属を決定できるべき」という選択肢がある以上、上記の建前は、ベストエフォートでしかない。
つまり、「たまたま日本に生まれた」からといって、その国をベースに、経済戦争を闘うというよりどころがイマイチわからない。
スポーツを考えてみると、「チーム」は、自分の意思で決めることができるものであり(大枠は)、生まれながらにチームに所属するものではない。
とかくで、私は「国をつくる」という夢を叫ぶに至っている(端的にいえば、後天的に選択できる国籍による、帰属意識のポートフォリオ分散)。同時に私のライフワークであるブランド国家論も上記の経済戦争の問題をヘッジする方法の1つとしてしているに至る。まぁこれも別問題。これらは理論であって、現実問題はそれはそれとして別で考えなければいけない。
いま、我々が生きるのは現実であり、建前や理論の世界ではないからだ。
そこで、話を戻すと、「経済戦争が起こっている」という点は事実で正しいとする。そして、それの是非を議論するのは、別問題なので(価値観の闘争は神々の闘いに回帰するといったヴェーバー先生の箴言の通りに)、それも所与条件とする。
その上で出すべき問いは「戦争の相手は他の国なのか」あるいは「それ以外なのか?」という点である。
つまり、日本が経済で勝負しているのは、仮想敵国としては中国やアメリカをベンチマークしているような気がするけれど、それは正しいのか?という点である。もちろんこの前提に異論もあるだろうけど、大枠はそのような流れのような気がする。この辺りになってくるとマクロ経済学なので私の専門領域を超えてしまうのでツッコまれどころが増えるのだけれど、確か、国際経済は必ずしもトレードオフの力学ではなかった記憶があるが、そうならば、必ずしも敵国を想定する必要はないはずで、いわば奪いあうべきパイはかつては領土だったゆえに、排他性を持っていたけれど、経済や豊かさ、幸せなどは、不思議なことに、排他性を持っていない。もちろんある程度の排他性のメカニズムは働くけれど、それはもはや心理学の分野なので、ブータンのGNHを参考にすべし、という言葉で逃げる。
元来、アメリカは、仮想敵国をベースに成長してきた。たとえば、「フロンティア」であったり、「石油」であったり、あるいは「経済戦争」であったりした。またハリウッド映画でお約束の宇宙人や災害も、「外敵」を作ることに力を入れてきた。でないと、アメリカという人種のサラダボールはまとまらないからだ。そして、昨今は「エコ」を掲げ、「そのようなもの」に対する取り組みを国家プロジェクトで行うことで国民の共同幻想を作り出してきたし、また、それによる経済進捗を生んできた。
こんな馬車馬のような国は敵を必要とするのはわかるのだけれど、日本は、従来、農業で自分の食い物を育ててきた民族だ。ゆえに、必ずしも、戦争相手を外部に設定する必要はないのではなかろうか。もちろん、競争や相対化は学習の基本的なインセンティブのため、設定した方がイノベーションは生まれやすいから、それを否定するつもりはないけれど、もっと別の座標軸を持った方が日本らしいのではないか、と思う。
思い切り、脱線するけれど、昔から気になっているのが「お金の源泉とは何か?」という問題がある。
つまり、古来は「食べ物」がお金の変わりだった。それに貯蔵の技術が生まれ、そして、代替性として貨幣が生まれた。ここまではイメージしやすい。お金の源泉とは、農業である。
しかし、昨今は、食事をするだけならば、かなり低いコストで生きていくことができる。そう考えると、お金の源泉は農業ではない。
つまり、何を言いたいかというと、今、バイトを探せば何かはみつかるだろう(選ばなければ)。それで800円だかをもらうことはできるだろう。しかし、その800円の仕事を10億人がしたい、とすれば、その800円の仕事はなくなる。
つまり、800円の仕事の総和は限られている。では、800円の仕事の総和を増やすにはどうしたら良いか?800円の仕事をより増やすしかない。それをするには、資本家からの視点でみれば、800円の投資が800円以上のリターンを生む公式が成り立っていればよい。
よって、800円の仕事を1増やすには、800円以上の仕事を1増やす必要がある(もちろん、赤字を出す場合もあるから、実際問題は違う時もあるが、原則論はこうでないと経済が成り立たない。経済は合理的人間を前提に考える学問だ!)。
そうすると、800円以上の仕事1を増やすには・・・とエンドレスでそれは続く。よって、経済は、常に膨張を求める(ないし、労働人口の減少を必要とする)。エントロピー増大の法則みたいだ。まぁフーバーダムから言われていることだけど。
そう考えると、経済の源泉というのは「消費を創り出すこと」になるわけで、消費ってのは、競争力なんだっけ?(つまり、それは武器の代替品となるものなんだっけ?)という話に行き着く。
よって、ここでも経済戦争の問題って、何すれば誰が嬉しいの?という哲学的な問題にたどり着く。それは別段、「経済成長って善なんだっけ?アフリカの民族みたいな暮らしをしていた方がよかったんじゃね?」という牧歌的な問いかけではなく、競争力のコアって何だったけ?という素朴な疑問である。
企業でいうとコアコンピタンスだのの言葉で言われるコアな部分は定められているけれど、国レベルではそのようなものは設定されていない(国のグランドデザイン云々はあるものの、明文化はされていないし、原則的に、そんなアジテーションは企業の合理性と結びついた時にだけ有効なのであって、だからこそ政府と企業の癒着が起こるのは必然である)。
そもそも論でいえば、日本の国益さえも確か定義されていない。国の存在意義が「国益を守ること」なのに、「国益ってなーに?」とお子様に尋ねられると、日本人は誰も答えられないのだ。決まっていないんだもの。
よって結論としては、「日本の経済の敵ってなんだっけ?」「そもそも競争力の源泉ってどこに軸があるんだっけ?」というのが、最近、定義づけた質問でした。
質問が正しければ、回答はおのずと決まるという大江健三郎氏の名言に従うと答えは出ていない以上、質問の問いが悪いのかしら。ただ少なくとも1つの解は「国をつくる」のつもりだけれども。
そんなこんなをふと考える新春でした(いつぞやか「国つくる」の話をする機会があったので、ふと思い立って、一筆書きで書いてみました)。

2009年に読んだ小説 12冊。

さて。個人的に毎年行っている「その年に読んで面白かった小説」まとめ。5年目ー。
昨年は、ビジネス系の書籍に偏りまくったので、小説は30~40冊くらいしか読めていない気がします。ちなみに小説を読むのは、ほぼ電車の中のみ。
ともあれ、過去のは以下。あと今回も12冊ではないですが、12冊なのは仕様。それと、敢えてマニアックなチョイスにしてみました。

他の本に関しては以下もご参考まで。
» 読んだ本

6位:血と骨

血と骨〈上〉 (幻冬舎文庫)
梁 石日
幻冬舎
売り上げランキング: 154494
おすすめ度の平均: 4.5

5 金俊平 一人の男して憧れる
5 頭が下がります
5 凄まじい小説
5 身内にいたら嫌!・・・だけど憧れる自分がいる(苦)
5 読む者を圧倒する骨太の骨と、熱い血

映画化もされたので有名ですが。パワーみなぎる一冊。読んだの一昨年だっけな。
あと、以下も非常に勉強になりました。
» 闇の子供たち (読んだ本)

5位:眠らない女

眠らない女―昼はふつうの社会人、夜になると風俗嬢 (幻冬舎アウトロー文庫)
酒井 あゆみ
幻冬舎
売り上げランキング: 27496
おすすめ度の平均: 4.5

5 風俗嬢の来し方行く末
4 いやあ、勉強になります
5 ふたつの世界を生きる女性たちのお話

ノンフィクション。ドキュメンタリールポ。
酒井さんの本は面白い。大枠では似たジャンルの家田荘子氏の本も良いのではないかと。たとえば以下。あと「出張ホスト」とか。
» バブルと寝た女たち (読んだ本)

4位:無間地獄

無間地獄
無間地獄

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新堂 冬樹
幻冬舎
売り上げランキング: 242622
おすすめ度の平均: 5.0

5 暗黒ストーリー展開の妙。
5 金金金ば窶セい
4 これだけ真っ黒な暗黒小説も珍しい
5 スゴイ
5 劇画のような面白さ

ダークでダーク。裏社会系小説。
最近、小説ではこのような自分の知らない世界系やドキュメンタリ系の本を手に取ってしまう。上記の酒井さんの本とか、下記の歴史モノだとか。
他、似た系列では以下。
» 金王~池袋アンダーグラウンドの「光」と「闇 (読んだ本)
» 闇金ウシジマくん (読んだ本)

3位:浅田次郎

蒼穹の昴(1) (講談社文庫)
浅田 次郎
講談社
売り上げランキング: 840
おすすめ度の平均: 4.5

5 近代中国をここまで面白く書けるとは。
5 浅田作品の最高峰!
5 こんなに夢中にさせてくれた作品は久し振りです。
3 後半が残念
5 時間を忘れます。

読み応えのある一冊。この人は文章がいい。そして、同時にたぐいまれなる人間味溢れたストーリーテラー。
お涙頂戴小説が有名だけど、歴史モノにも強し。

2位:1Q84

1Q84 BOOK 1
1Q84 BOOK 1

posted with amazlet at 09.12.29
村上 春樹
新潮社
売り上げランキング: 64
おすすめ度の平均: 3.5

3 中身があるような、ないような・・・
2 BOOK1の感想
5 構造的
5 「書きっぱなし」に対して
4 面白い方だと思います!

これもまぁお約束。
詳細は以下。
» 1Q84(基本ネタバレなし) (いけいけどんどん)

1位:三国志

三国志 (1) (吉川英治歴史時代文庫 33)
吉川 英治
講談社
売り上げランキング: 2136
おすすめ度の平均: 4.5

5 全8巻の読破もあっという間
3 入門者には不向き
5 三国志に神を見た
5 諸葛孔明
5 三国志には詩がある

正確には今年読んだのではなく、2008年の暮れ。読み終えるとしばらくは、三国志の比喩が抜けない。
諸葛孔明を知るならこの一冊。
そんな感じでした。

なぜあの人は別れたのだろう?という問いに対する答え方

たとえば、友人Aと食事に行く。すると、共通の友人Bの話になる。友人Bは、最近、恋人と別れたばかりだ。
そこでたとえばこのような問いがでる。

どうしてBは分かれてしまったんだろうね

と。
この問いに対して、回答する人の傾向は2種類に分かれる。
1つは、「理由は○だよ」と明確な回答を答えたがる人。
もう1つは「理由は○○なんじゃない」と推論を重視する人。
もちろん前者は回答を知らないと出来ない回答だから、回答比率として推測が多くなるのは当然なのだけれど、傾向としては、前者の方が多い気がする。
つまり「本人がいたら聞く人」と「聞く前に仮説を立てる人」のような。
他にもたとえばこういうこと。
友人と食事をしているとする。その店の利益を知りたくなったとする。
その場合、推測が始まるわけだが、その個々の要素(賃料/人件費/回転率/顧客単価/収容人数/原価などなど)の「本当の数字」を知りたい人と「仮説を置いて推測したい」人の2種類いるような。
こういうたとえ話を聞いたことがある(前にも書いたかなー)
あるパーティでテーブルの上にのったワイングラスが倒れた。とある推理小説家は、「そのワインがなぜ倒れたかを推測」する。しかし、あるSF作家は「そのワインがどう倒れたら面白いか」という着眼点で考える。
つまり、何が言いたいかというと、会話で「ファクト(事実)」を求める人と「プロセス」を楽しむ人のようなくくりでわかれるのではないかと。
一般的に、会話において、男性は「結論」を求め、女性は「プロセス」を重視するという。そのため、女性のとりとめもない会話に男性は辟易することになり、女性は男性の剛直な結論への意思に飽き飽きするという(伝聞推定)。
いずれにせよ、この会話の嗜好性はけっこう重要な差な気がしていて。この指向性が違うと、会話で色々ミスマッチが起こりそうな気がしないでもない。

シンプルさと寒さ

書くネタがなかったので、とりあえず時候のネタをピックアップしてみた。
クリスマスねえ。なんかあるかな。そうだ。
中学生の頃のクリスマスのお話。
その頃は学生で。学生は平日も祝日も関係がないから、クリスマスは平日であろうと祝日であろうと、セレブレートされるべき存在だった。
1年生の頃だっただろうか。友人たちとクリスマスに出かけることになった。いわゆるグループで、そこには女性もいて。
1人は男勝りな人で、もう1人は勉強が出来た女性だった。
大阪に出来た南港というモールのようなところに行った憶えがある。学校がどうだったのか憶えていないが、朝早くから出かけたと思う。朝の寒さだけがうっすらと記憶に残っている。多分、8時なんかに家を出たハズだ。
休みの日に8時からどこかに出かけるなんて、若さゆえだろう。10時以降がデフォになって大きな年月が過ぎてしまった。
いずれにせよ、男性3人、女性2人のそのメンバーで、南港をぶらぶらした。中学生が、モールなんざいってもすることはない。それに今思い返すと、なぜ「3対2」という組み合わせなのかイマイチよくわからない。その辺の法則さえも無視するような頃合いだったんだろう。
写真を撮るのを楽しんで(使い捨てカメラだったように思う。その頃は、プリントに出すという伝統的な文化が重宝されていた時期だ)。そして食事をしてゲームセンターをいって、もしかすると映画くらいは見たのかもしれない。天使にラブソングはその頃だったろうか。
そして、帰宅してメンバーの1人の家でわいわい話をした。その頃、事件が起こった。
とある発言により女性が怒り、家を飛び出してしまった。
私がその人を追いかけることになった。中学生らしからぬ、思いやりである。
自転車で出かけたその人は家の外にはいなくなっていた。その頃の自転車と今の自転車は多分、自転車の持つ意味合いが違うような気がしないでもない。その頃の自転車はいわばジュディーアンドマリーの曲にある自転車だったのだ。
いずれにせよ。
そして、私も歩いてそこかしらを探した。結局、見つけられなかった。多分5時間くらいは探しただろうと思う。
いる確率が1%を切っている場所を延々と探すのは、なかなかタフな仕事だった。ただ、その「行為」が恐らく大切だと感じていた私は、徒労という言葉を踏みつぶして歩いていた。寒い1日だった。
部屋に残された友人と女性はしらけて、適当に散会したようだ。携帯電話もない時代で、連絡も取れず、ひどいクリスマスだったように憶えている。
全てが回りくどく、厄介で、4文字熟語である「紆余曲折」という言葉を邁進するような出来事だった。
その女性がなぜ怒ってでていったのか、今でもイマイチ理解できないし、理解する努力もしていないのだが、多分、それは、そういう時期だったんだと思う。
村上氏の言葉でいう「台風がきたら、じっとして通り過ぎるまで待つんだ」というような。
でも、その頃は村上氏の書籍はしらなかったし、そもそも、世の中が複雑だなんて知るよしもなかった。
その頃に比べて物事は幾分シンプルになったような気がするけれど、この時期の寒さだけはずっと変わらぬまま年をとっていく。