今日、電球が切れた。
その時に、家に替えがあるかで、その人の人生のリスク許容度はわかるのではないか、とおもった。
すなわち、そこに電球の替えを買っておく人は、「いつか電球が切れるかもしれない」とリスクを判断して、替えを買っておく人である。
「切れたらその時に考えよう」という人の方が、よりコストは低く意思決定はできる(すなわち、「切れない」という可能性もあるので、その場合は、その人は「替えを買ったコスト」を負担せずにすむので「替えをかった人」よりコストは少ない
「それについて考えなかった」という人は、リスクへの認識は論外であるが、同時に「そういう細かいことに関して頭のリソースは使わない」という場合は、それはそれで1つの哲学であるし、「替えを買うコスト」に加え「それについて考えるコスト」も削減している点では、非常にコストエフェクティブである。
同じようなことを思ったことがある。それは「iPhoneに、ケースをつけているかつけていないか」によっても、その人がどれだけリスクにセンシティブかわかるような気がした。
というのも、iPhoneはいつか落下する。割れる可能性がある。その可能性があり、それを避けるならばケースは買っておくのが、合理的である。
いわば、レンタカーで自動車保険にフルで入るようなことだ。
同じように「飲酒運転」なども該当するだろう。「少しくらいはお酒が入っていても、事故ったことないよ」といって、飲酒運転をする人がいるとする。しかし、それは確率論としては「起こる可能性が非常に低い」というだけで、0ではない、当然ながら。
そして、それに対するリスクのコスト(たとえば、事故の場合は死)が、無限であれば、ないし、無限に近い非常に高いものであれば、その起こる確率がどれだけ低くとも、「避けるべき期待値」は高いものとなる。つまり、事故る確率が0.013%(毎日飲酒運転して20年に1回事故る)だとして、事故った場合に死に至る確率が0.1%だとしても、死のコストが10,000,000であれば、ダメージの期待値は1となる(小指をぶつける確率が1%、その時のダメージが10とすれば、ダメージ期待値は0.1なので、小指をぶつけるよりもダメージのおそれは大きい。ただダメージの絶対値は謎)
ということを考えていたのだけれど、以前、iPhoneをケースに入れない人にその話をしたら
「iPhoneはデザインを重視してかっている。ケースをつけるとそのデザインの価値がなくなる。ならば、割れる可能性があったとしても、ケースを外して持っておいた方が良い」という反論をもらった
そして100%納得してしまった。確かに。確かに、ケースをしており、それでデザインが見えなくなれば、デザインを重視してiPhoneを持っている人には価値が限りなく低くなってしまう
ということで、人によって損害の算出は異なるなぁ、と納得したお話でした
ちなみに僕は社会人を超えたあたりから、電球の替えは買っておくようになりました、とさ