雨の時は本に限る。
ということで本の話。このブログではしょっちゅう出しているネタなので恐縮ですが。
この台風で本を読んだというよりも、まぁ、定期的に本は読んでいて。
そして私の傾向として、「何かを考える時ほど本を読む」という傾向があります。それは、思うに自分の中ではある程度、答えがでている悩みがあり、それを本を読むことによって決断に促してくれる効用があるからのように思います。
基本はノンフィクションが実は好きだったりしますが、同程度、フィクションも好きなわけで。
そして、そういう悩んでいる時に読むのは、実はどちらでも効用は同じという経験則があります。
というのも、「実際にあったから」というだけで、ある事象の重みは変わらないケースがあります(変わるケースもある)。
それが変わる、変わらないを決める要素は、単純に1つだけ。自分のおかれた状況。しいてあげるならば、その時の主観になります。
それゆえに、悩んでいる時においては、大抵の場合、「決断を促進する、ないしヒントを得る」だけですから、それは実話であろうと、なかろうと関係ないのです。
わかりやすく言うと、たとえ小説であろうとも、そこに出てくるワンフレーズが、自分にとっての「もやもやしていたこと」をクリアーにさせてくれるトリガーであれば、それは小説であろうとなかろうと関係のない話になるわけです。
具体的な例でいうと、たとえば「結婚するかしないか」を悩んでいて、そして、完全に答えがでない悩ましい状況だとする。
その時に「他の人はこの時にこうしたから結婚した/しなかった」とい「う話は、ケーススタディをやる分には有効ですが、それは自分の考えを膨らますという効用とは位相を事にします。
そうではなく、たとえば、カンナカレーニナを読むことによって、そこにあった1行が、自分で思いもよらかった「結婚への見かた」を提示してくれることもあるわけです。
そして、それによって、その悩みを決断する補助線が1つ生まれることになる。
つまりはそういうことです。
で、まぁ、とはいえ、バイオリズムの問題で、ノンフィクション、フィクションを読みたい波は交互に襲ってきたりします。
最近はフィクションの波が来ていてむさぼり読んでいました。しかしもう「いいと思える本」しか、読む気力がなくなってきたのも事実です。
昔は、面白くなくても最後まで読み通す根性がありました。しかし、本を読む年齢を重ねるにつれ、その本が面白いかどうかの判断基準も明確になってしまい(良かれ悪しかれ)、同時に、時間的制約というものが大きくのしかかるようになりました。
ちょうどこないだのちょっとしたパーティでお会いした方がおっしゃっていた言葉が印象的です。
もう、私はいい本しか読みたくないんです。
と。それはクリアーな事実で。
さりとて、知らない本に手を出さない、というのとは違う。もっとプラグマティックで、1ページ読んでピンとこないと読めない、ということになります。
ともあれ、しかし、最近読んだ本たちはヒットばかりでした(もっともその背後には10ページくらいで終了となった屍たちが同じ数だけありますが)
まずは、伊坂幸太郎の「チルドレン」。
名言を2つほどピックアップするならば
あいつは常に何かを主張している
陣内が口にするたびに「絶対」の価値が落ちていく。
などでしょうか。友人などのブログでもよく見かけている本なので、お読みになった方も多いかと思われる一冊です。
もはや主観としては巨匠の域に達する伊坂氏。今回もお得意の物語リンクをふんだんに駆使し、やられた感を醸成してくれます。
そして本多さんの「真夜中の五分前」。
これは、個人的に「ノルウェイ」の匂いを多分にかぎとってしまったわけですが、それもまぁ、やむなしでしょう。
個人的に好きなフレーズ。
主人公が悩みを抱えていて、久しぶりに友人に電話をした。しかも深夜。
すると友人が「神戸から東京まで」いまから行くという。
バカいうなよ、と僕はいった。
「明日、会社だろうが」
「だからどうした」と友人はいった。
この「だからどうした」がすきで。控えめにいっても、たまらなく好きで。
このフレーズは目新しいものではなく、他の書籍でも何度か見かけたことがあるようなきがするのだけど。
だから、どうした?
いいよね。これ。全てを超越したような概念。馬にのってる感じがする。
英語だと、so whatでいいのかなぁ。まぁ、いいのだろう。いろんなシーンで使える名フレーズです。
恋愛だったら「私結婚しているのよ」「だからどうした」
仕事だったら「僕2回も失敗しちゃった」「だからどうした」
人生だったら「借金2億あるよ」「だからどうした」
うーん、すがすがしい。
そして最後のご紹介は藤原 伊織さんの「シリウスの道」。
ミステリー好きなら、誰もがはまる藤原さん。著作は少ないけれど、どれも素晴しい味わい(こないだのヒゲの話だけは個人的にイマイチだった)。
いくつか言葉を。
このややこしいご時世ではたぶん問題を抱えていない人間の方が絶滅種に近いのだ。
「自己満足かもしれない」
「満足に自己満足以外の満足があるんですか?」
ふむ。
なんだかかっこいい人たちばかりを読んだ気がする。
これらの本の詳細は、こっちに読書メモ書いているのでよろしければどうぞ。
読んだ本
そして、最後に、藤原さんの本より。
質問の答えは質問自体のどっかに隠れているんだとだれかが言っていたよ。
これは、まさにソクラテスの時代からこそ愛されている絶対の真理。大江健三郎は「問題が設定できたならば、答えはもう出ている」と言ったけれど。
対話によって人は新しい高みへと到達することができるわけで。
そして、最初の自分の独り言。「本と対話し、自分の問題を解決する」が実証されるわけである。
「世の中に、絶対、と断言できることが何一つないなんて、生きている意味ないだろう。」