夜鳴く鶏

タイトルに他意はなし。思いつき。でも、夜に鳴く鶏がいてもいいんじゃないかと思う。でも近所迷惑だから排除されるかも。鶏の世界において、鳴く時間の多様性は淘汰されてしまうのだ。しかし、そもそも鶏は飛べないのに鳥という非常にユニークで独創的な確固たるアイデンティティを持っているので、それはそれで差異化を生み出しているのだから、それ以上の分化は避けるべき定めなのかもしれない。でも、それってばアイデンティティではなく、独自の個性であり、あるいは、機能なのかもしれない。日本画は、空白を描くという素晴らしい特性を持っているが、鶏も飛べないという「欠落」が独自の機能として作用しているのかもしれない。彼ら(ないし彼女ら)が、なぜ飛べないのかは、私はあずかり知らぬところだけれど、調べる意欲もないけれど(こういう時にPoPInは便利なのだろうか)、まぁ鶏が飛べないというのは、このように人口に膾炙するという点で、PRにおけるフックというかスパイクになっているのだろう。ただし、鶏が知名度をあげたところで、生存における価値はなかなか上昇しないから、結局はROIを無視した戦略になるのかもしれない。ただ、希少価値が高まるとペットとして飼う人もでるゆえに、そこにおける生存可能性(ないし、ベターな生活)は確保されると考えても良いかもしれないと思うが、結局、それは間違いで希少価値が高まれば生産する人が増えるという市場原理が働くので、結局比率は同じに落ち着くのだろうと思う。ただ、種の保存の観点から言えば、頭数が増えれば、種の保存も確保される傾向にあるので、そう考えると、鶏が飛べないというのはちゃんとした理にかなったものかもしれない。ただ、ここで気をつけたいのは、「飛べない」ということの利点が「不利益」を上回る必要があるということだ。つまり、飛べないということで、他の生き物に食べられたり(犬とか人とか)、あるいは馬鹿にされるというネガティブ名声を受ける不利益を利益から差し引かなくてはならない。そう考えると、結局、イーブンな気もしてくるが、それの数値化は厄介なので避ける。ただ、思うに、オムレツはおいしいので鶏さんにはがんばって頂きたい。

泣けるコピペ

省エネエントリ。
たまに週末にみて泣けてます。2ちゃんねるのこの創造性は凄いなぁ、と思いマスです。
» ベア速 涙がでちゃうコピペ
以下いくつか抜粋
■恋人系

どうして私がいつもダイエットしてる時に(・∀・)ニヤニヤと見つめやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして私が悪いのにケンカになると先に謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしてお小遣減らしたのに文句一つ言いませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして交代でやる約束した洗濯をし忘れたのに怒りませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして子供が出来ないのは私のせいなのに謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして自分が体調悪い時は大丈夫だと私を突き放して私が倒れると会社休んでまで看病しますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして妻の私に心配掛けたくなかったからと病気の事を隠しますか(゚Д゚)ゴルァ!
おまけにもって半年とはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
長期出張だと嘘言って知らない間に手術受けて助からないとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で俺の事は忘れていい男見つけろとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちの気持ちは無視ですか(゚Д゚)ゴルァ!
正直、あんた以上のお人よしで優しい男なんか居ませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
それと私みたいな女嫁にすんのはあんた位ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
もう一つ言い忘れてましたが私、お腹に赤ちゃん出来たんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたの子供なのに何で生きられないのですか(゚Д゚)ゴルァ!
そんな状態じゃ言い出せ無いじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
それでも言わない訳にはいかないから思い切って言ったら大喜びで私を抱きしめますか(゚Д゚)ゴルァ!
生まれる頃にはあんたはこの世にいないんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な子だといいなぁってあんた自分の事は蔑ろですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で周りの患者さんや看護婦さんに何自慢してやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
病気で苦しいはずなのに何で姓名判断の本で名前を考えてやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして側に居てあげたいのに一人の身体じゃ無いんだからと家に帰そうとしますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしていつも自分の事は二の次何ですか(゚Д゚)ゴルァ!
医者からいよいよダメだと言われ泣いてる私に大丈夫だよとバレバレの慰めを言いますか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちはあんたとこれからも生きて行きたいんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
それがもうすぐ終わってしまうんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
バカやって泣きそうな私を包んでくれるあんたが居なくなるんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
忘れろと言われても忘れられる訳ないでしょ(゚Д゚)ゴルァ!
死ぬ一週間前に俺みたいな奴と一緒になってくれてありがとなですか、そうですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちがお礼を言わないといけないのに何も言えず泣いちまったじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
あんなに苦しそうだったのに最後は私の手を握りしめて逝きやがりましたね(゚Д゚)ゴルァ!
何で死に顔まで微笑みやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
そんなのは良いから起きて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
生まれてくる子供を抱いて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
子供に微笑みかけて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
たのむから神様何とかして下さい(゚Д゚)ゴルァ!
ダメ女な私にこの先一人で子供を育てろと言いやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
そんなあんたが死んで5ヶ月…
子供が生まれましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な女の子ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
目元はあんたにそっくりですよ(゚Д゚)ゴルァ!
どこかで見てますか(゚Д゚)ゴルァ!
私はこの子と何とか生きてますよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたも遠くから見守って居てください。

嫁は妊娠中。もうすぐ八か月。
西日の部屋で、ソファに座ってお腹を撫でてる嫁を見てたら、なんとなく言いたくなって
後ろから抱き締めて「愛してる」って言った。
ただ、俺の嫁、ろう者なのね。なんも聞こえないの。わかんないの。

わかんないはずなの。
でも、嫁、振り返って

手話で
《わたしも》
って言ってくれた。

俺、明日もがんばれるわ。

■その他

小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした

阪神大震災後のはなし
当時オレはあるファミレスの店員をしていて、
震災後、ボランティアでバイキングのみのメニューを無料で提供する事になった
開店と同時に満席になって席待ちの列、繁忙期以上の忙しさだった
お客さんの中には着の身着のままで来る人がいて、
他のお客さんが「自分は家が残っているし、帰れば着る物がある」と言って
上着を差し出す光景を時折目にして、目頭が熱くなったのを覚えている

昼を過ぎた頃、待ち列の中にやたら身奇麗でアクセをジャラジャラ付けた若い男女二組がいた
彼等は使い捨てカメラで撮影してはギャーギャー騒いでいた
さらに彼等は皆が我慢して並んでいる中、「はやく席に案内してよ」と文句を言うばかりか、
「席に着いたら、即ビール4つね」「わたしパフェたべたーいw」とワガママ放題
見るに見かねてケンカ覚悟で退店願おうとしたその時、
一人の御老人が「あんたら、観光に来たのなら、頼むから帰ってくれないか!」
と涙ながらに訴えた
すると彼等は「カンケーないよw」「ナニか言ってるーw」とケラケラ笑って茶化すだけ
さすがに頭に来たオレが「申し訳ないですが、出て行ってもらえますか?」
と啖呵をきった瞬間、オレの肩をポンと叩いて前に割って入る男性がいた
男性は腕まくりをして見事な刺青を見せ付け、傍若無人な若者たちの前に立つと
「オイ、にいちゃんら はよおうちに帰って、テレビでも見とかんかい!」と一喝
彼等は黙ってスゴスゴと、埃一つ付いてない国産高級車で帰っていった

その後、ヤのつくヒトであろう男性は帰り際、
「店員さんはケンカしちゃいかんよ、そういうのはワシらの仕事やからw」
「食事ありがとう、おいしかったよ」と言って店を後にした
その時の男性の埃まみれのパンチパーマにヒビの入ったサングラス、
少し足を引きずって歩いて帰っていく姿が印象的だった

■おかん系

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。

それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた

これも有名
» pya! 「ありがとう」って言いそびれたヤツいる?

» 無題のドキュメント 感動コピペで泣いたらちんちんどっかん
■ビジネス

そのときの部長はすっごく冷たくて、いつもインテリ独特のオーラを張り巡らせてる人だった。
飲みに誘っても来ることは無いし、忘年会なんかでも一人で淡々と飲むようなタイプで、
良く怒られていたこともあって俺はすごく苦手だった。

ある日のこと、部長の解雇を伝える社内メールが全員に届いた。
あのむかつく部長が居なくなる!!心の中でガッツポーズしたのは俺だけじゃなかったはずだ。

それから1週間後、部長の最後の出勤日。
退社のセレモニーが終わるとみんなそそくさと帰って行ったが
部長と俺だけは居残って仕事を片付けていた。
送別会の開催も自ら断った部長を苦々しく思っていると、珍しく専務から呼び出された。
しぶしぶ専務室に行くと、課長と専務が待ち構えていた。
俺はそこで始めて課長から「部長解雇の真相」を聞いた。
原因は俺だった。俺のミスの責任を全て部長がかぶってくれたらしい。
話を聞いてたまらなくなった俺は急いで部署に戻ったが、部長の姿はすでに無かった。
ふと自分の机の上を見ると、封の開いた買い置きのタバコ。すでに一本無くなってる。
横に添えられたメモにはこう書いてあった。

「これぐらいはいただいても良いはずだ」

俺にとっては無くなったその一本が、思い出の一本です。

■いい話

劇場の喫煙所にて。
俺がボーっと煙草吸ってたら、後から来たおっちゃんが
「アレ?アレ?」という感じでライターを探してた。
お、これはいい事をするチャーンス!と思い、
このスレで学んだように、自然に、さりげなく・・・を意識しながら
自分のライターを差し出した。
しかし。
おっちゃんの手には、やっと見つかったらしい
高級そうなライターが既に握られていた。

うわ百円ライターなんて出しちゃって俺ってばもう!
と慌てて手を引っ込めようとしたら、
「有難う、確かあった筈なんだけどなぁ」とか誤魔化しながら
俺のライター使ってくれた。
こっちが有難うだよ、おっちゃん。

あとこれいつみてもなく
» ある騒動の記録
他、有名コピペ
» ベア速 これ考えた奴天才だろ、と思ったコピペ
» 無題のドキュメント ニヤニヤ出来るコピペください
» ささやかな楽しみ:ヌクモリティ感じるコピペ貼ってけ – livedoor Blog(ブログ)
» F速VIP(・ω・)y-~ 2008年で  最  も  面  白  か  っ  た 一  行
» オチが秀逸なコピペ(後編)ツꀀニコニコVIP2ch
» オチが秀逸なコピペ(前編)ツꀀニコニコVIP2ch
» ベア速 アハ体験できるコピペを貼ってくれ

果たされた約束

約束に関する名言でこのようなものがある(うろ覚えで書いています)。

1.一度約束をしたら、その約束は何が何でも守らなければいけない。
2.そんな約束はしないこと

と、これはジョークですが、まぁ、生きていると色々約束をする場面が出てくる。そりゃビジネス面であればいくらでもあるし、プライベートでも。
たとえば

「温泉でも行こうなんて いつも話している 落ちついたら仲間で行こうなんて でも」

cf WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント~ H Jungle with t 歌詞情報 – goo 音楽
というような。
「今度飯いこうよ」「うん、落ち着いたらまたね」というような、処世術のような、あるいはリップサービスのような21世紀。ないし20世紀の翌世紀。持ち越し。
もちろん、それらは約束ではないのだけど、無期限の口約束は結局のところ、それが果たされぬ故に尊いのか、あるいは、恒久たる約束ゆえに尊いのかわからないけれど、まぁ、そのように私たちは日々を生きる。
そう。で、約束は、いつか果たされることもある。そんな口約束でも。期限を切っていないという裏書きのない手形のようなものでも。
この間、4年以上前にした、約束が実現された。
ちょっとしたウナギ屋さんだった。その4年前にどのような経緯で約束をしてもらったのか憶えていない。ただ、メッセで「この近所にこのようなおいしい鰻屋あるんだけど知ってる?今度、いこう」というような話が駆け抜けた4年以上前の冬。
そして、時は流れ、紆余曲折があり、そしてきっかり年をとり、回り回って、その約束が果たされた(後日談もあるのだけど、それはまた別の話)。
ただそれだけの話。
でも、このようにいつか偶然、叶う約束ならば、そういう約束もいいな、と思った。

2008年の12冊

さて。個人的に毎年行っている「その年に読んで面白かった小説」まとめ。
四年目になりますやろか。この「読んだ本」に自分の本メモを入れているんだけど、去年は100冊ちょっとしか読めておらず。どうしてもビジネス系が多いので小説は半分以下だろうか。ということで6位までにしました。タイトルの12冊は仕様。
あとテンションあがるかは人次第なのでご注意下さい。
ともあれ、過去のは以下。

■6位: 新堂冬樹 「女王蘭」
これも、すすめられて読んだ一冊。
キャバクラなどが舞台だが、ストーリーが面白くて(どろどろして)、楽しく読んだ。
» 女王蘭 (読んだ本)
■5位: 大崎 善生 「ロックンロール」
パリを舞台にした恋愛小説。
切なさを書かせたら、大崎さんつよし。昨今、毎年ピックアップしてる気がする。
以下の最後の引用が白眉。

僕もわからなくなると真夜中に台所に立って鍋を磨く。一時間も二時間も。本当だよ。

それにきっとこの世にはヒステリーという名前のバス停を持っていない女の子だって存在しているに決まっている。

こうして僕たちは欲望の坂道をただ転がっていけばいいのだ。その先にあるものを恐れることなかない。ただ石ころとなり転がり続ければいい。

アメリカの小説にあったような気がする。この世の正しいことの全てはシャワーを浴びた後にされることだ。

» ロックンロール (読んだ本)
■4位: 志羽竜一 「アムステルダム・ランチボックス」
一気に読んだ。会社で、べにぢょだか西川さんにすすめたところ、楽しく読んだとのレビューをもらった気がするので、それなりに万人受けするのではないかと想います。
» アムステルダム・ランチボックス (読んだ本)
■3位: 西村 健 「ビンゴ 」
ダイハードを小説化したら、こうなります、というような感じ。
バイオレンスあり、人情あり、一気に読まされた(好き嫌いは激しいと想うのでご注意)。
ビンゴから考えると、七冊になるのかな?すごい分量だけど、すぐ読める。3人が主人公で、それらの物語が1つづつ。そしてその3人の主人公が絡まる物語が四冊分。
最後は、カタルシスを憶えずにはいられない。平成版バイオレンス戦国時代物語というか。
» 劫火4 (読んだ本)
» 劫火2 大脱出 (読んだ本)
» 劫火1 ビンゴR(リターンズ) (読んだ本)
■2位: 真山 仁 「ハゲタカ」
友人にすすめられて読んだ「ハゲタカ」。その人のおすすめはホボ、外れることはないので迷わず買った。案の定、べらぼうに面白かった。
ハゲタカ2も併せて四冊の物語で重厚。でもあっという間に読む。ドラマ化されたらしいけど詳細不明。
ストーリーはハゲタカファンドの物語。実際の日本の出来事などもうまく絡ませているので、その辺にも興味あると、とても面白い。
なお「虚像(メディア)の砦 (読んだ本)」はイマイチ。マスメディアが舞台。
以下、少し引用。

わたしはフェアとラブって言葉が一番嫌いよ。どっちもこの世にあった試しがないんだから。

» ハゲタカ2 (読んだ本)
» ハゲタカ (読んだ本)
■1位: 中村 航 「リレキショ」
あくまでも「村上春樹好き」として、とても面白かった。
ストーリーは当然ながら、言葉使いや表現、エピソードが刺さる。なお「100回泣くこと」はソコソコ。
概要としては、主人公がリレキショ作って、ガソリンスタンドで働き始める。で、そこで恋する相手がみつかる。あとは姉と姉の友達が主要人物で物語はすすむ。
なんてことのないシーンたちだけど、こうも絡まると素晴らしい一冊となる。
» リレキショ (読んだ本)

何が人の心に残るのか

ちょとした調べ物をしていて、たまたま、とあるドラマに行き当たった。
ライツ関係あれなので、リンクは張りませんが某Tubeで。
なんのドラマかというと東京ラブストーリー。何かのランキングで「もう1度みたいドラマ」の1位に選ばれていたような。
で、これの最後10分くらいだけ再読したのだけど、やはり素晴らしいですね。いや、まぁそりゃ小田氏のBGMも凄いし、いろんな意味で鈴木氏も懐かしいからぐっとくるという要素はあるものの、やはりこの最後のストーリの切なさがなんというか、インパクトある。
※というか、自分の思春期と重なっていたから印象深いという可能性もありますが・・・。
で、最後は悲しい終わり方なのですが、だからこそ、なんというか、なんとも言いしれようのない感情が残るのが、ずっと人の心に残るのではないかと。
他に悲劇周りのドラマを思い出してみると、ノジマ先生の「高校教師」、あるいは「未成年」、あ、ドラマあんまり見ないのでそれしか出ないな。ひとつ屋根の下とかはハッピーエンドか。むー。ドラマ24の1の最後とかそれじゃね。
他、映画だとやはりタイタニックがそれに該当するのではなかろうか。戦場のピアニストとか、パーフェクトワールドもそうか。頭の中の消しゴムは悲劇とはいえんかね。「今あいにいきます」も一応悲劇かなー。
それ以外でも、シェークスピアの悲劇4部作だとか、ファイナルファンタジー10、サンクチュアリだとかも悲劇といえば悲劇か(怪しいけど)。漫画の悲劇ってあんまり思い浮かばないな。
小説だと何だろうか。Xの悲劇は悲劇だけど悲劇じゃないし(今更ですが、これは必読小説かと!)。もう大分忘れたけど、東野さんの「秘密」は悲劇だったような気が。違う?伊坂さんの「アヒルと鴨のコインロッカー」も最後は大変ぎみだった気が。あと、アルジャーノンも?浅田次郎は悲劇は多いけど、悲劇じゃなく見せてるからなぁ。
ということで、悲劇の物語はそれほど数は多くないものの、インパクトのあるものが多い気がする。
この救われない感がいいのだろうか。それだと人類の過半数はマゾヒストということなのか。うーむ、それとも自分で解釈しようとするから(むりくりハッピーに)、それが印象に残っているのだろうか。
で、ふとそれをネットに応用しようと考えてしまう職業病だが、「あなたの悲劇教えて下さい!」というようなウェブサイトだったら、2chにありそうだ。とりあえず悲壮感ただようサイトになります。リグレットが少し近いのか。
悲しいことは人の共感を呼ぶからか。たしかに自慢されると人は抵抗(心理的に)したり、あるいは自分がハッピーでない時は、ハッピーな物語を読むと、よけいストレスたまるのかもしれない。
人は人を見て不幸を定義づけるのかしら。せちがらい生き物ですね。
あ、あと最近では、改めてMattの新しいのみたけど余裕で涙した。

これにぐっとくる人とこない人がいると思うのだけど、僕はこのような群像劇に弱いので(元気玉とか)、やられるのだ。最初のバージョンよりも大分パンチ力が増加している。最近はカードのCMにも出てたとか?
Visa(こっちは教えてもろた)

でちょっと調べたんだけど、これVisaだけじゃなくて、Yahoo!を筆頭として大分、企業とコラボしているんですね。こんなビジネスがありえるのか。凄い世界だ。
» あのWhere the hell is Matt?がVisaカードのCMに登場しちゃてるぜぃ。 | 広告大臣
あとMattのプレゼンもあった。2000人以上の人と世界中で踊ったらしいが、どうやったのかという話。ユニークなイラストのプレゼン資料がいい(子供にはお金やったらあかん。先生にやるんだ!とか)。
» YouTube – How the Hell Did Matt Get People to Dance With Him?
とまれ、悲劇でも喜劇でもないのに泣かせるというのは、本当に素晴らしいなぁ。
昨今、エモーショナルマーケティングだとか、感性のUI云々とかよくみるし、今日もロボットの人から感性工学(感情と技術の融合)とかも聞いて、ふむふむとか思っていたのだけど、こういう感性に訴えかけるのは、一様でない点が、それの妙味たる妙味というか。
以前、なんかの本だかで「セザンヌのリンゴを生でみて、号泣した」という話を読んで、期待しながらロンドンでセザンヌをみたのだけど、それは私が未熟でぐっとこなかった。
ただ、似たような話では、初めてミュージカルをみた時にストーリー云々でなく最高傑作の踊りというものに涙した憶えがある。自分でもびっくりしたけど(ハッピーな物語だったから)。
そういえば、自社の話になるのだけど、べにぢょがメインでやってくれているサイト「パンドラ」も、一部から評価を頂いており嬉しい。「こういう感性で繋がるサイトというのは増えてくるのでしょうか?」と取材みたいなされた。そういえば、である。
ふーむ。感性感性。奥が深いなぁ。
最近、みなさんは何に心動かされましたか?というようなフレーズをふと口にしてみる今日この頃。そして、自分のソーシャルブックマークの「いい話」タグから、以下あたりを抜粋しておき筆をおく。
» 10年後の素敵なエンディング
» 命かけ住民守った13秒:ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd
» 嫁が謝ったのを憶えていない
» この地上には愛すべき事が実に多い、急げ – もしもし
» 俺、いま幸せだよ コピペ新聞
» 国際時事新聞: 3.8億円の宝くじ当選、1年近く熟慮の末受け取る
» この前妻に先立たれたんですよ コピペ新聞
» On Off and Beyond: 書評:How Starbucks Saved My Life(全米が泣いた!)

ふとした変化の気づき

なんてことはない。髪型の話である。
一般論として、女性は髪の毛に力を注ぐ傾向にある。たまに髪型を変える。カットならまだしも、パーマにカラーリング、梳くなどなどもある。場合によっては「洗ってもらってきた」という場合さえある。
そして、一般論として、男性はそのような変化に気づかない(生物学上で相対的に)。というか、気づかないというか、認識していない。
この話は世の中、いたるところに転がっており、村上春樹の「ノルウェイの森」でも、一つのエピソードとして語られる。ある友人以上恋人未満の2人で、女性が大きく髪型を変えたのに男性が気づかず絶縁されるというような。
いや、これは男性の注意力緩慢さや嗜好性の違いといった性差を強調するつもりはないのだけど、なんというか、しびれる。世の中の声を聞いても、このような気づきの見落としによる諍いを少なからず聞くことがあり、なんか世の中は罠だらけだ。
ただ、自己PRとしてここ一週間前後で4人ほどの髪型の変化に気づいた。会った人数から考えるともの凄い確率のチェンジである。その確率を考えるに、もはや会う人全てに「髪型変わったね」とタモリメソッドを使った方がいいのではないかと思うほどだけど、そんなことをしていると「変わってへんよ。適当やな」と、今度は注意力散漫から適当の烙印を押されるので、それはそれでしびれる。
また逆に言えば、気づいたのがその数で、おそらくその裏には気づかなかった数も多分にあるわけで、なんというかしびれる。成功した企業の裏には数百、数千の失敗した企業がなかなか目につかないのと同じ論理だ。
悩ましい。しかも、明らかに変わっている場合はよいとして、「55%くらいの確率で変わったか?」と思う場合、「髪型変わった?」と聞くのは、「2年ぶりに再会した人の名前をうろ覚えでしゃべってみる」というくらい度胸のいるもので、間違った場合のリスクは前者の方が低いものの、なんというか、心境的にはそれくらい怖い。
で、何が言いたいかというと、変化の兆候は事前の会話から読み取れ、ってなことでした。

東京タワーが好きな理由は

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どうして東京タワーのことが好きなの?と聞かれたことがある。
どうしてだろう、と考える。理由はいくらでも思いつくし、あるいは東京タワーにとって160個以上の展望シーンを述べることだってできる。
でも、本当に東京タワーが好きな理由を一言でのべよ、と言われると言葉に窮してしまうかもしれない。エレベーターピッチで事業内容を述べることができても、あるいは時にイスラエルに入国する目的を答えられたとしても、もっと平易なはずの東京タワーを好きな理由は、色々悩んでしまうかもしれない。
それとの出会いは2004年の頃に話はさかのぼる。大学2年生から3年生になるころで、海外旅行から帰ってきたころ。大学が近かったということもあるけれど、なぜか東京タワーが好きで、東京タワーの近くに部屋を借りた。走りながら見る東京タワーはとても綺麗で、いくら走っても飽きなかった。そして今でも飽きることはない。
マンションから見上げる東京タワーは美しく、さながら東京タワーに住んでいるような気分、とジョジョの鉄塔に住むスタンドを思い出した。今のオフィスからだって東京タワーは見える。夜中に左手にヒルズ、右手にタワーを見上げると、もはやタワーの良さはすべて込みな世界で、そこに理由を改めて問うても、何かしらの強い求心力がなせるわざ?と冬のジョナサンで考える。
赤いタワーは時を彩る。魚銀行からの景色ではピンク色のタワーとピンク色のクリームが調和するし、あまおうが彩るタワーの景色はビターな質問と混ざり合い綺麗な音色を奏でる。
いつかどこかでみた花火と同じ感慨を東京タワーは思い浮かばせる。タワーの光が持つはかなさと花火が持つ短命なる情緒は、その淡い時間が持つ限られた時間ゆえにその美しさを増すこととなる。さながら蝋燭が持つ陰影がその蝋燭を見る者の心を反映するように。
もしかするとエッフェル塔やドバイタワーでさえも、その東京タワーの魅力を持つのかもしれない。しかし、それでも東京タワーが持つ魅力は相対的や類似的なものではなく絶対的なもので。同時に東京タワーは夜にこそ光の美しさを表すもので、時にはその闇が欠かせないのかもしれない。
これらを全部ひっくるめて東京タワーが好きな理由なのかもしれないけれど、とても一言で表せそうにないのは間違いない。

可能性だけは腐るほどあるキミに

荘太さんのメルマガで、以下のコピーを読んだ。

「可能性だけは腐るほどあるキミに」

雑誌KING(休刊)の創刊コピーだそうだ。
ふむ、と思った。
この言葉を見て学生たちを思った。なぜならわかいからだ。わかいというのは時間があるということであり、時間があるということは可能性があることと相関関係にあるケースが多いからだ。
もちろん、自負としては自分は歳をとって可能性が減ったとは思わないけれど、まぁ一般論としてはよく言われるように
「小学生のころは、なんにでもなれた」というような言葉があって。
つまりケーキ屋さんでも、パイロットでも、科学者でも、博士でも大臣でも。
でも歳を取るにつれて、それらの選択肢は良い意味でも悪い意味でも、集中されフォーカスされ、淘汰され、そして、それを人は成熟するという。
で、まぁ学生たちにたまにお会いする。別に彼らだけが可能性に溢れているわけではないけれど、やはりそこには社会人とは違った可能性への生き方があって、それはそれはなんだか眩しい。
石田君とか関君とかわせプロの太田さんとか飯沼君とか、アイセックの高木さんとかアルカーナでも手伝ってくれている藤井君とか山本君とかとか(いろんな理由でこのあたりで記載とめましたがご容赦をば)。
でも負けずに、可能性への飽くなき探求はいつまでもポケットに忍ばせておきたいなぁ、とか思って。
いずれにせよ、でもやはり「歳を取るだけ可能性が広がった」という生き方の方が、愉快な気もしていて(良いか悪いかはわからない)。

会話をしない日

知らぬ間に週末が終わって。気づけば、今日は何も言葉を発しない一日だった。
ほぅ、と自分につぶやいた。自分への対話はアンカウンタブルとして。スタバの店員さんへの一方向での発生やメッセンジャーでの対話はあったとしても、対話はしていないことに気づいた。
そういう日は世の中には溢れているのかな、と考えた。あることもあるだろう。一人暮らしで、個人で仕事などをしているとそういうケースはあるかもしれない。個人的には社会人になってからは、土日で仕事がある日も少なくないし、何かしらがあって、あまりないような気がしたけど、気のせいかもしれない。とりあえず世界の数値を肌感覚よりもファクトをとろうと思って、メッセにいた何人かに聞いてみた。とはいえN数は3。
2人くらいは

たまにあるかも

な感じのご返信。もう1人の方は

ない・・・・
さみしがりやだから。。

という回答。
ふむ。さすがにサンプル数3ではなんとも言えない。
ただ、メッセンジャーやメール、ショートメッセージのような会話を必要としないメディアができたお陰で、声を出してコミュニケーションを取る機会はかなり少なくなったことは間違いないように思う。こうして会話をしなければ人は言葉をしゃべられなくなるんじゃないか、なんてことを思ったりするけど、まぁそれは別の話。
それよりも回答にあった「寂しいからない」という言葉が、ほうほう、と思った。
対話は人の寂しさを紛らわせる効用がある、ということが読み取れて。確かに、肌感覚的には、それは理解しえるけれども、ただ、なぜ対話によって寂しさが紛らわされるのかは一考に価する。
それは言葉を交わす行為自体に価値があるのか、話を聞くことに価値があるのか、あるいは話をすること自体にあるのか、となるとなんとも言えない。ただ、後者2つはメッセンジャーで代替もできるので、強いインパクトはないのかもしれない。ロジックとしては弱いけれど。
そう考えると、「生」の声を交わすということが重要だとするならば、それはそれで非常に興味ぶかい。
つまり、視覚は聴覚を代替しない、ということになって、耳に何かを入れるという行為自体が、何かしらの価値を持つと考えられる。しかしは聞くだけならばラジオでもテレビでもできる。ただ対話の相手が1人か多数かでの区分も必要でテレビでは代替されないと考えると、その場合、対話が独自性を持つのは「個人に話しかけられる言葉」か「話すということと連動した行為の聞くこと」という2点に集約される。で、これを論証するには、「話をする」だけで寂しさは解決されるのか?という点を考えればいい。人は悩みを話すことによって解決されるという話も聞くし、2ちゃんねるの人気はそのようなところにある。ただ、話を吐露するだけで寂しさが紛れるならば、それは独り言をしゃべっていればいいということになる。しかしそれでは寂しさは解決されない。
つまりは対話の魅力というのは、「話すことと聞くこと」が連動していることに価値があり、場合によっては「個人に話しかけられる言葉・ないし・個人に話をする言葉」に価値があるというように思える。ただ、これは寂しいという人の価値観に依ることも多いのでなんともいえないけど、まぁなんだっていいや。
で、結論として、なんというか会話って実は破廉恥な行為ではないかと思った。理由は推し量ること宜し。
※結局、最後に電話によって会話をしない日broken

激動の時代と文化と

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以下の記事を読んだ。
【ウェブ立志篇】米ミューズ・アソシエイツ社長 梅田望夫 – MSN産経ニュース
不景気で大変だけど日常を生きなくちゃいけなくて。24時間サバイバルすることはできなくて。そして以下、という文脈。

だからこそ文化や芸術が大切だということである。

確かに、と。文化とは、もちろん好景気の時も、人気を博すわけだけど、本領を発揮するのは、このような不景気の時ではないかと。
そして歴史という洗礼を受けた文化は、多くの不況や不景気、災害を受けた時代をこえ人々を救ってきた。
それは歌であり、言葉であり、踊りであり、あるいは建築物かもしれない。たった一冊の本に救われたという話はどこにでも転がっているし、上原隆さんの本では、そのような「ヘビィ」な状況を超える人々の話が盛りだくさん。
そうなんだな、と。
文化は人を時に救うのだ、と思った。そして、救われることを望むのは、まさに不景気の時代。それゆえに三段論法として文化は不景気の時にこそ求められる。とはいえバブリーな時代に咲いた文化(バロックを見よ!)もあるので簡単には言えないかもしれないけど。
リバーフェニックスは、

人を救うのは家族や恋人、友人など身近な人たちのたった一言だったりするんだ

と行っていた気がするけど、それも真なりだけど、同時に、その一言は文化が代替する。文化とは、身近な人の言葉の現身であるのだらうか。
と、ここまで数週間ほど下書きで放置していた記事を、なんとなく追記して公開。
人はツライ時に何に助けを求めるのだろう、と思った。人、という話はよく聞く話で。たとえば恋人とのいざこざやあるいは会社の愚痴、ないし泣き言を言いたいときは人は、その言葉の受け皿を人に求める。時には、それは不特定多数のネットかもしれないし、あるいは、犬や猫のヒト科以外の生き物かもしれないけど、いずれにせよ、人は生きていくと、色々な澱みを抱え、それをはき出す先を必要とする。それを誰かは「澱(おり)」と表したけれども。
ただそれはアウトプットでありインプットとは少し異なる。もちろん人の言葉やリアクションは大きなインプットとなる場合もあるだろう。たとえば公共広告機構のコピーで

命は大切だ。命を大切に。 そんなこと、何千何万回言われるより、 「あなたが大切だ」 誰かがそう言ってくれたら、 それだけで生きていける。


という有名なものがあるが、まぁそういうことだろう。
人にも頼るが、同時に人は文化に寄る。人はパンのみで生きるにあらず。
それは宮澤賢治の詩かもしれないし、風の声を聞く歌かもしれないし、Juergen Tellerのポートレイトかもしれないし、ファンキーな映画かもしれないし、いずれにせよ、それは何かを求める人に、場合によっては何かを提示する。間違った正解かもしれないし、正しい誤解の時もあるけれど、人はそこから何かをくみ取る。まるで身近な人からの助言のように。
ということで、最後に、あんまり脈絡なく「花咲く旅路」おいていきますね。激動の時代における、以下の言葉を何かの代弁として。

世の中は ああ 世の中は
なぜ こんなに急いてと流れてく