綺麗な文章に憧れがある。
どうしても自分のライティングは思いつくままに書いてしまうので論理的な意味でも、修辞的な意味でも、伏線的な意味でも、まったく美しくない。ただ美しさについて語ることは許してほしい。
美しい文章とはどういうものか?いろいろな種類はあると思う。
UIの部分でいれば、見出しやインデントやリストや改行を適切に使っているという美しさがある。
論理的なところで言えば、誰かを例示するまでもなく、ゆるぎなく美しいなピラミッド構成を作り出す魔術師たちがいる。
修辞的なところで言えば、個人的には塩野七生さんや開高健さん、芥川氏などが好きだ(反論はかなりあるだろうけれども主観で言えば)。
小説としての構成で言うならばやはり伊坂 幸太郎氏やポールオースターなんかは美しいと思う(これも極度の主観による偏見あり)。
文章のリズムなら村上龍や町田康なんかは素晴しい。
ともあれ。
ブログでも名前は敢えて挙げないけれど「なんて美しい文章を書くんだ」といつもうっとりする人がいる(有名な人ではなく友人で)。
さりとて、無理に今、美しさを分類してみたが、本来、このような美しさは分類不可能なものである。アンカウンタブルであり、ゲシュタルト形態のようなものである。
陳腐な比喩を使うならば、バラの美しさを客観的に記すことができないのと同じことだ。その色をRGBで説明して、鮮度や明度を記して、あるいは別の何かの引用して記したところで、そのバラの美しさは、写真1枚にかなうことはない。決して。
だからこそ、美しい文章が尊いものであり、そしてはかないことの理由なのだ。
よくできた文章や技巧が凝らされた文章は、ある程度の努力で身に付けることができる。それこそ「模倣」を続けていれば、いつしか近いものが生まれることになる。
しかし、美しい文章というのは上記のように文章化できないものであるゆえに、そう簡単に習得することはできない。
そして、同時に定理化が不可能ゆえに永続することもできない。いつしか美しい文章を書いていた人が、何かのピントがずれて、美しい文章をかけなくなったとしても、やはり、彼/彼女は美しかったころを取り戻すことはできない。なにがずれたのかわからないからだ。
よく使われるアイロニーを利用するならば、「何かが変わったのは明白だ。ただしよく変わったのか悪く変わったのかはわからない。」ようなことになる。
そして、厳密な意味での「美しい文章」も存在しえない。なぜなら、美しさというのはそれ自体が独立して存在しえるものではないからだ。
美しいという形容詞は、第三者による主観によって初めて付与されるラベルなのだ。そのため、「美しさ」というのは、必ず、常に誰かに寄りかかった形容詞である定め。
バラは名前がバラでなくとも美しいが、バラを見る者がいなければ美しくはないのだ。
そう考えると、誰しもが評価しえる美しさというものは原理的に存在しえないことになる(あるいは、反証可能性のレイヤーにおいては、近似値の完全な美しさを出すことは可能だが、それは仮説でしかない)。
しかしさりとてポイントは別のところにある。それは、美しさが存在しなくとも、美しさを目指すプロセスは存在しうるということだ。
よく言われる言葉に「完璧を目指すな。そんなものないから」という批難がある。しかし、それはある意味正しく、ある意味間違っている。
完璧は存在しえないのは事実かも知れない(それの判断は留保)。しかし、完璧にいたる道筋(正確にはいたるではなく、目指す)は存在しえる。
そのプロセスことが重要なのだ。それを証明するのが故人たちの遺業であり、その結果生まれたのが科学の進歩なのだ。
13次元の宇宙なんて存在しえないかもしれない。しかし、それを明らかにしようとする試みは決してナンセンスではない。あるいは話を少しずらした比喩を使うならば、神が存在するかどうかは問題ではなく、信じるか信じないかが問題なのだ。
そう考えると、美しさというものは手に届かないゆえに、逆にそのプロセスを深遠化し、広大化させてくれている。
「高嶺の花」は、恋人にするのではなく外から眺めている方が幸せなように、美しい文章とはそういう相対的な存在として、この世に欠かせない恋人なのだ。
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サハラ砂漠と続き
さて前回の続き。アフリカはサハラ砂漠。
まず、私はカサブランカからサハラ砂漠の基点であるダクラへ向かう。途中でマラケシュやクスクスを食す。もう飽き飽きとするバスの旅。風景は美しく姿を変え、自然の偉大さを教えてくれるけれども、いささか居心地が悪すぎるバスの中では、そうそう景色を24時間眺めていられない。
そもそも、窓の外は砂。砂。砂。たまに遺跡とたまに町。そんな飽くなき灼熱のバスは一路ダクラへ向かうのだ。
ダクラで何をするかというと、サハラ砂漠を渡るランドクルーザーをチャーターしなければならない。そもそも旅行者は、そんなところ渡らないので一般ルートは存在しない。しかし、現地の人々のルートがある。それがランクルなのだ。
問題は、どこで、誰に借りれるかわからない、という問題がある。そんな時、参考になるのが「旅行者ノート」だ。世界中の宿に散らばった旅行者たちのメモ書き。そこにたった1行でも記されている情報が我が身を助けることになる。
今回は事前に仕入れていた情報で、ダクラのあるカフェのオヤジがランクルのエージェントだという話を聞いていた。そこで、ダクラにまず宿を取り、そのカフェを探す。いくら町とはいえ小さな町。歩いて探すのは難しくない。しかし、問題なのは店の名前が書かれていなかったり、地図がないという問題だ。それでも、人に聞きながら、我々はその「おっさん」を確保。翌日のランドクルーザーに乗せてもらうことが決まった。
宿でゴロゴロしていると、宿のおっさんがドアを叩く。魚を食うからお前も来い、ということらしい。このような唐突な誘いはアフリカで数多く体験する。やはり、アフリカは旅行者が少ないから、珍しがられるのだろうか。もっとも、中東でも比較的多く経験した気がする(とくにパレスチナ)。
宿の屋上にあがると、なんの魚かわからない肴がパチパチと焼かれていた。そこに集う従業員達数人。腹痛の恐れがあるものの、腹が減っていたので魚を食べる。手でむさぼりくったその魚の上手いこと。宿のオヤジはアラビア語しか喋れなかったので(確か)コミュニケーションは困難だったが、なんだか思い出に残る夜だった。
そして、翌朝、集合場所へ向かう。
ランドクルーザーには、他に乗るのは現地のおばさん4人。2列のシートにおばさん4人と私。それだけだったらまだいい。その子供達が3人だか4人だか。そして特筆すべきは、そのおばさんたちの体格は常人の3倍ほどの容積を満たす。
つまり、6人がけのシートに16人だか17人だか座っているようなものなのだ(記憶違いだったらごめんなさい。でもこんなかんじだった)。ラッシュ時の山の手線もびっくりの混み具合。それに2泊3日を共にするのだ。しかも共通言語はフランス語(その時は)。
そして、現地人の荷物はもはや2階建ての建物に匹敵するほどの大きさとなり屋根を覆う。そんなこんなで巨大なクッパのようなランクルは、いざ、砂漠をかけることになる。
さて、サハラ砂漠。季節は夏。想像を絶する暑さ。当然、水は即効でなくなる。事前に用意したペットボトル3本もすぐに消化。そこで、やさしげな同行者(現地のおばさん)が水をくれた。おばさんと間接キッスのペットボトル。そんなことにひるんでいてはいけない。一番ヘビーな水は、スーダンで飲んだ路上のカメに入った水だった。ぼうふらがいてもおかしくない水を平気でがぶがぶ飲んでいた気がする。落ちていたペットボトルを半分に切った入れ物で汲み取って。それほどスーダンの砂漠は過酷だった。
あと水で思い出すのは、マリの電車で売られていた水だ。ガキたちが小遣い稼ぎに水を売りに来る。値段は市場の1/10ほど。なぜなら、その水とは水道水。それを拾ったペットボトルに入れて売っているのだ。ただし、それは凍っているので、なかなかうまい。最初は気付かず飲んでいて、案の定、死ぬほど腹を下したが、マリの2泊3日の旅が終わるころには、もう水で腹を下すことはなくなっていた。
まぁいいや。で、サハラ砂漠で何が大変かというと、まずはトイレ。まぁ砂漠に立ちション。大はひたすら我慢。そして、次に食事。最初から仕入れてきたフランスパンをちょっとづつ食す。あとはひたすらキチガイ馬車のように揺れ続けるランクルの中で頭を立てゆれしまくること数十時間。
夜は、他のランクルとコンボイを組む。なぜなら迷子になると死ぬからだ。また、すぐ砂漠に埋もれてスタックしてしまうため、他の車なしで走るのは自殺行為に近い。サハラ砂漠には無数の地雷が埋まっている。こちらには単なる砂にしか見えなくとも、そこには道があり、それをそれると現地人でも迷子になる。
案の定、20回くらいのスタックを繰り返し、ランクルはある場所に泊まった。どうやらそこは休息地点らしい。トタン屋根で出来たバーが1軒だけ砂漠のど真ん中に立っていた。それはそれは幻想的な世界だった。周りは砂漠しかない風景で、空には月が我々を照らす。そこでただ、ぽつんとある小さなバー。缶詰や牛乳パックしか置いていないけれど。残念ながらアルコールはない。
それでも、そんな幻想的なバーの前で、運転手や僕たちは、大の字になって砂漠の上で寝た。
そんなこんなで無事、モーリタニアのヌアクショットに到着。疲労困憊で、大事件が発生。到着したところで運転手が「チャーター金を払え」という。しかし、私はすでに乗る時点で払っていたために喧嘩になる。あとでわかったことだが、これは完全なる詐欺。しかし、非常にうまい具合にコンビネーションを組んでいて領収書さえも切らせない仕組みになっていた。パスポートを預けているので、逃げることも出来ない。
で、まぁ、大喧嘩。現地の警察ですったもんだで、とりあえず勝利。何が大変って警察が英語を喋られないからこちらの弁明ができない。しょうがないので、いろんな言語を織り交ぜながら陳述。ひたすら集まってくる暇人警察20人。ただ、その1人がスペイン語を喋れたので、まぁそれで助かった、という話。あのときほどスペイン語が喋れてよかったということはなかった。
こう書けばなかなか素敵なサハラ砂漠。でも実際は、もう散々だった。本も読むことができず、喉がからっからに乾いて、トイレもいけない状態で、腹も空腹で、そして山手線を越えた混み具合に3日間。なんど意識が飛んだかわからない。しかもはしり続けてくれたらいいのに、何回スタックしたか。もう2度とあそこにはさすがにいきたくないなぁ、と。まったくもってオススメしない。ただ、その砂漠のバーだけはもう1度くらい行きたいなぁ、と思うけれど。それだけを見るためには行く価値があるかもしれない。あんな幻想的な場所は、この26年間の生涯であそこしか思いつかない。
サハラ砂漠という地獄を渡るまでの道のり
さぁ。アフリカの話をしよう。
時は2003年に遡る。季節は夏。私はイタリアのローマ空港で買ったミネラルウォーターを飲んでいた。
そこからモロッコのカサブランカまでは数時間。機内食さえも手に付ける必要のないほどの時間だ。これから待ち受ける受難を知ることもせず、ただ気楽に本を読んでいた。確か、南アフリカで買ったAGウェルズの宇宙戦争だ。南アフリカはイタリアの前に行っていたのだ。
カサブランカに降り立ち、迫り来る熱風を全身に受けた。この感覚はどこの異国の空港でも味わう妙な感覚だ。その国の空気が体に染み渡ってくる。ハワイやブラジルなど南米の国では尚更、その空気は重い。
しかし、早速、トラブルに合う。アフリカではトラブルなしに旅を語れない。旅はトラブルの花言葉ではないかと思うほどだ。
何がトラブルだったか?それは私がイタリアからモロッコまでの片道切符しか持って居なかったことだ。普通に旅行をしている場合、ほぼ往復切符を買うので意識をすることはないが、一般的に片道切符しか持って居ない場合、現地の空港で入国をさせてくれないことがある。
なぜなら帰りの切符がないということは、「帰るつもりがない」とみなされるのだ。たとえ陸路で違う国から出るといってもお役所にはそんな言い訳は通じない。もっとも、これも交渉次第ではあるのだが。私自身、同じトラブルをすでにコロンビアで経験した。しかも陸路で。陸路でさえも帰りの切符がなければ入国させてくれなかったのだ。その時もゴニョゴニョとなんとか乗り切った覚えがある。
ちなみに片道切符で入国できる国の情報は、それゆえに貴重である。4年前当時で「イタリア」「エジプト」「タイ」がOKだった。それゆえに、エジプトはパッカーの拠点にされやすいのだ。ちなみにNGの国の場合は事前に往復切符を買うはめになる。そして、突撃してNGの場合は帰国させられるというとんでもない事態になるので要注意である。
日本人だからといって、不法滞在をしないと見てくれないのだ。そんなに世界は甘くない。
さて、今回もゴネルしか仕方がない。ここからイタリアに追い返されたところで泣き寝入りである。コミュニケーションという名のネゴシエーションは旅で求められる。まず言葉がわからないふりをする。適当な国ではそれでパスできる。次に、適当な旅券を見せる。英語で書かれているものだと、相手が英語を理解しない場合、それで通る場合がある。「ほら、これ出国チケットだよ」と。まぁ、でもこれでパスできることは少ない。ただ、某国では、日本の免許書を「ジャーナリストパスだ」といって、入れないところも突っ切るという荒業が使えたので、覚えておいても良いのかも知れない。
次に交渉手段はもうゲンブツである。「ほら、キャッシュこんなけあるやん。出国するってば」と。しかし、それでも、なかなか動いてくれない。奴らとしてはここで私をGOさせることがリスクであり、そんな無駄なリスクを取ることはないのだ。しかし、私とて、交渉しないとサハラ砂漠を渡れない。
次にカード。しかも、靴下に縫いこんだカードを提出。ついでに、ちょっと声を荒げ周りの人たちを呼ぶ。これにより、担当者のリスク分散をしてあげる。そこから待つこと1時間、なんとか入国を完了し、すでにへとへとの私がいた。
これから向かうのはモロッコの南にある町「ダクラ」。ここがサハラ砂漠への拠点となる。ここからモーリタニアのヌアクショットという町まで900キロをランドクルーザーで走りきる。
しかし、ダクラに行く前にすべきことがある。それがビザの申請だ。これも普通に旅行をしている分には意識することがないが、バックパッカーをする場合は欠かせない知識だろう。受験勉強における漢文の書き下し分のように欠かせない一品である。
旅先では旅行者たちが出会えば、まずビザの情報を交換する。なぜなら、ビザの情報は非常に流動的であり、同時に「あやふやなもの」だからだ。そして、さらには大使館によって取り易いビザと取り難いビザがあるのだ。さらには入国地点によっても入りやすさが違うのだ。
たとえば、当時、イスラエルの入国が急に厳しくなっていた。そのため、OKな日本人とNGな日本人が表れていた。また、アフガニスタンへのビザは各国によって取得状況が違う。基本は「隣国は敵だ」という概念は世界でも共通であり隣国でのビザ取得は硬い場合が多い(一般化はできない。印象である。)。そこでアフガニスタンに入るには、トルコで事前に取っておくのがベストだった(あいまいな記憶)。隣国のイランでは、なかなか取得できなかった覚えがある。また、タイのビザなどにおいては遠く離れたトルコが一番取りやすかった記憶がある(これもウロオボエ)。
まさに、ビザは旅における欠かせない通行手形であり、同時に頭を悩ませる呪詛である。しゃかりきに情報を集めて、戦略的にかんがえてこそ、やっと旅の最短ルートを導き出せることができるのだ。
ともあれアフリカでは特にビザが必要な国が多く、もし、取りそこねると先に勧めないというパズルな状況に陥るのだ。冗談ではなく、非常に厄介な話である。想像したまえ。北海道に入ろうとしたら「沖縄でスタンプもらってこい」と言われるようなものである。その数倍のスケールを想像してもらい、陸路が200倍くらい悪路ということを想像してもらったら良いと思う。
かくゆえにアフリカは旅がしにくい。それゆえに手付かずの地域も多くありエキサイティングなのだが。
さて、カサブランカでモーリタニアのビザを申請し、出来上がるまでに数日間、カサブランカで時間を潰すことにする。この日数も厄介で、相手によって代わる。とりあえず頼み込むしかない、という現状である。国によってはエクスプレスパスがあり、金を取られる。やはり、地獄の沙汰も金次第なのだ。
さて、モロッコは日本でもモロッコ料理があるためにご存知の方も多いだろう。クスクスと呼ばれるパサパサの米のような食べ物に土鍋も有名だ。しかし、中には「なんかの肉」が入っており、詳細は不明である。
そしてホテルの広場のテーブルでゴロゴロと新聞を読んでいると、妙齢の女性が話しかけてくる。
聞けばモロッコの女優で英語を勉強したいらしい。たまたま、私がヘラルドトリビューンを読んでいるのを見かけて声をかけてきたそうだ。このホテルには英語が喋れる旅行者がくるので、彼女にとって英語の先生を見つけるための堀なわけだ。
時間があった私は、話にのった。しかし、何が大変というと英語を喋られない人に英語を教えることの難しさである。いくらアラビア語を少しやったからといって、アラビア語で教えるのも一苦労。しょうがないので、身振り手振りも合わせながらヘラルドの記事を解説していく。
「これ新手のつつもたせでは?」なんていう疑惑もありながら、まぁ騙されたところで今は金もないし、という気分で付き合うこと数時間。
夕食の時間になり、夕食に行こうということになった。ついでに彼女の先生を紹介してくれるという。以下、飽きたので略。
そして、無事、ビザをゲットし、一路、南下することになる。バックパッカーにとって最難関の地と呼ばれるサハラ砂漠。そこに待ち受ける地獄も知らないで。
以後、気が向いたら書きます。
ネットで人生、変わりましたか?
ソフトバンククリエイティブ (2007/06/01)
売り上げランキング: 387
業界では知らぬものはいないIT戦士とは「ゆかたん」こと、岡田有花氏のことには間違いない。
そのゆかたんさんの今までの記事は総結集。ITで人生変わった人々がこれでもかと、ゆかたんさんが紡ぐ春の調べに乗って語られています。田口さんも書かれていましたが、インタビュー術を学びたい人にとっても間違いなく有効なのではないでしょうか。
メンツは、はてなの近藤さんや家入さん、ギャル社長、字幕inの中の人、ブサイコ、GREEの田中さんなどてんこ盛りで今にもあふれんばかりの躍動感ではちきれそうです。恐縮ながら、わたくしめもチラっと掲載して頂きました。
そしてもちろん1人Xmas特集も必見であり、これを逃すと人生を損をする。
まえがきには「本書はネット礼賛本ではありません」と書かれているように、ネットは負の部分もありながら、それでもやっぱり大きな力を持つネット。その意味を個人という視点から解き明かしてくれる一冊です。
まさに「ネットとは何なのか」という言葉に集約されているような。そして以下。
ネットのない時代にはもう戻れません。だから「ネットのせいで世の中が悪くなった」と嘆くことはしたくないですし、それにはあまり意味がない。
ここを読んで思い出したのが、宮部みゆきの「龍は眠る」。確か主人公の女の子は超能力者で、運命と戦うわけでございます。そこで戦いまくってへこみそうになります。で、なんか、負けるのが運命という流れになったのかな?そこで、彼女が自分に呟いたのが「運命なんて戯言だ。それじゃ生きてる意味がない」という言葉。解説ははしょりますが、非常に深いセリフです。
それと同じように、ネットは「悪」とか「すごいとか、あるいは「だめだ」とかそんな言説っていうのはやっぱりあまり意味をなさなくて。あくまでも、自分にとってネットとどう向き合うのか、ってのがやはり大切なんでしょうなぁ、とか改めて思った次第で御座いました。
以下もどうぞ。
人生に期待しすぎなんじゃない?
これもなぜかリストに書かれていた。
これって僕が書いたのかしら?あるいは誰かに言われたのかしら。誰かに言われるにはいささかヘビーすぎる言葉で、そうそう忘れることはないので自分で書いたのかもしれない。引用かもしれない。
少なくとも1年以上前に書いたものだ。
さて「人生に期待しすぎなんじゃない?」という命題はなかなか興味深いお題である。
さて諸君。諸氏は人生に期待しているだろうか。あるいは夢見る頃は過ぎてしまったろうか。
何か困った時、人生は絶妙な按配で、絶妙の采配を下す。信じられないような「奇跡」とでも呼ぶべき僥倖により救われたり、結局何も起こらず寧ろ泣きっ面にクマンバチの状態か。いずれせによ、つまりは確率の問題の領域を出ることはない話。
ともあれ、しかしそれと人生に期待することとは別の事象として存在する。人生で何が起ころうと、あるいは何も起こらないとしても、それはあなたがどう考えるかとは別の次元の話なのだ。
人生は期待すべき価値のある対象か、という命題も派生して興味深い話である。人生が陳腐でちっぽけならば、期待すべき対象ではないけれど、そもそも人生が雄大で広大で壮大だったとしても、そもそも人の期待なんて何かを期待するものを持たない動詞なのかもしれない。いずれせによ、これは検討するプロセスは興味深いとはいえ、結果が面白いものにはならない。期待すべき対象であろうとなかろうと人は生きていかねばならぬのだ。結果によって行動が変わることない命題は答えを出すべきじゃない。そんな人生短くない。
さて話を戻すと「人生に期待しすぎなのか?」。ここで興味ぶかいのは「しすぎ」という言葉である。つまり、節度の保たれた期待ならば、それはそれで期待しすぎとはならない。臨界点を超えてこそ、やっとその期待は成り金となれる。これを検討するには別のアプローチから考える。
「したいことをして生きられるのが幸せだ」という言説を最近、いろいろなところで目にして。これはある種の期待である。それが幻想かも知れない可能性は認めない。そもそも、実現可能性を検討しないままにそれを受け入れることも期待である。
結論としては人生はそんなに甘くない、というのが共通見解だろう。誰がなんといおうと人生は甘くない。これは自明の理でありギリシア時代から自然界三大前提の1つである。疑ってはいけない。さりとて「人生が甘くない=したいことをして生きる」是非はまた別だから話はややこしい。個人的には最近、これに懐疑的で、人生とはしたいことをして生きるほどもったいないものはないという気がしている。人生とは、やはり「すべきことする」の方がとてもしっくりくるのだ。それはしたいことではなかったとしてもすべきことであればすべきである。そういう心持が強い。もっともこれは主観であり、なんのファクトでもない。
ただそのスタンスで見れば、人生に期待することはない。なぜなら、期待しようとも期待をしなくても、結果が変わらないからだ。すべきことをする以上、人生が優しかろうと厳しかろうと、そんなの所与条件としてとっぱらっちまえ、となるわけである。
ふむ。つまりこれは主観をベースにした人生に期待の無効化とでも言おうか。それにより落胆のリスクヘッジというかモーターサイクルダイアリーズというか。
完全に個人のメモ書きになってしまった。
もうすぐ夏だ
あの頃はまだ知らなかった。湿った木の生い茂る神社の裏側で、僕はただ無能に夏の日差しを浴びていた。木に打ち付けられた紙の「わら人形」が何をするかなんて意味を知らなかったし、その子供にとっては知ったところで何も人生に寄与する話でもなかった。ただ、永遠に続くような蝉の鳴き声。そして、もはや町中に立ち上る蜃気楼。くらくらしても、水なんていらなかった。声をからしてボールを追いかけまわっていた。無論、そんな時間は長くは続かない。世の理の如く、時は流れ、人に死に、夢は霧散する。木っ端微塵。それでも、子供ゆえの傲慢さと、そして怖いもの知らずの単細胞。その歯車が回っている限り世界は自分の手の中でまわっていたし、彼にとっては実際そうだった。まるでざりがにを釣り糸で釣るように、世界はチャチで飄々としていた。悪くなかった。
夏がいつの日からか顔を変え始めた。朝顔という言葉を聞かなくなって久しくなってからだ。朝顔の水遣りに言った日々を今、懐かしく思い出す。もはや池とは言わない干からびたデカイ穴をただ、友達と眺めていた。時々石を投げながら。恋という言葉さえも知らず、知っていたところで彼らにとっては邪魔なものだけだった。世の中の万事は適材適所で動いている。あなたが知ろうと知らまいと。誰が転校してきても、誰かが転校していっても吉本隆明が転向しようともどうでも良かった。そんなの3日と持たない刺激。刺激を求めて犬を追い掛け回し、こおろぎを飼う様な。そんな夏はいつしか水着とビールの夏になる。カブトムシはもういない。かたつむりもいなければ、カブトガニだっていない。道頓堀にも、筑後川にももういない。稲穂が色づくころにはそんな夏も色あせて来るべき冬の憂鬱さと見たこともない空の重さ。そんな日々の中で夏の思い出は磨耗してゆく。
夏が全てだったとは言わない。しかし天主が作った造形物の中では秀逸なるものなのだろう。夏を造形物といわないのかもしれないが。いずれにせよ太陽は罪なるもの。そして神の共犯者。愁嘆、悲嘆、嗟嘆と人の嘆きと鬼胎を屈託することもなく狼火をあげる。根本から震源から禍根さえも燃えつくすような情熱で底なしの時間が平々凡々な日々に上乗なる時間を上乗せする。六日の菖蒲と目ぼしいものなんて肝心要のベンベルグ。
それくらい夏とは雄大だった、てことだ。
20年間、歌を聴かなかった人は歌を理解できるのだろうか?
Checkpadでブログのネタというリストを1つ作っていて。ブログに書きたいことを思いつきでメモっている。
その中でこんな一文があった、「20年間、歌を聴かなかった人は歌を理解できるのだろうか?」と。
これは自分で思いついて書いたのか、どっかからの引用なのかわからない。いつ書いたかさえも覚えていない。
でも、土曜日の朝もやけの中、なんだか気になる一文だった。
20年間、歌を聴かなかった人は歌を理解できるのだろうか?
なんだか枡野浩一の詩みたいだ。
どうなんだろう。有名な話では、外国人は「虫の音」を理解できないとのこと。いわゆるこおろぎとかの虫の音(むしのね)と呼ばれるものね。
なぜなら、そんな風に聞くことを習ってきていない、あるいは聴いて育っていないから。彼らにとってはノイズにしか聞こえない。
それを応用するならば、きっと20年間歌を聴かない人は歌を声にしか聞こえないのかもしれない。
ロックを殆ど聴かない人がロックを理解できないように。あるいはヘビメタだってジャズだってクラシックだって構わないけれど。そういう音楽ってのは慣れることによって理解できる。伊坂さんの「砂漠」でもそういうフレーズがあった。
ではこれを応用しよう。
20年間、恋をしなかった人は恋を理解できるのだろうか。
これは非常に難しいテーゼである。
恋はすべからく普遍的で平等たるものなのか、あるいは相対的なもので自分の鏡となりうるのか。そんなもの論証できないが、ただ人間の生物としての偉大さを考えれば、恋=生殖活動と考えるならば、前者なのかもしれない。
ではでは、さらにこれを応用しよう。
20年間、死ななかった人は死ねるのだろうか?
これはジョークでもなんでもない。これの意味するところは「20年間、死というものを意識しないで生きてきた人が、いざ死ぬときに、その死をちゃんと受け入れられるのか?」ということである。
春樹大先生曰く、「死とは生の対なるものではなく、生に含有されているものなのだ(うろおぼえ)」である。つまり死は行きながらこそ、それをちょっとづつ身にしみこませていくのである。良かれ悪しかれ。
しかし、その死について考えなかった人は自分の最後をそれはそれとして認識できるのか。もっともこの問いを考えるには、そもそも死を身近に考えていたところで、死ぬときはやはり死を理解できないのと同じことで、どちらにせよ結果は同じ、という問題もあるのだが。
興味ぶかいジョークとして、このようなアイロニーがある。
「この世の中で、死は存在しない。なぜなら死んだ人の話を聴いたことがないからだ」というものがある。
これは真である。臨死体験とかはあるが、それはあくまでもも「死の一歩前にいっただけ」であって、死とは「帰ってこれないこと」である。つまり、死んだ人は存在しないのは、定義上、必然なのである(死と「帰ってくる」はいわば背反関係にある)。
そう考えると、死を理解するのはそもそも不可能で、せいぜい体験できるのはキルケゴール先生のいう死の香りがする絶望くらいである。
そう考えると死について考えるのは、いささか厄介な話になってくる。なぜならその効用が見えないからである。効用が見えないものは、諸刃の剣である。いつしか自分にその「無化」された行為が帰ってくる。つまり、「私は一体何をしていたというのか」という自省がその一端だ。
では考える必要ないかというと、それはいわゆる価値観の問題なので、答えはでない。しかし、考えるということはその行為を自分で取り込むということである。いわゆる最近、明らかになった「モノマネ細胞(通称)」の存在をみよ。たとえば、ピアノを弾いている人を見ると自分がピアノを弾いている状況と同じになるように(脳波などが)、考えること、見ること、想像することは、すなわち行為を疑似体験するということである。そう考えると、やはり、考えたところでそこにたどり着かないとしても、少しは近づけるのではないか(これは仮説である)。
そうすると、逆に考えれば死を考えすぎることは、死んでいくのと同義。それは固体の維持という人間の本能から考えて避けたいところ。じゃあ、どうすればいいかというと、どうもしなくていいわけで20年間夢を見なかった人でも電気羊の夢は見る、多分。
個人的に好きな動画をいくつか
先日、ちょっと動画を調べる機会があって。で、わたくしめの最愛の広告であるApple、ThinkDifferentのかのCMを見つけた。
CF クレイジーな人々へ (いけいけどんどん)
いままで外国版(本家版)はあっても日本語の奴がどうしても見つからなかったので欣喜雀躍エビぞりぎみに喜んだわけでR。いやー、このときほどYouTubeに感謝したことはないよ。
ということで、ついでなので個人的に気になる動画を自分用のメモとしてまとめてみた。たまにみかえしちゃうんですもの。では以下より。今回は主に泣ける動画系。
■テンションを上げたい時に:Appleの伝説のCM
こちらがかの伝説のCM。見たもののアドレナリンを爆発させ日本を混乱の渦に陥れたと言う(嘘)。でも衝撃だったなぁ、見たときは。でも、改めて日本語版を見ると本家版の方が良いかも、なんて思ったりして。LAでお世話になったパンチョさんはこの声をWindowsのたちあげの音声ファイルにしてはったような。
■人生に疲れたときに:あるダンサーの一生
これもYouTuberの中ではデフォルトに有名な動画ではないかしらん。違うかったらごめん。でも、しばしばそこらで紹介されているのを見かける。ただ踊っているだけの動画。たしか、家入さんがこの動画に関して「涙がでる」とブログで書いて張ったが、強く同感。ハハという笑いから、えもしれぬ慟哭が襲ってくるのだ。
なんか「がんばって生きよう」と強く思わせてくれる一品。疲れたときに見ると元気がでる。
■号泣したい時に。:世界一強いパパ
これは参った。涙腺叩きつけられた。とはいえ、この動画がピンとこない方もいらっしゃるかと思うけど。個人的にこういう寡黙なハードボイルドに弱い。いや違うな、何なんだろう。この動画が伝えるのは。これも形容しがたい感情が刺激されるのかも。音楽も素敵。
■親子愛関連:ありがとう
これも泣ける動画として有名なCM。明治安田生命。小田さん素敵。このCMを見た人は7割の確率で、この唄を口ずさむ(原田調べ)。上のパパさんと同じ系譜か。
■恋愛したくなる系:君を待つ
たまたま見つけた動画。ミュージッククリップなんだけど、動画素敵。なんか恋愛っていいよね、というかなんというか。ボーイズビーというか。アニエスベーというかなんというか。唄に関しての評価はいちおう差し控えさせて頂きます。
■スポーツ好きな人へ:ジョーダン
だーいぶ前にサニーかの日記で知った動画。上を見てから下を見るとベストとのこと。えせバスケットマンだった原田としては思うところ多し。そういえば2年くらい前にスラムダンク全巻を大人買いして一気に読んだけど、今でも余裕で泣けた。すげえ。
■クールっていう形容詞を学びたいときに:ミリオネア
これは、はてぶとかで有名になっていた動画。改めて。アメリカ(イギリス?未確認)版のクイズミリオネアの1シーン。かっこよすぎる。映画みたい。と、ありがちな感想。
というわけでメモでした。
西尾維新の「戯言シリーズ」を今更ながらに全部読んだ
いや、申し訳ない。西尾維新フリークとしてお恥ずかしい限りなのだけれど、戯言シリーズをやっと通読した。今まで、断片的に読んでいて歯抜けがあったのだけど、今回、やっと全部読みきった。
CF
2006年、原田の眉間を刺激した小説12冊 (いけいけどんどん)
しかし、メモを全部実家においてきてしまったので引用できず。無念。
で、この西尾氏は「ゼロの波の新人」の1人と言われているだとか。もう2人はこのブログでも何度か紹介した舞城王太郎氏、そして佐藤友哉氏。個人的には佐藤友哉氏の本はいまいち肌に合わない。全員、メフィスト賞受賞だっけ?違ったらごめん。いわゆるミステリの若手。2000年以降にデビューした人たち(で合ってる?)。
高木氏いわく「物語中に重要な人物がすぐに死ぬのが凄い」と2年くらい前に言っていたのが改めて実感。「え、なんでこの人しぬん?」というようなシーンが多発。ある意味、文学に挑戦しているという意味では、メタ文学。
主人公成長物語としては、ドラゴンボールの系譜に入れてもいいのかもしれないけど、まったく違うのは、その容赦なさ。ざくざく死ぬ。えげつないくらいに人が死ぬ。それは爽快でもあり、同時に、なんだかすごい違和感を残すという点では、新しいインパクトがある。
で、西尾氏自身が言っているように森氏の影響が垣間見える気もする。天才大好きなところとか。あと、ジョジョの影響がいたるところに散見できる。登場人物の形容詞に「ディープパープルみたいな人」という言葉は小説で始めて見た。あと、「幻影旅団」の名前とかも、にやりとされる。うまいよなぁ。この辺のサブカルじゃないけど、なんつーか、カルチャーごった煮?「わかるよ」みたいな。どうでもいいけど、富樫氏のレベルEでも、筒井康隆氏のオマージュが含まれていたのが懐かしい。ちなみにジョジョの荒木氏も筒井氏が好きとなんかで公言していた。
こう考えると、宮部みゆき氏の偉大なる箴言「僕らは時代の子だよ」という言葉に首を垂れるしかない。いつだって我々は、知らない間に、巷に溢れる文化に埋もれていきているんだ。それこそガンダムだったり、ドラゴンボールだったり、ドラゴンクエストだったり、ロードオブザリングだったり、宮崎駿だったり。
今更僕が言うまでもないけど、ミステリ好きの人は必読ではないだろうか。今後ますますファンは増えるのかしら。もうピークは過ぎたのかなぁ。個人的に「りすか」はイマイチ肌に合わないのだけど。
これを新しい文学の潮流と呼べるのかしら?それは専門家に任せたいところだけど個人的には気になる。というか文学はどこまできているのかしら?浅学なものでわからないや。近代文学史はあれだよね。戦後でひとくくりにしちゃっているよね。国語辞典とかは。で、60年代で思想系はひととおり終わったんだっけ?その後にはもう荒野になっちゃったところにW村上だった?ああ、大江健三郎インパクトがその前後にあったんだっけ。ふーむ。わかんないのに言うのはやめよう。赤っ恥をかく。
ああ、個人的に「エンターテイメント小説」の王とあがめる「伊坂幸太郎」氏「石田衣良」氏にならぶ「エンターテイメント」を提供してくれてはるのが西尾さんということも付け加えたい。全力、おもっきりの主観としては。どういうことかというと、もう受けるターゲットをここぞというまで狙い済まして、そして、どまんなかに狙い通りのものをぶち込める人々です。特に伊坂氏と西尾氏に共通するのは、あきれるくらいの伏線。シリーズを超えてのね。それはなんつーか、もう小説とかの括りを超えた芸ではないかと、そう思うわけでありますよ。
ともあれ、パンチの効いた小説を読んでみたい方はいかがでしょうか(注:嫌いな人は大嫌いだと思う。特に読めないと思う。ジョジョ好き、メフィスト好き、ゲーム好きの人ならきにいりはるかも)。
ちなみにシリーズ一冊目はこれ。
クビキリサイクル―青色サヴァンと戯言遣い
ALONE TOGETHERを読んだ
なんか最近、書評多い疑惑。まぁいいか。いつも通り、本多さん。思ったけど、春樹に似ているところ御座いませんか。
ある男性が主人公。終電を逃して泊めてもらおうと彼女の家に行きました。すると彼女にこういわれます。
「今日はどうしたの?」
「人と会ってて終電がなくなっちゃったんだ」
「人?」
「女の子」
「可愛い子?」
「まぁまぁ、かな」
よしよしとうなずいて熊谷は笑った。
そして彼女はこう言います。
「可愛くもない女の子と話しこんで終電を逃すような間抜けはうちに泊めたくない。
ふーむ。
で、次。春樹さん的に言うならばダンスダンスのユキ的な女の子のセリフ。
知らないの?人生って綱渡りなのよ。
タイトロープダンシングって奴ですね。人生が綱渡りかどうかの検証はなかなか興味深いような気がする。まぁ、本人の価値観次第にはなるけれど。でも、綱渡りよりもロシアンルーレットのほうがいいなぁ。
「子供は三歳までであらかたの親孝行を済ませているという考え方もあるそうです。」
「つまり?」
「つまり、3つまでの可愛さで親は十分に喜びを得ている。だから、その後、どんなに子供に苦労させられても、その記憶を頼りに子供を愛する事ができる。
この概念かなりヒットした。すでに2回も他のところで使ってしまった。
~諸事情により略~
「することが変わるわけじゃないでしょ」とサクラは言った。
もっともな意見だったがそんなことを言ってしまえば大概の物語と音楽と絵画はその存在意義をなくす。
あれですよ。「もののあはれ」「をかし」は、もしかするとメタファーから来ているのではないか。あー、そうだ。どっかで引用しただけど、で、いま調べた。あった。「本の読み方 」で書かれていた以下の文。
比喩がきまっている、というのは、提出されたイメージが例えられるべき現実に重層的に対応しているときである。
うむ。つまり、やりまくりたいという言葉を使うならば、それに応じたストーリーが必要だな。それが出来るとそれが芸術になるのではないか。
空の青さに涙を流していられるほど大人は暇じゃないんだ。
そして、涙を流されて困るほど子供でもないんだ(嘘
で、以下はその女の子が下着をデパートに買いにいくということで、ついていかされた主人公の独白。
略
「正論ですね」と 僕の声はいった。
「けれど、僕の知る限り、人は正論では動きません。
そこが問題。では、それを課題とすると、正論を言い続けると人は動くのかどうか?1つは言葉への耐性が出来るので、もはや効用は隠遁するという説。もう1つは、蓄積された言葉がいつか臨界点を超えるという見方。個人的には後者を信じたいけど、これもケースバイだね。というか、毎回同じ正論を言ってちゃ人間の生理的に耐性が出来るのは間違いないから、手を変え品を変え言葉をかえなあかん。ちょうどこないだ読んだこの本に書いてあったことが以下。ヘミングウェイの話。
「老人と海」を2000回も書き直し、「武器よさらば」の結びを44種類書いたといわれる。少しづつ異なったアプローチを続けること。しかし、やり続けることである。
これだな。
略
才能というものが自分の力を信じきることできる能力だとするなら、彼女にはそれが賭けていたのだと思います。
深遠なるお言葉ですね。