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Pay it forwardなタクシー

ある夜、タクシーに乗った。

西麻布の交差点からだ。そこから天現寺あたりに向かいたかった。

しかし、その日は金曜日ということもあり、またゴトウビということもあり、タクシーの空きが少なかった。

仕方ないので、西麻布の交差点から外苑西通りを広尾の方に歩いていた。歩きながら空車のタクシーを待つが、当然ながら、空きタクシーはこない。この道では空きタクシーがくる導線がないのだ。

しかたなく逆車線で止めて、Uターンしてもらう。

そして、聞いてみる。

こういう理由で、逆車線で止めてもらったんですけど、こういうのってタクシーの運転手さん的にはどうなんですか?

と。つまり、「Uターンがめんどくさい」という思いや「Bの方向が社屋のためBに向かう客を止めたかった」という場合に逆車線で止められると、あまり気持ちの良いものではないのではないかと。

そうすると、「いや、気にしなくていいですよ。皆さん、そうやって止められることも多いです」という。ないし、運転手さん自体が、逆車線の人を拾うことも多い。

話のついでにいろいろ聞いてみた。

駅やホテルのタクシー乗り場で待っているタクシーに乗るときに、初乗りだったら申し訳ないので、あれに乗れないのだが、どうしたら良いか?

という話も聞いてみた。

そうしたところ「その付近で止めてもらって問題ない。数年前までは、のりばじゃないとダメというルールはあったが最近はあまり気にされなくなった」という。

その後、景気などの話もしながら、天現寺の先の目的地につく。

降りるとき、830円をメーターはさしている。

「800円で良いですよ。30円は気持ち。お客さんはタクシーの運転手さんの事を配慮してくれてるから。嬉しかった」

とおっしゃってくれる。

たった30円だが、その30円は、その値段以上分の価値が詰まった30円で。そして、僕としても、その30円分の価値は、次にタクシーに乗るときに改めて返したいな、という思いになる。

何かこういう「Pay it forward(恩送り。人に良いことをしてもらった場合は別の人にその良い人を送ること)」は、結構、人を動かすモチベーションになっているのではないかな、と改めて感じた出来事でした まる

最近メモった語彙

Twerking

去年あたりからwebの検索ワードで急上昇している、クラブなどで女の子がやる腰を低くしてお尻を振るダンス。アメリカの歌手、マイリーサイラスがよくやっている)

«まるでマイリーサイラス!イマドキのロボット | Heaven(ヘブン)

承前

twitterでよく見かける。前のツイートの続き

«[N] 「承前(しょうぜん)」とは?

フィーカ

甘いものと一緒にコーヒーを飲む?

«フィーカ – Wikipedia

デコルテ

de-(・・・からはなれた)+collet(首)で、「襟ぐり(が深い)」という意味のフランス語。現在では首から胸元にかけてを指す言葉として一般的に使われています。

«デコルテ とは – コトバンク

シャビー

みすぼらしい

デッパツ

出発

おためごかし

表面は人のためにするように見せかけて、実は自分の利益を図ること。じょうずごかし。

«おためごかし【御為ごかし】の意味 – 国語辞書 – goo辞書

ノームコア

極端に普通

«「ダサい」のが今一番クール。NYの最新トレンド「ノームコア」。 | ソーシャルトレンドニュース

Picky

好みがうるさい

move the needle

大きな変化を起こす

財布に千円札を入れること

財布に千円札を9枚ほど入れておくのは当然のことだと思っていた

・飲み会で4000円を出さないといけない時
・タクシーで1000円札がない時
・自動販売機で飲み物を買うとき

などなど、1000円の活躍範囲は半端ない

ゆえに1000円札はできれば9枚、最低4枚は財布に入れておくと便利である

しかし、そのことをチームの人にいったら

・財布が痛むから嫌だ

といっていた。そういう観点はなかったので勉強になった

それだけ

ある週末の日記

・ある日の金曜日。0時前後:麻布十番でEDM関連のお店がオープンするということで、EDM好きとしては偵察に
・渋谷からは、目黒経由にするか青一経由にするか考え、青一経由で
・久しぶりの青一。ここのホームは階段横の通路はとても狭いので、歩くのがとてもストレス。1万回に1回は「足元がふらついてホームに落ちる」「誰か酔っぱらいなどに押されて落ちる」などが起こりそうだ。たとえ1万分の1でも、そんなリスクは犯したくない(理由:損害が無限大に近いので、期待値できには無限大のリスクをはらむ)
・いつもどおり、大江戸線で待つ。山の手ユーザになってからは5分以上の電車を待つのがストレスになってしまった。僕はJRに甘やかされている
・そして、久しぶりの麻布十番。もはや出口を忘れた。適当に歩きながら、地上にでる。店は、ウェアハウスの跡だと思ったら、Fバーの跡だった
・しかし、マンシーズの前で偶然、前職の友人に会う。六本木や麻布十番を歩くと3回に1回は知り合いに会う気がする。そういうのって単純に楽しい
・店は激混みしていたので、諦めて、友人とお話する
・2時:六本木から恵比寿は電車で帰ると大変なので、西麻布経由でいい感じで帰る
・帰宅途中、ファミマで低脂肪牛乳と朝食用にハンバーガーを買って帰る
・翌朝、10時に起きる。
・ハンバーガーを食べる。40秒チンする。袋には45秒とかいてあってが、5秒単位は無理や。50秒ではなく40秒というところが性格を表している気がする
・そして、10時30分、着替えて、習慣のマラソン
・天現寺、古川橋、三の橋、仙台坂上、有栖川公園などを経由。音楽は、手をたたけ/NICO Touches the Walls(goosehouseカバー)、「madonnaのray of light」、「ラッツ&スターのロンリーチャップリン」、EDM系(Axwell、W&Wなど)」、「Charcoal FilterのBrand-New Myself」、「Pia-no-jaC←のParadiso」、「Baby BashのCyclone 」などデタラメにシャッフルがかかる。
・帰ってくる。今日はそんなに熱くなかったのでいつもより水はいらない
・とってた前週のカンブリア(孫さん)を見ながらストレッチ。プロテインを飲む。
・そして自転車でジムへ。ジムでは、10分トレッドミル。なぜか唯川恵さんの短篇集を読みながら走る。その後、30分マシーン。棒を上から下にひっぱるやつ(名前なんていうんだっけ)を、今回はスタイルをかえる。今までは首の前におろしていたが、首の後ろにおろして、肩甲骨をより攻める。
・そして、プール。今日はプライベートレッスンの1ラインが使われていて狭い
・クロールでゆっくり25メートル往復を5本だけ
・そして、シャワーを浴びて、外に出る
・前からいきたかったkintanにいく。焼き肉屋。夏は肉だ。
・混んでいたので、空くまで、アトレの有隣堂へ。有隣堂が工事中で内装がかわってる!
・雑誌を一冊かって、店にいくと、開いていた。
・週末なのに1000円で食べれる焼き肉ランチ。CPすごい
・その後、「テーブルを吹くときの霧吹きみたいなやつ」を買おうと駅前のマツキヨへ。当方、生活消耗品はティッシュから洗剤、サランラップまですべてネットで買うのだが、こういう「もやっとした何か」の時はさすがに店舗にいかざるを得ない
・そして、霧吹きみたいなやつを買って、コンビニへ。小雨がふっている
・コンビニで食料の買い出し。ポテトサラダと金のハンバーグ。あとアイスクリーム(チョコナッツ)
・そして、帰る。ガーデンプレイスの道で大学時代の同級生とすれ違う。だから油断できない(髪型とか、ちゃんとしておかないと、、、でもジム帰りにちゃんとするのも億劫、、、)
・シャツをクリーニングへ出す。今日は普段は見ない組み合わせの人だった。この店のシフトは謎。全然読めない。いつもどおり、早いピックアップなので10%割引券をもらい、そのままそこで使う。タタミでお願いする
・それからもう一度、帰宅。
・あ、散髪いかなきゃ、と思い、ホットペッパーBeautyで予約。これの利点は、いちいち電話せずにできることだ。しかも、当日の1時間前でも対応可
・で、予約して、デスクワーク
・それから再度散髪へ出かける
・いつもお願いしている人。この方は、散髪中に不要な会話をしないので、ものすごい助かっている。しかも、当方の雑誌の趣味をわかっており「はい、今回はこれがおすすめです」と出してくれる(ただしこのフィットする美容師さんにあたるまでは6件ほど放浪した)。今回はPopeyeのサンドイッチ特集だった(なお、前回はターザンの「これは実はやってはいけない健康法」だった)。で、サンドイッチに関する見聞を深める
・本に飽きたら、最近、流行っているINGRESSを少し嗜む
・散髪が終わって、小雨の中を自転車で帰る。
・ちょうど夕食の時間になったので、せっかくなので、食べてかえるか、と思い、パスタ屋へ。
・金曜日のランチでイタリアンの店にいって、パスタを食べたい気分なのに何を間違ったかオムライすを食べてしまったので、その埋め合わせにパスタをたべる。シーフードのトマトパスタ。昔はクリームベースが好きだったのに、最近はペペロンチーノやトマトベースが好きになり、嗜好が変わったことが良いのか悪いのかは受け入れられずにいる
・その店でも知っている方がいて、油断している自分は少し気まずい。
・そして、帰る
・音楽をかけながら、デスクワークをひたすらする
・かってきた牛乳とネットで買ったコーヒーをブレンドして自分でカフェラテを作り大量に飲む
・そして、合間に、HuluでSuitsを見る。面白くて死にそう
・合間に、甥っ子、姪っ子用におもちゃを買う。実家に帰るとき用に。しかし、家におくると持ち運びが大変なので、そのまま実家に配送してもらう
・合間に、新幹線やらをネットで買う。行きは「駅ねっと」で予約し、帰りは「予約EX」で予約するという複雑魔境。なぜなら「駅ねっと」は、西日本で切符を受け取れないからだ。しかし「予約EX」はUIが最悪なので、できれば「駅ねっと」で予約したいという心境
・今にいたる

フレンチはソースである、ということ

アートと楽器の話をしていた。

その人はアートは長くしているが、楽器は短かった。そこでこういう。

楽器はしていて「ああ、そういうことか」という世界が見えなかった。アートでは見えたのに

という。

つまり、アート、いわゆるペインティングだが、をしていて、最初は言われたことや偉い人が行っていたことがどういう意味を持つのかはわからない。ただ、ある瞬間に「ああ、そういうことか」とストンと腹に落ちる瞬間がある。そして、楽器ではその「ストン」と来る瞬間が来なかった、という。

そういうことは、誰しも経験したであろう。

たとえば、教訓もそうだ。うちの父親がいう「いつまでもあると思うな親と金、ないと思うな病気と災難」といった箴言は、きっと病気になった時などに「ああ、確かにそういうことなんだな」とまさに体験してこそ気づくものである。

他にもたとえば、自分の例でいえば、会社の経営や組織の話だってそうだ。大学時代に1万円前後もするベンチャーの本を読んだ。行っていることはわかる。しかし、それらの意味の少しづつが、ストンと理解できたのは、やはり自分でその現場を経験するからだ。たとえばマーケティングの「4P」なんて意味を理解するのは簡単だ。しかし、それを自分で使えるようになるには、血肉として使えるようになるには、多くの経験を要する。

アウトサイダー(コリン・ウィルソン)の言葉を借りれば「向こうの世界が見えてしまった人」(うろ覚え)ということであろう。

ちょうど、これに近い経験を先日した。

フレンチとはソースを食べる料理である、という一文だった。「ああ、そういうことか」と得心した。

もちろんこれに反論がある人もあるだろうし、フレンチの定義としてこれは不足しているという趣もあろう。ただ、そういわれると「ああ、確かに、なるほどな」と感じるところもあるのも事実である。

そう考えると、いままで見てきた、食べてきたフレンチの見え方がまったく変わる。ソースがきになる。ソースが表に出てくる。

また、友人がワインを飲んでいるシーンを見て、似たような思いをした。その人は、あるワインを頼んで、匂いを心から楽しんでいた。いや、ワインとは確かに匂いを楽しむ飲み物だと頭は理解していても、あのように満面の笑みで「この香りは最高だ」と言い切れるようなものだとは理解していなかった。「この香りだけでいい」と言い切れるほど、ワインの香りの価値を把握はしていなかった。飲み物の味がそこまで人の表情を豊かにする、ほころばせるとは、一種の驚きでもあった。

きっと、それはワインだけの力だけではその世界は見えず、受容する側、すなわちこちら側もそれを理解する力を求められるのであろう、と思う。フレンチも食べたことがなければ「ソースである」といわれても、「ふむ」となってしまうように。

そう考えると、人が見ている世界は人によって、ほんとに異なるんだろう、と思う。

同じ街を見ていても、たとえば広告の人は広告を見るように、小説家はそこにドラマを見るように、ないしアパレル関係者はファッションを見るように。

同時に自分の見る世界も10年前と今では異なる。さらに10年後では異なるのだろう。そういうことで、いろいろなあちら側を見てみたいと思いました まる

フェチ

飲み会の席で、話のネタとしては三番打者くらいの無難さを誇る「フェチ」トーク。

その人がぐっとくるポイントのお話。たとえば

  • 王道のうなじ
  • まぁまぁ人気の鎖骨
  • 少数に強い支持の肩甲骨派
  • 大人になると気づくわき
  • 喉仏
  • 看護師さんに多い血管
  • 匂い
  • 指先

などなど。結構、人によってフェチは多く、まさに、僕が好きな名言「世の中には、人が想像しうるだけの変態が存在する」というものの立証になっている。

しかし、思えば、この自分のフェチズムに出会うのは、まぁまぁ偶然が多いのではないか。つまり、人は最初から「肩甲骨が好きだ」という風に生まれ持つわけではない。いや生まれ持っているのかもしれないが、言語化はできていない(フェチが生得的か習得的なものかはさておき)

あるとき、鎖骨をみて、少し胸がドキドキする。体温があがり、鼓動が早くなる。そのような経験を重ねて、人は「ああ、自分は鎖骨が好きなのかもしれない」と気づく。いわば、アレルギーの発見にも近いものがあるのかもしれない

で、私自身、今まで、フェチはいろいろいってきたものの、実は本当のフェチではなく、その場その場でお茶をにごしてきた。しかし、先日、以下の記事を見て、ふと、あ、自分はこのフェチだ、と気づいたものがある。

«大人の女のポニーテールにグッとくる! – 美的(ビテキ) – X BRAND

それが、髪型。編みこみである(こういうの

確かに、今まで人の髪型を見て「あ、編みこみ良いな」と思うことがあったが、それは、固有的なものであり、普遍的なものではないと思っていた。しかし、思い返すに、それは共通項として存在しているポイントだった。まぁ、当方のフェチの話なんてどうでもいい。

ポイントは、人は意外と自分のフェチに気づいていないのではないか、ということだ。

僕なんざ、今まで散々、この髪型を見てきたけれど、ふとした瞬間まで気づかない。蓄積された自分の経験があるとき、分水嶺を超えて、ながれだし、意識上にあがる。

そう考えると、そうとうマニアックなものにフェチズムを持つ人は、一生気付かずに人生を終えることもあるかもしれない。たとえば、「ドライバーフェチ」とか「八甲田山の空気フェチ」とか。でも、そういう自分の琴線に触れる何かがまだまだ世の中に残っていると想像するのは、なかなかおもしろいのではないか、と思った

沈黙の価値

先日、ご紹介した私の最愛の映画パルプフィクションで、以下のシーンがある。

マフィアのボスの愛人のミアと、ボスの子分のVincentが、食事に行くシーン。ボスが愛人を暇させないために、部下におもりをお願いした、という背景。

そして、2人はレストランにつくが、気まずい沈黙が流れている。

MIA:Don’t you hate that?
(こういうの嫌い?)

VINCENT:What?
(何が?)

MIA:Uncomfortable silences. Why do we feel it’s necessary to yak about bullshit in order to be comfortable?
(気まずい沈黙。なぜ人は気まずさを紛らわせるために、くだらないことをしゃべらなきゃと思うのかしら)

VINCENT:I don’t know.That’s a good question.
(なぜだろうね。興味深い)

MIA:That’s when you know you found somebody special. When you can just shut the fuck up for a minute, and comfortably enjoy the silence.
(でも、もし大切な人とだったら、沈黙を楽しめるわ)

VINCENT:I don’t think we’re there yet. But don’t feel bad, we just met each other.
(まだ僕達はそこまでの関係じゃないよ。でも、気まずく感じる必要はない。知り合ったばかりなのだから)

MIA:Well I’ll tell you what, I’ll go to the bathroom and powder my nose, while you sit here and think of something to say.
(じゃあ、トイレに行ってくる何か話を考えておいて)

VINCENT:I’ll do that.

«Pulp Fiction Script at IMSDb.

上記はそのシーンの動画部分。

中学生の僕はこのシーンを何度も見て、「沈黙を楽しめる間柄って素敵やなー」みたいなことを思っていた。

確かに、知り合ったばかりでは、沈黙はすなわち「お互いに共有事項がない」という気まずさを表す。しかし、ずっと会話が続いていて、ふと生まれたエアポケットのような沈黙、それはまた別の意味を持った沈黙ではなかろうか。

友人で「難しい質問をするのが好き」という人がいる。その人は、すぐには回答できないような質問をする。

たとえば「私が大学生の時にいった国を当ててみて」といったような。

それは知識の問題ではないが、適当に答えられるものではない。今までの会話に出てきたピースを合わせて、正解を見つける必要がある。ゆえに考えこむ。

その友人に「なぜ、そのような質問が好きなの?」と聞いたところ、「人が考えているところを見るのが楽しい」ということだった。

そこで考えている間は沈黙である。しかし、やはり、それは沈黙ではない。何かしらのコミュニケーションが生まれている場である。

あるいは、会話の流れで、「相手が何か話をしたいことを持っている」と気づくことがある。しかし、相手は言い出せていない。そういう時は、ずっと話の返信をしたり、相手が話を止めた時に、質問をかぶせてはいけない。相手は、その話を切り出そうとタイミングを測って、話を止めている。そういう場合は意図的な沈黙が求められる。ドラマであるシーンであれば、あるカップルが破局寸前で、女性が別れ話を持ち出すことを男性はわかっていて、でもその瞬間を出来るだけ先延ばしにしたくて、マシンガンのようにしゃべり続けるシーン、とでも言える。そして、そこでは突然のダム決壊による沈黙が物語にテンションを生む。

ある友人はいう。「理想の恋人像とは、同じ空間を共有しながらも、別々なことをしている2人だ」と。たとえば、同じ部屋にいても、かたや読書をして、かたや仕事をして、というような。ポイントは「もう1人が部屋にいる」という存在を認識していることだ、という。これも、つまりは「2人が共有する沈黙の価値」とでも言えるだろう。

ということで、「沈黙を楽しめる大人になりたいなー」と思ってから、だいぶ、年月が流れたけど、いまだにこの沈黙とは向き合い続けている

走ってきた後の水の美味さの代替性

梅雨が明けて夏がきた。夜が明けて朝が来るのと同じリズムがごとく、夏がきた。そして、夏は、麦わら帽子が波に流されるのとともに終わるのである。あと1ヶ月も立たぬ間に。とまれ、夏がきた。

夏がきたが、変わらず走る。走り続ける習慣は夏がきても変わらない。雨が降ってもかわらない。しいていえば風邪を弾いてもかわらない。ということで、夏だが走る。

夏で走るが、夏は暑い。夏は暑いということは、走るとなおさら暑いということである。つまりは、暑い中、暑いことになり、めっぽう暑いということになる。端的にいえば、とても暑い。

ゆえに、汗をかく。喉が乾く。とても喉が乾く。1時間も走れば、10分くらいから喉が乾きだし、もはや気持ちよく走れなくなるほど喉が乾く。コインを忘れたのでジュースを買うこともかなわない。喉の乾きを感じながら、走り続ける。こういう時に「炭鉱の仕事もこれほどに喉が乾くのか」とよくわからない想像もしながら、なんとかその喉の乾きを我慢する。

走り終わる。喉が乾いているので水を飲む。もうありったけの勢いで、冷たく冷えた水を飲む。冷蔵庫できんきんと冷えた水をいっきに飲む。この水の美味しさはなんと表現すれば良いのか。これはもうミスター味っ子の名セリフ「うーまーいーぞー」を超えた、何かである。もはや美味しさではなく快楽などに近い感覚なのかもしれない。味覚ではない。これは体験である。エクスペリエンスである。この走ってきた後に飲む水の美味しさを体験できる場所があれば流行るのではないか。マッサージや酸素なんとかと同じように。

飯の美味しさと異なり、冷房の気持ちよさとも異なり、は、ここまで書いて気づいたが、これは「生」に根ざした美味さなので。乾きは、命に直結する。脱水症状は人の命を奪う。そのような点で、この水は、自分の命を蘇らす行為に等しい。ある種の性的なものにも根源が近い行為なのかもしれない。

ということで、この水の美味しさを味わいたいがためにまた来週も走ろう

All you need is kill

先日、「映画を1人で見る」という趣味を覚えてからというもの、その面白さに味を占めて今回も「All you need is kill」を1人で見てきた。直前の予約にもかかわらず1人分だと席があった。思わず、中島みゆきの曲で「ひとり上手」を口ずさみながら自転車でふらふらと。ヒルズまで10分くらいしかかからない。ひとり上手を2回も聞けばついてしまう。

この映画を見ようと思ったのは、この映画が面白いという情報を聞いたのもあるのだが、そもそもループ系の映画というのが刺さった。

ループ系というのは、いわゆるタイムトラベル系で、同じ時間を繰り返すという物語。SFでは王道といえば王道だが、だからこそ、味付けが重要になってくる。

結論からいうと、非常に好きな映画だった。こういうドンパチこそ3Dで見る価値のある映画だなーと。家で見るのはドラマやラブコメでもいいけど、アクションは映画館に限るのである。特に3Dは。

で、ストーリーはともかく、そのループ系の話でいくつか雑談を。ループものは、あまりにも著名で、Wikipediaでも項目として、切りだされているほどである。

«ループもの – Wikipedia

日本ではSF大家の筒井康隆大先生の「時をかける少女」が有名だろう。また最近では、ハルヒの「エンドレスエイト」も有名だ。小説では有名どころで「リプレイ」や「夏への扉
」、日本ではYが好きだが、「リピート」はまぁまぁ。映画では、「エターナル・サンシャイン」は厳密な意味でのループではないけど、一種のループ。

こう思い返すと、ループ系の作品は記憶に残っているものが多い。

それはなぜかと考えるに、非現実の世界の妙味、というものがあるのだろう。「時間を繰り返す」ということは想像は非常にしやすい。火星の生活よりもよっぽど想像しやすい。しかも、いつ何時自分に起きるかもしれない。そういう常に我が横にある刺激としての物語の面白さがそこにはあるのかもしれない。

おすすめのループものあれば教えてください!

長い失恋

以下の小説を読んだ。

長い失恋 (講談社文庫)
長い失恋 (講談社文庫)

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甘糟 りり子
講談社
売り上げランキング: 57,870

世の中に存在する10のホテルを舞台に繰り広げられる物語の短篇集。

甘糟さんは、過去にレストラン版でも似たような本を出していたような記憶。

ホテルとしては

  • 箱根のハイアットリージェンシー
  • 横浜のホテルニューグランド
  • ペニンシュラ
  • マンダリン
  • ウィンザーホテル@洞爺湖
  • ラッフルズホテル
  • グランドハイアット
  • 鎌倉プリンスホテル
  • クラリッジズ
  • フォーシーズンズ

がピックアップ。

海外のホテルは外して日本のに絞っても良かったんじゃないかと思うけど、まぁ、いろんな背景があるのでしょう。

改めてこう読むと、確かに「ホテルには物語がある」という気がする。それは、当方が旅行においてアコモデーションを重視するからかもしれない。旅行において、観光、食事、宿のどれにお金を使うか?といえば、これまた人によって異なろうが、当方は宿なので、それなりに思い入れがあるのかもしれない。

メモった点

ここでは食事中ずっと同じナイフを使う。アミューズも前菜もメインもすべて同じナイフで切り分ける。ミシェル・ブラスの出身地であるライヨール村はナイフの産地として知られ、生涯にわたって1本のナイフを使い続ける習慣があるという

あと、この短編のどれか好きかで価値観判断ができるかと思った。そんな使い方も思い浮かぶ一冊でした。