コナミスポーツの目黒店がいいかんじだった

いつもいっているジムがお盆休みだったので、別のジムを探した

すると、コナミスポーツの目黒店を発見した。いってみた

目黒駅から坂を下ったところにそれはある。しかし、非常に風情のある場所にそれはある

なんと雅叙園の隣のビルなのだ

心なしかジムも和風の匂いが漂う。またビルの3階にあるので、窓からも階下を見下ろせる気持ちよさ

プールも光が存分に差し込み気持ち良い。日光浴をしている人たちもたくさんいた

当方、旅行先でプールがあれば入るというくらいプール好きな生き物なのですが、リゾート地を除くと、このプールが一番気持ち良いプールだったかもしれない

ということで、お薦めのジム紹介でした

時計台

何かWebサービスを使おうとする

IDを取れ、といわれる。自分に関係のないIDがいいな、と思い、何か考える

その時に、大抵でてくる単語が「時計台」だ。しかし思い返しても、時計台とゆかりはないし、エピソードも何もない。だからこそ、「関係のないID」で思い浮かぶのかもしれないが、あまりにも飛躍が著しい連想だ

もっともいったことがないわけではない。有楽町の時計台や大学の時計台などでは待ち合わせをしたこともあろうかと思う。ただ、それでも、最初に思い浮かぶ単語が時計台なのは、なんとも解せない

しかしながら、時計台という単語は悪くない単語である、と思う。時計を支える台であり、なんだか、それは昔の地球が亀の上にのっていた、というおとぎ話を想起させるような、なんとも心強く、そして、意味を持たない存在である。ただ、支えている

ただし、存在感はある。待ち合わせでもよく使われるように、時計台は、何かしらの象徴であるのだ。村上春樹ライクなレトリックを使うならば。

ただし、それが何を象徴しているかというと、甚だ心許ない連想しかない

歴史であったり、時の流れであったり、場の匂いであったり、あるいは物事が起こる場所であったりする。たとえば、イギリスのビッグベンや札幌の時計台が持つような。

そう考えていて、1つ、時計台のエピソードを思いだした

ある人と時計台で待ち合わせていた。しかし、僕たちは時計台で落ち合うことができなかった。時計台の場所の認識に齟齬があったからだ。携帯で、結局、別の場所で落ち合った

ここに何かの意味を付与することは可能だけれど、それはあまり意味をなさず。ただ単に「時計台で待ち合わせたけれど、そこでは落ち合うことのできなかった話」というエピソードである。教訓も示唆も何もない。

風立ちぬ

機会があり、ジブリの新作、風立ちぬを見た。

この映画は、なんとも感想を言いたくなる、ないし、かきたくなる映画だ、と思った

良い映画はそれだけで独立して存在するが、ただ、同時に人とのコミュニケーションを促進する映画も、また良い映画である

前者は、たとえば、ショーシャンクやエターナルサンシャインであろうし、後者はたとえばユージュアルサスペクツやパルプフィクションであろう。

往々にして、後者の映画は、人の想像によって完成される作品である。そこには謎があったり、あるいは解釈が求められる

人はそこに意味を持たせたがる。それゆえに、その映画はまさにメディアの文字通り、媒体となって人の口を渡り歩く

この映画も、他のジブリ作品と同じく多くの隠喩や伏線がはぐらされていたという点では同じだけれども、それ以上に「どこに着眼するか」という点が、多く用意されている映画であったように思う

それは恋かもしれないし、飛行機かもしれない。あるいは、そもそもこの映画の試みかもしれないし、ないしは、サブキャラの存在感かもしれない。あるいは重ねられた歴史かもしれないし、ないしは声優かもしれない。それゆえに、ネット上でも数々の侃々諤々の議論が見受けられるのであろう、と思う

いろいろなとっかかりがあり、見ているうちは、それがなんとなく喉に引っかかったサバの骨のごとく違和感として残るのだけれど、それゆえに、映画の後では、これに関して誰かと話をしたくなる、というような

僕の場合は言葉だった。この映画に使われているいくつかの言葉の意味がとても引っかかり、それが後にも残った。

なぜ、そこでその言葉を使ったのか、ないし、「風立ちぬ、いざ生きめやも」という堀辰雄によって素晴らしい日本語に訳された「Le vent se lève, il faut tenter de vivr」の意味合いであったり(蛇足ながら、ヴァレリー自身(テスト氏)に私が学生時代になじめなかった作家なので、そういう意味では、ヴァレリー自体が、喉に刺さった骨である)

そういう点でこの映画は、良い映画だな、と思った

夏がくると見るDVD

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梅雨が明けたそうで。

つまりは夏がきた、ということだ。夏は梅雨明けに始まり、台風が来るころに終わる。

夏がくると、見るDVDがある

サザンの「Inside Outside U・M・I」というDVDで。↓

サザンオールスターズ - Inside Outside U・M・I [DVD]
ビクターエンタテインメント (2003-08-30)
売り上げランキング: 6,099

サザンの曲と夏の映像が合わさったDVDで。曲は好みがあるからともかくとして映像が良い。

波際でサーフィンに戯れる人々や湘南の風景、ないしは一夏の夢物語的な映像が詰まっている。

その中の1曲「あなただけを~Summer Heartbreak~」は、1995年のドラマ「いつかまた逢える」の主題歌でもあり、あの中学生の頃の夏をどうしても想起させ、ああ、夏がきたねえ、と感慨に耽る

そして、20歳を越えてしまった私はこの映像を少しのお酒とともに飲む。弱いので少しだけ

たとえばシャルトリューズ。薬草系のリキュールで、Wikipediaによると「リキュールの女王」とも呼ばれているのだとか。色合いも緑でどうも夏にふさわしい。

花火や海にはいかない夏があったとしても、この夏を迎える個人的な儀式は、ずっと数年来続いている。もはや、一種の宗教のように。たとえば夏待ち教とでもいうような

ということで今年もきた夏を愛でる夜です

何も起こらない小説「国道沿いのファミレス」

ああ、この本は間違いなく面白いな、と確信を持って手に取る本が年に数冊ある

そのうちの一冊が「国道沿いのファミレス」だった。

この勘はどこから来るのかよくわからない。一つはタイトルの妙味だと思う。タイトルが刺さる本は間違いなく中身も刺さる

過去にタイトル買いをしてヒットした本としては「僕のなかの壊れていない部分(白石一文)」「夜の果てまで(盛田隆二)」「水曜の朝、午前三時(蓮見圭一)」「永遠の1/2(佐藤正午)」などが思い返される。

しかしタイトルだけでなく、出版社、装丁、帯なども加味されて、その勘は動いているような気がしないでもないけれど、いずれにせよ、そういう勘に引かれて、この本を手に取った

結果、久しぶりに面白い小説を読んだ(正確にいえば前回面白いと思った本よりも4冊のピンとこない本を得て当たりを引いた)

とはいえ、これは、好きな人と嫌いな人にわかれるだろうな、と思う。いわゆる「村上春樹的」なものが好きな人が。より詳細にいえば「本多 孝好」や「中村 航」が好きな人には、刺さる本だと思われる

何も取り立てて大きな出来事が起こらない日常。ただし、その描写とメタファーやアナロジーがぐっとくる、といったような

当方、読書をする時は、好きな一文をラインをひいていて(そういう意味でKindleのなぞるUIは、ペンで線をひくよりも少し時間がかかってストレス)

で、今調べると10ページほどにラインが引かれていたのだけど、どの箇所も、その1文だけひっぱると非常に語弊があるような一文ばかりで。

ということで、久しぶりに本の紹介まででした

国道沿いのファミレス (集英社文庫)
畑野 智美
集英社 (2013-05-17)
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初めて日焼け止めを塗った日

今日、初めて日焼け止めを塗った

正確にいえば、海やリゾートにいった時は塗ったことはある。しかし、日常で日焼け止めを塗るのは初めてだ

30を越えると色々気にしないといけないことが増える、と日焼け止めをシャワーで洗い流しながら独りごちる

「年を取ると若い時より考えなければいけないことは減るけれど、しなくてはいけないことは増える」というフレーズを思いついた。シャワーを浴びながら

それが正解かどうかよりも、思考実験としてその仮説を検証する

若いうちは可能性がたくさんある。ゆえに、いろいろなことに悩む。しかし、その選択肢は自由だから、すべき義務は少ない、というロジックを立てれば、上記の仮説は成り立つかもしれない。

具体的にいえば、高校生の僕は日焼けなんて気にしていなかった。自分がシミを考える日がくるなんて露だに考えなかったし、そもそもシミなんて怖くもなかった。太陽が大好きだった

その時の彼にすれば、日焼けをしても無敵の自分がいれば、日焼けを恐れない自分もいて、あるいは、日焼けを考えない自分というポジションを取ることができた

しかし今や、日焼けを気にしないと数年後にはシミを反省することはありありと想像できる。ゆえに、僕は他の自分を想像しない

同時に、その道を歩むという選択肢を選んだ以上、すべきことは明解である

いわば、大江健三郎氏が、「問題が特定できれば、解はでるのです」と看破した如く、課題がきまれば、その問題はすでに役目をほぼ終えている。

人生とは問題や課題を見つけることが非常に重要なのである

仕事やキャリアパスでも同じ話を聞いたことがある。若い内は自分のキャリアパスは無限にある。ただ、年を取るとそのキャリアパスは限定されてくる

たとえば起業家が公務員になるケースは珍しいし、弁護士がプログラマーに転身することはあまりない

で、そうやって人は人生のキャリアパスが狭まっていく。しかし、これは悲しい話ではない。ある点までそれが狭まっていけば、その先は逆に選択肢は増えていく

つまりその自分が限定されたキャリアの中で出来ることは、また別のレイヤーで増えていくのだ

たとえば、弁護士でも企業弁護士か国の弁護士か、あるいは独立かどこかの事務所で戦うか、あるいは民事の中でも専門性はでてくる。

つまり、あるポジションが固まるまでは、見えなかったそのポジションにおける縦の選択肢は、そこに立ち止まることで開けてくるようになる

いわば砂時計をイメージしてみればわかりやすい。最初は底からスタートする。横幅は広い。しかし、中間地点まで成長すると、砂時計のくびれで横幅は狭くなる。しかし、そこを越えれば、また横幅は広くなっていく

そう考えると、日焼け止めを塗る自分も、いつか、日焼け止めを塗らない選択肢を選ぶ時がくるのかしら、と思う。あるいは、それは結局、どの日焼け止めを選ぶか、という無限の悩みの中であがき続けるのかしら、とも思う

なんてしょうもないことをシャワーを浴びながら考えた。シャワーで落ちる日焼け止めは素敵だな、と思いながら

昔住みたいと思っていたような部屋に住んでいることに気づいて

先日、ふと若い頃の記憶を思い出した。漫画に「変(奥浩哉)」の漫画があった。読んでいたのは小学校か中学校の頃だったろうか。そのシーンの1つで、ある登場人物が住んでいる部屋が描写されていた。それは100へ-べーくらいの部屋でベッドと冷蔵庫しか無いような部屋だった。あとバスケットボールも転がっていた様な気がする。「こんな部屋に住んでみたいな」と若かりし僕は思った

それから時は流れること20年弱。部屋の広さはさすがに叶わないけれど、「モノがとても少ない部屋」という願いは実現して(あと部屋の雰囲気とか)。もちろん、部屋を借りる時に、そんな昔の記憶を思い返したわけではないのだけれど、最近、ふとそんなことを思った。

で、それを思い返すに、やはり人の志向性や趣味は、昔からそんなに大きくは変わらないんではないかなーと。他の事例として思い返すに、中学生だか高校生の頃によんでいたホットドッグプレスだかの雑誌があって。そこに載っていた車「マスタングのオープン」に非常に感銘を受けた。「かっこよい!」と。そして、数年後、実際にそれに載っていた私がいた。他にも「いつか経営者になってみたい」「いつか世界を回ってみたい」「いつか本を出してみたい」といった思春期に描いていた青写真は、それなりに実現をしていて

もちろんこれは「思考は実現する(カーネギー)」的な自己啓発的アプローチも可能なのかもしれないけれど、そんな込み入った話ではなくて、もうちょっとシンプルに「趣味の問題」で捉えても良いのではないかと思う

「こうしたいな」という思いは、自分の趣味や志向性から生まれたもので、その趣味(センスといってもいいかもしれない)や志向性は幼いころから大きく変わらないからこそ、将来に、ある選択肢があった時に、「結果的に」若いころに描いていたものと同じものを選択するのではないかと。

もちろん逆のとらえ方として「こういうことをしたい」と信じ、念じ続けているからこそ実現することもあるのだろうけど、僕の場合は「こういう部屋にすみたい、すみたいのだ=!」と血気盛んに思っていたわけではなく、すっかり忘れており、でも気づいたら、住んでいた、というような。

そういう意味で、ふと「ああ、こういうのしたいな、ほしいな」と感じたことは、最近は大切に記憶しておくようにしている。そして、将来「あ、こうしたいと思ってたんだ。実現してるや」と思い返すのが、楽しくて。一種の幸せの積み立て貯金というか(将来の幸せのために記憶を1コマだけ使っておくというか)

そんな小さな幸せを口の中で転がしながら口笛を吹いていきていきたい春の訪れ

今すぐ読める!Kindleで購入できるオススメの長編小説まとめ(15作品)

けんすうの「今すぐ読める!Kindleで購入できるオススメのマンガまとめ(17作品) 」という記事にインスピを受けて、長編小説版を書いてみたいと思います

長編小説は、紙で買うと蔵書でかさばるし、旅行にもっていくにも重いですが、Kindleなら安心。いまこそ、読むチャンスであります!

※「全N部」は、目算なので間違いがある可能性があります
※ 読んだものをピックアップしているので、読んでいないのは触れられていませんのでご容赦ください(たとえば平家物語とか)

森博嗣:S&Mシリーズ(全10冊)

すべてがFになる THE PERFECT INSIDER (講談社文庫)
講談社 (2012-09-28)
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S&Mシリーズですが、SMは一切関係ないのでご容赦ください。大学教授で推理小説かの森さんのデビュー作。

推理小説好きな方は良いのではないでしょうか。今後のVシリーズや四季シリーズとかとも繋がっているという意味では、10冊以上のシリーズがあります

吉川英治:三国志(全7冊)

三国志 (1) (吉川英治歴史時代文庫 33)
吉川 英治
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三国志といっても、いまや「横山光輝」版「北方謙三」版もありますが、王道としては、やはり吉川英治。

諸葛孔明、泣けます

北方 謙三:水滸伝(全19冊~)

水滸伝 1 曙光の章 (集英社文庫 き 3-44)
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最高文学の1つ「水滸伝」。涙なしには読めません。最近回りで読んでいる人をちらちら耳にする、何かで流行っているのかな?

これの続編である楊令伝も無事完結。そして最後の「岳飛伝」が執筆中という壮大な物語。

ドストエフスキー:カラマーゾフの兄弟(全3三冊)

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)
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ロシア文学では「罪と罰」と双璧をなすお約束のシリーズ(プラス「アンナカレーニナ」)。兄弟全員の名前がいえれば、あなたも立派な村上春樹ファン

白眉と呼ばれている「大審問官」のパートだけでもいかが。

山崎 豊子:不毛地帯(全5冊)

不毛地帯 (第1巻) (新潮文庫 (や-5-40))
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山崎豊子先生の代表的作品の1つ。最近はドラマ化もされたのかな

シベリアから商社マンへいたる壮大なお話

石田 衣良:池袋ウエストゲートパーク(全11冊以上)

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通常IWGPだっけ。テレビ化もされた石田衣良さんの代表的作品

恋愛あり、謎あり、泣きありの素晴らしい小説群

京極 夏彦:百鬼夜行シリーズ(全14冊~)

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)
京極 夏彦
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推理小説。妖怪関係のタイトルがついているけれど、別に妖怪小説ではない

トリッキーな登場人物たちのめくるめくパラダイス

大沢 在昌:新宿鮫(全10冊以上)

新宿鮫 (光文社文庫)
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大沢 在昌
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大沢さんのハードボイルド小説。警察が主人公。こういう設定が好きなら良いのではないでしょうか。

新宿鮫の名の通り、新宿が舞台になっている(けど、新宿関係ないことも多い気がする)

伊坂 幸太郎:オーデュボンの祈り

オーデュボンの祈り (新潮文庫)
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オーデュボンの祈り は、これで終了だけど、伊坂氏の小説は、全て繋がっているので、そういう意味では、シリーズの1つとしてピックアップ

この一冊でデビュー。個人的には「重力ピエロ」の方が好きではありますが。

奥田英朗:精神科医伊良部シリーズ(全3冊~)

イン・ザ・プール (文春文庫)
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精神科医をテーマにした小説。なんだか、楽しく読んだ記憶はあるけど、あんまり覚えてない

浅田 次郎 :蒼穹の昴(全4冊~)

蒼穹の昴(1) (講談社文庫)
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ポッポ屋、浅田さんの代表作の1つ。清の時代をテーマにした歴史小説。「珍妃の井戸」とかも続編にあたる。

「成長小説」の王道とでもいうのでしょうか。少年が運命の寵児として活きていく様は圧巻

垣根 涼介:ヒートアイランド(全4冊~)

ヒートアイランド (文春文庫)
垣根 涼介
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ヤクザとか「ギャング」とか、そういうドンパチ系の話。タランティーノ好きな人には良いかと思うのですが、いかがでしょうか

筒井 康隆:家族八景(全三部)

家族八景 (新潮文庫)
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筒井 康隆
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筒井康隆先生のSF小説。人の心が読める女性が主人公。

3部作なのだが、三冊目の「エディプスの恋人」はKindle化されていないという片手オチ(理由は想像できるけど)。

林 真理子:バブル三部作

不機嫌な果実 (文春文庫)
林 真理子
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バブルの時代の恋愛を描き取ったお話。この「不機嫌な果実」はドラマ化もされていたかと

三部作の割には「ロストワールド」「アッコちゃんの時代」はKindle化されておらず、待ちですね

藤原 伊織:テロリストのパラソル (全二冊)

テロリストのパラソル (講談社文庫)
藤原 伊織
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全二冊ですが、どうしても入れておきたかった氏の本。

「テロリストのパラソル 」と、その時系列的続編にあたる「シリウスの道」。大好きな作家でしたが、2007年食道癌で他界。よって、これ以上、この続編はでません

秋である。

秋といえば、読書の秋である。

しかし、通勤をしなくなって、めっきり読書をする時間が減ってしまった。せいぜい飛行機を取る時くらいのものである。

あるいは、スマートフォンの普及で、空き時間でもさくっと本を読めるようになった。

エレベーターをまっている時間や乗っている時間。またはランチをまっている時間。はたまたパソコンが立ち上がる時間。

今まで分散していた細切れ時間に、ポケットからふっとスマフォを出すだけで読書が可能になった。

これは読書のイノベーションである。

今まではハードカバーはおろか携帯性を持たず、文庫本とはいえ、常に持ち運ぶには課題があった。

しかし、スマフォに電子書籍さえあれば、いつでも読むことができる。

また、急に電車やタクシーに乗る時も、本いらずである。あまりカバンを持ちたくない1人としては、ポケットに入りにくい文庫本の携帯方法は課題だったのだが、これで解決することとなった。

どうでも良いが、最近、iPhoneで読んだ本としてはパラレルがある。非常に名作である。※自炊した

パラレル
パラレル

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長嶋 有
文藝春秋
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しかし、同時に、長い物語よりも短い物語を好むようになる。

なぜなら、1冊の本を読むのに、仮に90分かかるとすれば、エレベーターの時間だけで読み進めていると、エレベーターが片道1分で帰りと合わせて2分としても、90分を割ると、45日もかかってしまうからである。

さすがのこの遅遅としてすすみでは、最後のエピソードにたどり着く頃には、最初の伏線を忘れてしまっている。

よって短編や、ないしはショートストートリーが重視される。

ということで、昨今は短編を読むことが多い。

一説によると、短編は「のめり込むまでに時間がかかり、のめり込みそうになったら話が終わっている」と言われることもある。

しかし、同時に短編だからこそ完結する世界もある。つまり、それは短編を長編の一部と見るか、ないし短編はいくらのばし重奏にしても、長編にはたどり着かないという考え方である。

基本は後者の考えが主流だろう、と想われる(手法も含まれ)。しかし、同時に村上春樹の蛍のように、短編から長編を紡ぐ物語だってある。

CMソングもサビだけを造って、そこからフルコーラスが生まれることもある。

この短編のあり方が個人的には好きだ。というのも、人生は、そういうもので。

街中で人を見かける。誰かを待っている人もいれば、花束を買おうとしている人がいる。ほろ酔いの人もいれば自転車でジムに急ぐ人もいる。

彼らを見かけている限りは、そこからどこにもたどり着かないけれど、一つ想像力を使えば、そこには彼ら/彼女らの人生がある。

たとえば、職場で隣の席の誰かが「秋ですね」という。そして「紅葉だね」なのか「学園祭」なのか解らないけど、何かしらの話が加えられる。

それは短編で言うならば「秋」の物語はそこで終わる。しかし長編的に見るならば、隣人がいった「秋」は、いろいろ彼/彼女の人生を背景に持った秋で。

たとえば、その前日に恋人と「スポーツの秋に関して、フットサルの話」をしたのかも知れないし、出社前にニュース番組で「秋祭り」のニュースを見たのかも知れないし、あるいは、その日の夜に「食欲の秋」と称して鍋でも囲むのかも知れない。

ないし、背景なんて何もないけど、とりあえず隣人と会話をしたかったのかもしれないし、あるいは、たまたま秋という言葉が出てきたのかも知れない。

なんてことを考えていると、今日も1日が終わる。

富士山に登ろうと思ってから登り切るまでの12時間

先日、富士山に登ろう、と思い立って。5時間後には、五合目の麓についていた。

話を戻すと、ある土曜日の昼下がり、ふと「ああ、富士山に登らなきゃ」と思い立った。

そして、インターネッツという代物で、調べたところ、19時30分に新宿からバスが出ていることを知って。

ああ、ネットって便利。

往復でチケットを購入し、準備に向かう。ああ、カードって便利。

とりあえずドンキホーテ@六本木で、
*雨具(カッパのすごいの)
*トレッキングシューズ
*ライト(頭に付けるの)
を購入(締めて1万円ちょい)

そして、寒いという情報を仕入れたので、冬用のダウン(昔、真冬のカナダに行く時用に買ったダウンでマイナス10度だかに対応したやつ、ちなみに西欧で野宿した時にも大活躍した一品)を詰め込む。

そして、新宿のコンビニで水1リットルとお菓子を購入。

バスの中では爆睡。2時間ほどでバスは五合目に到着。

登り口はいくつかあり、到着したところの情報によると「富士スバルライン五合目(河口湖口/吉田口)」ということが判明。

降りると何もない。さっぱり何もない。街頭もないので暗い!

5人組の男性集団(学生っぽい)が、ストレッチをしているのを眺め、イイナとか思いながら。

腐っていてもしょうがないので、そのまま登山口に向かう(そもそもその登山口の場所さえもよくわからないので警備員に聞く)

そこから6合目は1時間半ほどで到着。疲れは無いものの、朝からジムで走り込みをしてしまった分の疲労がアドオンされ、すでに戦々恐々の状態。少し足が重い。

そこから7合目は勢いで向かうものの、既に乳酸が溜まっているのと、空腹で、カップラーメンを食す(500円。シーフード味)。

しかし、女性が多い。メディア情報によると山ガールが増えているとか聞くけれど、「リアル登山ガール」の数は、男性の2から3倍ほど(当社比)。

富士山でチームで昇る人はどんな会話をしているのだろう、と聞き耳を立てるけれど、「どの野菜が好きか」とかの非常に深遠なる形而上学的トークしか聞こえず、エキサイティング性に欠ける。

あと外国人多し。英語が飛び交ってます。なぜか日の丸のハチマキも多し。

そういえば、ステッキは現地で購入(1200円だったかな)。これは岩場では必須。

ステッキを使って昇るのではなく、ステッキと両足の3点を使って、自分の立ち位置を安定させるのに大活躍。

各山小屋では、この木のステッキに「○合目」といった焼き印をする事業が展開されている。ジェットコースターの写真なみにボロイ商売やなぁ(イニシャルコストがカメラより安い分だけ、もっとイージーかも知れない)と眺め筒。

7合目から8合目が一番キツイ。途中、山小屋がいくつかあるが、「8合目か!」と思ったら、7.5合目などのトラップが多し。

心が折れそうなので、何度か山の途中で眠る。

寒いのも噂通り。特に汗をかいて、その濡れたTシャツと冷えた空気のダブルは相当体力を奪う。

喉もかわくけれどどこのトイレも混んでいるので水をがぶがぶ飲む気にさせない。それも気分を萎えさせる。

8合目辺りで、宿の空き状況を聞くけれど、当然空きなどない分けで。仕方なく、山肌で一眠り。

心が折れそうな時は、iPodの音楽が心の支え。爆音を流しながら、一気に山肌を駆け上る。

なぜか祭りの後I will surviveがよくかかる。

そして、8号目を超えると、一気に気分は楽。

道は混雑するけれど、その分、ゆっくり登りながら、登頂を目指す。岩肌が多くなり、角度も急になる。人もどんどん増えてきて、渋滞。

しかしながら9号を超えると、あとは気分も楽。

そして、登頂に到着したのが、朝の3時半。大体6時間の登頂時間。

多くの人は、そこでご来光を待っていたけれど、そんなマゾなことは出来ないので、おとなしくそのまま直行でUターン。

なお、マチュピチュの隣の山「ワイナピチュ」と比較すると、ヘビー度は300%、美しさはイーブンといったトコロ。

帰り道、4時半頃に、ご来光を眺めることができる。

↑みなで日の出を眺める

一応、昇った証拠に写真でもとってもらうか、ととってもらったところ、全て逆光。当たり前ですが。

その後は、ひたすらダッシュで山を駆け下りる。大体、昇った時の1/3の時間(=2時間)で下山完了。

途中、激しく道に迷って、わけのわからない公道に出たのもご愛敬。

しかし、問題は五合目。

五合目に戻ったのは5時30分なのだけれど、麓に降りる方法がない。

事前にかったバスは10時。タクシーを見つけて最寄り駅までの運賃を聞くも1万円以上。

しかたなく、五合目のレストランでパンを食べながら路線バスの発車をまつこと2時間30分(8時)。

バスに飛び乗り、河口湖の駅まで1時間揺られ、そこから、さらにトコトコと電車に揺られ無事に帰宅。

人生ですべき1000のことのうちの1つが終わって何よりでしたとさ。まる