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小銭払うことの無間地獄

小銭が嫌いだ。

なぜかというと、財布が膨らむからである。

そして、私は手は塞がれたくないので、かばんは持たない。ゆえに、財布はジャケットのポケットかおしりに入れることになる。そして夏は暑いのでジャケットを着ない。ゆえに、ポケットに財布を入れる。そして、財布がパンパンだと、ジーンズもパンパンになる。

ゆえにコンビニなどでは積極的に小銭を使う。

しかし、そのときに小銭を使うと、次に支払うときに小銭はなくなる。ゆえに大きな札を出す。お釣りを小銭でもらう。財布には小銭がたまる。

つまりは、「小銭で払ったら、次は、小銭をもらう」というサイクルが永遠に繰り返されるのである。これこそ、まさに小銭の無間地獄。終わりなきインフェルノ。原罪を背負った僕ら。

だから、僕は、小銭できっちりレジでお金を出す度に、今後、繰り返されるであろうこのサイクル(1日に2回コンビ二にいくとすると1日1往復する。1年365回。平均余命であと45年。すると、あと1.6万回も、これを繰り返さないといけないかと思うと気が遠くなる。まさに、「All you need is 小銭解決問題」である。

だから、最近は電子マネーを活用するようになって、だいぶこの問題は解消された。

しかし、電子マネーに対応していない自動販売機だとそうもいかない。しかし、この自動販売機に関して最近、発明をした。

いままでは、120円などの小銭を入れてジュースを買っていた。しかし、この20円を財布から出す時間よりも(3枚出さないといけないので)、200円入れて、お釣りを取る方が時間が短縮できることに気づいた。それからわたくしは時間の効率化のため、自動販売機では1000円か500円、ないし200円を入れるというメソッドで、人生を効率化している。なんて意識高い自動販売機の払い方!

食べたい逸品

そういえば、このブログは食べ物にほとんど触れていないな、と思い食べ物ネタ

よくある「この店のこれが好き」系。思い返したけど、あんまりなかった。忘れちゃってるのかしら。

複数回食べているのに限定しましたー。メモがてら

代々木の中東レストランのひつじ屋のランチに出てくるアイス

バナナアイスクリームが美味しい。コーヒーと合わせてどうぞ。

«Bistro ひつじや (ビストロ ヒツジヤ) – 代々木/地中海料理 [食べログ]

トスカーナ料理のトスカネリアのトリッパ

いわく「名物!トスカーナ州定番の牛ハチノスと牛ギアラの煮込み料理」。

«トスカネリア (toscaneria) – 恵比寿/イタリアン [食べログ]

ブラッカウズのパクチーとクレソンのサラダ

もともとパクチーはダメだったのだけれど、タイでさんざん食べているうちに好きになった。そして、そのパクチーと愛すべきクレソン。さらにナッツかなんかが乗った美味なる逸品。

«ブラッカウズ (BLACOWS) – 恵比寿/ハンバーガー [食べログ]

アポンテのレモンクリームのパスタ

ことらの名物。シンプルだけどレモンが効いて美味なパスタ。

«アポンテ (APONTE) – 恵比寿/イタリアン [食べログ]

南翔饅頭店の小籠包

ヒルズにいるときはランチでしょっちゅうこの小籠包を食べていました。台湾でも小籠包を食べたけど、この店の小籠包の方が好きだなー。

«南翔饅頭店 六本木ヒルズ店 (ナンショウマントウテン) – 六本木/上海料理 [食べログ]

恵比寿バル恵比寿のパン

正確にいえば小エビのアヒージョと食うパンが美味しい。

«バル恵比寿 (Baru 恵比寿) – 恵比寿/スペイン料理 [食べログ]

箱根の暁庵のそば

雰囲気も相まってとても美味しい

«箱根 暁庵 (はこね あかつきあん) – 箱根湯本/そば [食べログ]

六本木 k-julepのかつサンド

バーでこんな美味しいかつサンドが出てくるとは思えないほど美味しいかつサンド。

«ケージュレップ (K‐Julep) – 六本木/バー [食べログ]

恵比寿一歩のさつま揚げ

さつまあげだと思って油断してると、ものすごいパンチの効いたさつま揚げが出てきます。ボリュームたっぷりで美味しい

«魚Bar 一歩 (さかなばー いっぽ) – 恵比寿/魚介料理・海鮮料理 [食べログ]

七夕の願い

先日、七夕だった。ツイッターなどでは、人々の願いがTLを賑わせた。

もし、自分だったら何を願うかな、と考え、いつもどおり、「世界中の人が死にませんように」という願いだな、ということにいきついた。

いつか物心ついてから、初詣にいった時やお盆で先祖の墓の前にたつと願いは「世界の人々が死なないように」だった。少なくとも小学校の頃からだから、30年近くだろう。もちろん例外もあり、家族の無病息災や誰かしらの不幸を避けるように、といった願いはその時々で合わせて願っていたけれど。しかし、「受験が受かるように」や「恋人ができるように」といった願いをした記憶はない。

なぜ、この願いに固執するか、という理由は思うにいくつかある。

一つは子供ながらに「自己中心的な願いがなんだかピンとこなかった」というのがある。なんだか自分のちからで実現するものは、自分でがんばりたかったのだろう、と思う。

もう1つは、「実現されないくらいのもの」がいいのではないかというものがある。これは言語化するのがなかなか難しいのだけれど。「世界平和」ではなく「世界の誰もしなない」というのがポイントな気がする。世界平和は実現されるかもしれない。しかし、世界の誰もが死なない、というのは、まぁ、なかなか起こりづらい。もっとも世界平和も同じくらいには難しいけれど。いわば極度の貧乏性なのかもしれない。自分の願いがかなってしまうと、それはまたどこかで帳尻があうように不幸なことが起こりうるんじゃないかといったような。特に何かの宗教的な意味合いではないけれど。とはいえ、名作映画「リアリティ・バイツ」におけるイーサンホークのセリフを借りれば「チョコバーは俺に借りがある」というように、世の中に借りをつくれば、また話は別かもしれない。

なんてどうでもいいことを七夕に思い出した

everybody be cool this is a rubbery

この世でもっともCoolな映画の1つは、「Pulf fiction」であることは異論をまたないかと思います。

タランティーノ監督をこの世に知らしめた一作であり、ジョン・トラボルタの復活の嚆矢となった一作であります。

見どころとしても、ユマ・サーマンとジョン・トラボルタのツイストダンスや(下参照)

»【ナポレオン・ダイナマイト】突然のダンスシーンが印象的な映画7選【パルプ・フィクションなど】 #映画 – NAVER まとめ

ユマ・サーマンの心臓に注射器をぶっさすシーンや(以下、参照)

ブルース・ウィルスの「パンプキン」のセリフや日本刀の立ち回り、サミュエルL・ジャクソンの口上やティム・ロスのかっこいいオープニング。1度みただけではよくわからない凝ったストーリーにキレキレのセリフ。そして、隠れキャラのブシェーミー(最近でてるのを知った)と、見どころ満載の一作です。ああ、何より音楽も最高なので、こちらも忘れちゃいけないですね。

なお、あまりにもこの映画が好きなので、高校時代は、この映画の台本で英語を覚えたのですが、まったくおすすめしません。Fワードに詳しくなるだけ。

Pulp fictionのFacebookのファンページで、久しぶりに予告編が流れてきたので懐かしくなって、思わず投稿でした

思い出の効用

いつもどおり、録画したビデオを見ながら、ストレッチをしていた

その時、みていたのはゴッドタンだった。

そこで、使われているBGMは、鉄腕ミラクルベイビーズのTalk showだった

ご存知の方はご存知かと思うが、かの名番組「ねるとん紅鯨団」のオープニング曲だ。

これを聞くと、なんというかバブルの匂いを思い出す。もちろん小学生だった自分にとっては後付の記憶でしかないのだけれど、とはいえ、何かしら青春の思い出とともに、この曲は何かしら心をぐっと突っつく曲で。

思い返せばフジテレビの最終面接で「好きなテレビ番組は?」と聞かれ「ねるとんです」と答えたのは、結構、本心だったのかもしれない。

先日、友人と話をしている時に「懐かしいものを言い合うゲーム」をした。自分では忘れていた古い思い出がいろいろでてきた。

一般的に「昔は良かった」という過去を名残惜しむ話をするようになったら、その人の成長は止まっている、終わりだ、という話を聞く。このあいだまでは「そうかもな」とは思っていた

同窓会とかで、昔の思い出ばかりを話している隣のテーブルなどの会話を耳にすると「今はどうなんだ」と楯突いていたり。

しかし、「過去を懐かしむのは最高の贅沢である」という誰かの名言(山田詠美だった?忘れた)にもある通り、懐かしむのは、贅沢なのである

綺麗な海にいったり、唯一無二のホテルにとまったり、美味しい料理を食べるというのと並列に「思い出を遊ぶ」という贅沢はある。

それは、同じ空間を味わった人同士しか楽しめない遊びであり、同時に、その思い出から今までの時間の長さを感じるとともに、愛でるという思い出である。自分がどれだけそこから歩いてきたか、ということをさりげに矜持とともにもてあそぶ遊びである

そういう意味で、美味しいお酒と懐かしい思い出は、贅沢という観点では、合う組み合わせなんではないかと思う

どうでもいい話2

■どうでもいい話1

ある小説を読んでいた。

するとこういう話があった

  • ある殺人事件があって、手がかりはある絵画
  • 刑事は、その絵画が何の絵画かを知りたいのでFBIに問い合わせた
  • FBIによると、今わかったのはそこで使われた染料とかだけ。そしてFBIの仲介者はこういう。「これ以上の情報を知りたかったら、FBIが絵画に喋らせる技術を持たないとできないな。『私グリニッジビレッジの絵描きさんに書かれた絵なの。2年前にね』」
  • それに対し刑事は「そんなこともFBIはできないのか!」と激怒

この小ネタは現実世界でも使えそう

  • ある新規事業を思いつく。たとえば、世界中の手書きのメモをスキャンして検索するようにしよう!、とか
  • それに対して、ツッコミ役は「そんなのGoogleを買収しないとできないよ」と言う
  • それへのさらに返しとして「Googleごときを買収できないのか!」と返す

みたいな。

世の中では、ボケに対するツッコミによってボケが生きることがあるけど、ツッコミへのさらにツッコミでぼけるという演舞もあるよなぁ、とふと思った。

ワンツーのストレートに対するカウンターの、さらに宮田君のクロスカウンターというか(謎

■どうでもいい話2

さっき、ゴミをすてにマンションの入り口を通った。すると、男性と女性が入ってきた。

で、女性が過去の恋人に似ていて、一瞬、ドキっとした。とりあえず「こんばんは」とだけ言った。ゴミを捨てた。

帰りぎわのエレベータでこんなことを考えた

  • 女性が主人公。脇役に過去の恋人と今の恋人。
  • 今の恋人の家に初めていくことになった
  • その家はなんと過去の恋人の家だった

みたいな物語は短編小説として少し面白いのではないかと。

この物語のポイントは3つ

・その頃の思い出を思い返してしまい、しかし、封じ込めないといけないという二律の思いのせめぎ合い
・そのマンションで偶然過去の恋人に会ってしまうのか
・今の恋人にそのことを言うか(近くに美味しいパスタ屋がある。彼女はそれを知ってるけど、「知らないふり」をするのか

冒頭は、「もうこのマンションに来ることはないと決めたのに」という一文から始まる的な

行き場のないしょうもないネタ

たまに死ぬほどしょうもないネタを思いつくのだけど、会社でいうわけにもいかず、心の奥底にしまう。しかし、沈殿するその何か(村上春樹はそれを澱と看破した)は外に出してあげないといけないので、以下に王様のロバ的に記す

・ある男が、自分の会社の女性の少なさを嘆いていた。対して友人の会社は女性が多く、特にキラキラ女子ばかりだ。その2人が飲んだ時に、男は友人をうらやましがってこういう。「いいよな、お前の会社は。女の子がたくさんいて。うちの会社なんて女が少なすぎる。今週なんて、1人もトイレで女性と擦れちがわなかったよ」

・「へー、なんで恵比寿に住んでるの?」「エビが好きだから」

・エレベータでは、後に乗り込んできた人が扉のふきんにたつことになる(両面扉の場合でない限り)。ゆえに、目的地についたら最初に降りるのは、後から乗り込んできた人である。仮にその目的地が人気のレストランとかならば、先に降りた人が先に並べる。最初にエレベータに乗った人は奥になることが多く、ゆえに降りるのも最後になり、最後に店に並ぶことになる。この不条理はなんだ。カフカもびびるほど。この不条理を解決する方法があれば、世界はもっと平和になるのに、と思った。現代の闇がここにはあうr

アイドルの名前を知っておくことは現代の教養である

あまりテレビを見ない。ゆえに、タレントや女優の名前を知らない。つまぶき君でさえもこないだ知ったほどだ(恵比寿スカイウォークの広告に出ているから)。

前までは、それでいいや、と思っていた。ないし、恥ずかしいことに「知っていることに何の価値があるのだ。知らない方が尊いのだ」とさえも思う頃もあった(20代半ばまで)。

しかし、最近は完全に思考を変えた。タレントやアイドル、芸能人の名前を知らないことは恥だ、と自分で定義づけている。

なぜなら、それらは、世の中の口上に出ることが多い話題で、ゆえに、それはいわば現代の教養とでもいうべきものだからだ。たしか立花隆だか吉本こうめいが、読書のことを共通のマテリアルと呼んだような気がするが(めちゃうろ覚え)、つまりは、現代のコミュニケーションの共通のマテリアルとして、タレントは非常に有効なのである。

たとえば飲み会で「XXに似てる」、たとえば会社で「タレントのXXさんがテレビでうちのサービスのことをいっていた」、たとえば友達に「XXが好き」というシーンで、それらの固有名詞を知らないのは、いわば、コミュニケーションする言語を持たないことに等しい。

ということで、意識的に覚えようとしているのだが、なんせ、それらの教科書も少なく、また、非常に水物で、なんとも追いかけにくい。さらにいえば、根本的に興味がないので、追いかけるのもあまり楽しくない。いわば、世界史の登場人物の名前と役割を覚えるのと近い程度での業務感は感じている

なんか、そのような「とりあえず今日しっておくべきタレント名」みたいなコンテンツがあれば見るんだけど、あるんだろうか(感嘆)

シネマグラフが好きだ

写真の一部分だけ動かすアニメーションGIFをシネマグラフと呼びます。以下みたいなもの。

cinema

このシネマグラフがなぜかめちゃめちゃ好きで。見ていると癒されたりします。まるでクラゲを見るが如く。

DIOの時を止めるスタンドを思いだしてしまうかもしれません。そういえば、あのシーン(学生ボタンだけ動くシーン)がシネマグラフで再現されてもおかしくないのですが見かけたことはないですね。

cine2

cine3

他にも上記のようなシネマグラフがあります。以下の記事から引用させてもらいました。リンク先にはたくさんのシネマグラフがあるので、ご興味のある方はご覧ください。

»Amazing Animated gif’s for your inspiration | CGfrog | Graphic, Web Design, Photography, 3D, Inspiration, Photoshop, Fine Art

雨の日の日曜日の昼下がりに見るに適した物憂げさを宿したシネマグラフたちです。

身体と対話できるようになったよ

身体と対話ができるようになったのは30歳前後くらいからだと思う

それまで、僕は身体の言うことは聞かなかった。身体には悪いことをしたと思う。

睡眠不足があり、筋肉痛にムチうつこともあり、あるいは疲労感を見て見ぬふりして走ったり。

しかし、最近はちゃんと身体の言うことに耳を澄ませている。

たとえば

  • 身体がだるい時は無理しない。栄養ドリンクを飲んで睡眠時間を多くする
  • 筋肉痛がひどい時はストレッチをしっかりする。肩こりがひどい時も汗をかくくらいストレッチをする
  • 眠い時は昼寝をとる
  • 気分が優れない時は、きちんとした食事を取って汗を流す。バッティングセンターでバットを振る。夜中の港区を走り回る
  • ネガティブな思考な時は風呂に潜る、ないし、うまいものを喰う

などなど

もしかしたらこのような身体の対話は女性にとっては当たり前なのかもしれない。いわゆる「お化粧のノリが悪い」「今日はクマがひどくて」「足がむくんで」といった形で女性は身体の意見を代弁する。正直いって、30くらいになるまで、「女性は超能力者か」と思っていたほどだ。それほど、自分の身体の変化をくみ取れるなんてスタンド使いでしかありえない、と。

しかし、年を取ると共に(人によっては年に関係ないけど)、身体の意見を尊重できるようになってきた。

ただ、これは年も関係しているんじゃなかろうか。今までの「こういう体調だった」。そんな時は「こうなった」という因果関係を幾度も経験して、その結果、帰納法的に、「こうなったらこうなるな」と推測できる。そうできるには、それなりに時間がかかるような気がする。

そういう意味で、今は大分、体調はコントロールできているのではないかと思う。体質的に簡易な熱はよく出すのだが、会社を休まないといけないほどの熱は出た記憶はほとんどない(社会人になって体調不良で会社を休んだのは1回くらいしか記憶がない)。僕の身体はだいたい20時を越えてから熱を出すシステムになっているようだ。

昔から「身体は資本」と言われていたが、若い頃のこの意味はほんとにわからなかった。多分、ドラゴンボールが影響しているんじゃないかと思う。

「サイヤ人は死の淵から蘇ってこそ強い」というセオリーを信じていたので、身体は酷使するものだと思い込んでいた。学生時代の一時期は睡眠時間は3時間をきっていたし、1ヶ月で10キロの体重を落としたこともあるし、練習なしで100キロマラソンも走ったし、東京から大阪まで歩いたし、2年程ベジタリアンをしていたし。

しかし、やっと「身体は資本」という意味がわかってきた。ビジネスと同じで資本は無駄に使ってはいけない。丁寧にリバレッジが効くようにしないといけない。下手な負債を抱えてはいけない。

ということで、身体に感謝をしながら今日も寝よう