名もなき週末の物語

先週末の金曜日、3人の女性を見かけた。知らない人だし、こんごも知ることのない女性だろう。ただ、おそらくその人たちにはその人たちの時間軸があり、そしてそれを彩る物語があり、そして、その物語を私は想像する。
■女性1
渋谷の文化村通りを歩いていると、1人の女性と1人の男性に擦れ違った。19時頃だから、これから飲み会に行くのだろうか。スーツ姿の男性とスーツ姿の女性。少し小雨の中をささっと歩く。男性が「だから、そこで僕が」なんとやらとつぶやいて、女性は視線を水平線から30度ばかり落とした先を見つめたまあ、うなずく。2人が平行して歩く時、お互いはお互いを見ながら歩かない。電信柱にぶつかるからだ。前を向きながら、「聞いているよ」という仕草もなく、ただ声だけを頼りにコミュニケーションを続ける。新入社員よりは少し歩き方が疲れていて、そして、バリバリのキャリアよりは1歩、歩みが遅くて、ただ目線が渋谷の地面を撫でて、そして男性のコミュニケーションが雨の後の地面をなめて。そして、週末の夜に向かって少しづつ視線は落ちていった。
■女性2
新一の橋近くのファミリーマートがある角で佇む女性。誰かを待っていた。5分裾のレギンスに7分袖の空色ボーダTシャツ。赤いナイロンのバッグを肩にかけて、UFJ銀行の辺りを眺めていた。日差しが強いのか、あるいは知り合いに会うのが怖いのか、角より少し路地に入った場所で、しゅらっと立っていた。平日の時間を考えると学生だろうか。他の可能性としては、スチュワーデスや主婦、平日休日のアパレル店員など何でもありえるとしても確率論から言えば、学生の可能性が濃厚だろう。彼女は恋人を待っているのかもしれないし、友達を待っているのかもしれない。ただ14時20分という時間帯はあまりにもアバウトな待ち合わせだ。30分に待ち合わせして10分前に付いたのかもしれない。でも、それなら、こんな時間から対岸を眺める必要はなかろう。あるいは、コンビニで雑誌でも立ち読みしておけばいい。それとも14時の待ち合わせで、まだ来ぬ人を20分待っているのだろうか。あるいは、時間は関係ないのかもしれない。自宅で待ち人を待っていて、「今タクシーにのった。ファミマでピックアップするから待ってて」と言われたのかもしれない。いずれにせよ、少し不安げなまなざしと少し猫背のシルエットは初夏の麻布十番に違和感なく収まっていた。
■女性3
時間は20時前。金曜日。飲み会に向かう人たちが電車を埋める。あるいは、疲れ切ったスーツの人々が帰路に着く。あまり混まない麻布十番も週末の夜は少しばかり混む。渋谷や新宿に比べるまでもないけれど、それでも改札が一つなのは混む要因になっているんだろう。でも、その分、改札前の待ち合わせを間違うことはないのだろうけど。南北線と大江戸線さえ間違えなければ。その中で、小走りに走る女性がいた。プリーツのワンピースをはためかせながらぱたぱたと。PASUMOを改札でビビっと鳴らし、小声で「すいません」とささやきながら人をかき分ける。モバイルSuica使えばいいのに、と余計なお節介を考えながら、彼女は3番出口に向かって走っていった。エスカレータも使わず、小走りに。左手にSuica、右手に何かの紙。これから飲み会でもあるのかもしれない。その場所のプリントアウトなのかもしれない。でも、この時代にそんなに飲み会の時間を厳守するなんて、なんともジェントル。もしかすると幹事なのかもしれない。あるいは、恋人を待たせているのかもしれない。あるいは、ブルーマンの幕があがるのかもしれない(20時だともう遅すぎる気もするけれど。知らないが)。そして彼女はどうして遅れたんだろう、と考える。仕事が長引いたのかもしれない。出る間際に電話やメールがかかってきて、送らなければいけない資料ができたのかもしれない。明日でいいや、と思っても週末だということを気づいて、週末に持ち越すのが嫌でやっつけたというセンシティブな性格なのかもしれない。あるいは、駅を乗り過ごしたのかもしれない。間違って赤羽橋までいってしまって、タイルの違いに違和感を憶えたのかもしれない。小走りに走るのは久しぶりで少しヒールが足を擦りむくだろう。
良い週末を、と誰かがつぶやくかもしれない。

村上春樹的「平和」な一日

本棚の整理をしていて、久しぶりに村上春樹の一冊を手に取った。村上春樹の小説の醍醐味は、「何気ない日常をなにげあるような一日として再構成」する点にあると考えている。そんなことを思いながら、過去のある一日を記す。
その日は、朝から晴れていたような気がするけれど曇っていたのかもしれない。記憶に残るような日差しの強い一日ではなかったのは確かだ。春にしては暖かく、夏にしては肌寒くというと陳腐な表現だけれど、いわば、「so so」「そこそこ」どこにでも転がっている気候の一日だったということだろう。時に気候は何の役にも立たないし、結局、役に立ったところでそれは後日論でしかない。天気というのは、結局のところ付随条件でしかないのだ。必要条件にたどり着くことのできないドアオープナーとしての存在を人は天候と呼ぶ。
久しぶりに会う友人だった。4年ぶりくらいだろうか。遠くからの距離でもぱっと気づけるということは、きっとその人の外形が記憶に残っているのではなく、もっと別の何かしらを記憶しているのだろうか、と思う。所作というものや立ち振る舞いというような何か。それを人はケビンスペイシーでもない限り、うまく消すことはできないのだろう。髪の毛を茶色から黒く塗り替えただけで主人を見間違う犬の世界とは違った世界に私たちは生きる。そして同時に引きこもりの私としては久しぶりに関係者以外で会う「他者」だった。
たどり着いたのは、少し階段をあがって少し階段を下がって、そしてもう少し階段を上がったお店。喧噪から少し離れ、それでも静寂からはほど遠く、ただそれでも幾ばくかは世知辛い細菌と日常に溢れた雑踏から逃れるように、のれんの奥に広がるエアポケットのような空間に逃げ込んだ。
同僚であれ、同級生であれ、友人であれ、同じサークルであれ、一時の時間を共に過ごした人間は、たとえ両者/関係者を分かつ時間が増えても、その関係性の希薄化の程度は、その空いた時間に比例しない。おそらく1ヶ月くらいの空き時間と5年の空き時間は1.1倍ほどの違いでしかない。逓減は1ヶ月くらいで臨界点に達し、あとは誤差の範囲での平行線をたどるのだろう、と思う。
とある国の話をした。特定の国ではないのかもしれない。しかし、その国はきっとどこかにあって、そして両者にとっては、追い求める国の一つだったのだろう。日本とは関係のない国で、おそらく新聞には週に1回も出ないような国。NHKのニュースになんか1年に1回も取り上げられないかもしれない。
相変わらず、その人は、そんな国を追いかけていて、そして私も違う形でその国を追いかけていて。でも、それに対してどのようなアクションをとれるかは不明確で、そしてマイルストーンも見つからなくて。そもそも、その国が特定できないのだから、リサーチさえも無意味で。でも、方法はきっとどこかにあって、その方法を探しあぐねる。たとえ話でいうならば、新大陸に向かうコロンブスのような。黄金の国はきっとどこかにあって、でも、どこにあるのか、どのような国なのかはわからなくて。それでも彼女はそれに短くない時間を費やし、そして私もまた闇夜に紛れて、その国への思索に耽る。
平和に関する話を聞いた。浅学非才の私の知識では、平和とは「戦争のない状態(byクラウシェビッツだったっけ?)」だった記憶があるのだけれど、もう少し最近の学問では、「貧困、抑圧、差別などの構造的暴力がない世界」を「積極的平和」として見なすらしい。「万人の万人に対する戦い」の中に平和が定義づけられんとしている。ねえなんともロマンチックじゃありませんか。たとえ、それがどこにもたどり着かないエルドラドだとしても、そこに一筋の光はきっとあって。大海原でさまよってサブイボたてる我々も光の差す方に向かっていて。
なぜか国際政治の話をしていると私は高揚する。もっとも軍事やいわゆるところの「戦略論」のようなものではなく、やはり、今後1000年の間でどのような世界が待っているか?というような論点だ。国という定義はおそらく変わり、「グローバリゼーション」は死語となり、そして、何かが変わり、何かはきっと変わらない。
大学時代に学んだことは、今の実務では直接的に役だってはいないかもしれないけれど、きっとこの世界には私を引きつける何かがあって。それが例え青臭い議論だろうと、あるいは理論に裏打ちされたどこにも届かない海上のレコンキスタだとしてもそこには常に何かしらのよりどころがあって。そんなことを思いながら、ヴェーバー先生の「イデオロギーとは神々の永久闘争だ」との箴言は今でも私の生活にまとわりつく。

27歳

先日、友人のブックマーク経由で以下の記事を見た。
» 日刊スレッドガイド : 27歳ってどういう時期なんだろう
いわゆる27歳という年齢に関して、いろいろな人が現状や心境を語っておられます。
へぇ、と思いながら読んだ。あまり年齢は気にしたことなかったから、とても新鮮だった。そして27歳が何かの分かれ目ということも感じたこともなかったから、これまぁ、「へぇ」と思った。
ただ、26歳という年齢は少し意識していた記憶がある。起業のタイミングだ。これはまぁ、また会社のブログかなんかにでもいつか書こうかと。
いずれにせよ、私は大学卒業も人より3年ほど遠回りしたし、そもそも、「国をつくるんだー!」と言うキャリアパスなので、年齢の概念が希薄なのかもしれない。でも、周りを見ると、もう○歳だから落ち着かなくちゃや、結婚や、転職、などの話を年齢と共に聞くことが多い。
そりゃある程度の相関関係はあるのだろう。そして当然ある程度の関係なさもあるのだろう。いずれにせよ、「年齢」という1つの尺度が世の中では共通規格として利用されているのだから、それをベースに話しをするのはコミュニケーションの効率性という観点からは正しい。
精神年齢ベースで話をしても、それを判断する明確な基準はないし、あるいは所得や健康年齢、起きている時間数のような各種パラメタで何かを語ろうにも、結局、よりどころがない。
そのため、人は共通規格を利用する。人を判断する時だって、血液型が重宝されるのはわかりやすさからなのかもしれない。もし世の中が43通りの血液型があったら、こんなにも話題にはならぬだろう。でもたまに「私は○座だから○○だ」という人も見かけるので12通りくらいは、人間のマジックナンバーとして許容できるのかもしれない。携帯番号世代でキャパが広くなったに違いない。
いく世紀が先には「あなたのDNAなに型?」なんて話も飛び交うのだろうか。まぁ、そういうことがあってもそういうものなんだろう、と感じる時代はいつかくるに違いない。でも、「あなたの祖先って誰?」というような規格で話はなかなか聞くことがないので、結局、人口に膾炙するには適切な数字とわかりやすいメルクマールが必要なのだろう。
いずれにせよ、人は27歳を過ぎるし、30を超えるし、そして人生の折り返し地点を越えて、年を取って。そして最後に決算として、感想を述べる権利を得ることができる。自分の人生に対してだけの責務としての感想だ。
これは昔から言っているのだが、私としては「いい人生だった」や「幸せだった」というような言葉よりも「やっとだ」と言えるような人生を歩みたいと思っている次第。「生きることなんて召し使いにまかせろ」といったリラダンの言葉を応用するならば、穏やかな人生は他の方に任せれば良いのではないか、と社会の分布図からそう思う次第。

キュートでクラッシュなジーパンでデジャヴュ

ザイーガで以下の動画をみかけて。

まぁ動画はなんだっていいのだけど、音楽が耳について思わずiTunesで買ってしまい、耳にこびりついてしまいました。歌詞がえらく青春ノスタルジック。
「フレッシュでクールでキュートでクラッシュなジーパン」と聞くと、脳内で色々タグ検索が行われ「ナウでヤングなサーバー」とか「ボデコンでモーレツ」とか「オイニーがゴイスー」とか「狸穴パラダイスにキサナドゥ」とか出てきてシッチャカメッチャカ。
どうでもいい話をすいません。

息抜きメモ

※こないだ「モーニングトーク (いけいけどんどん)」という記事を書いた後で、思いつきで書いた記事だけど、いまいちメッセージが何かわからんので、非公開していた記事ですが、リサイクルのトレンドを踏まえて公開。
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多分、(中略)で。
でも、たまに一般的に言うところの「肩が凝る」というか、「ふぅ」という瞬間があって。そういう時に人は息抜きやストレス解消をする。
カラオケに行くという人もいれば、おいしいものを食べるという人もいるだろう。周りでは、走るという人やデート行くという話も聞く。他にも音楽や映画、読書、漫画、ドライブ、料理、睡眠など人はそれなりの自分にあったやり方で「息を抜く」。それを人は年を取ったというのかもしれないけれど。少なくともそういえば高校生くらいまでは息抜きという概念が人生になかった気がする。ともあれ。
村上春樹は「澱がたまる」と表現し、ある人は「毒素がたまる」と言った。
親友や恋人、肉親であれ、その人たちの独自の息抜きをみていて、それは本当に多様だなぁ、と思った。足ががくがくになるまで走り続けたり、海外の連ドラをカウチポテトで見てみたり、お風呂に長時間使って本を読んでみたり、ひたすら朝まで寝てみたり、どろどろになったり酔って二日酔いに酔いしれたり、あるいは、ボブディランを聞いてみたり、焼き肉を食べてみたり。そうして、人々は世の中と「帳尻をあわせて」生きていく。
自分自身は何だろうか?と考えると、手軽な形(5分から30分での息抜き)では、やはりメディアを利用することが多い気がする。
たとえば以下のように本を読んだり
» 2008年の12冊 (いけいけどんどん)
細切れで映画を観たり(よく早送りで見ていた)、
» 涙腺を亀甲縛りにする青春映画12本 (いけいけどんどん)
文章みたり、
» 泣けるコピペ (いけいけどんどん)
ニコ動やYouTubeなどの動画を見たり
» 個人的に好きな動画をいくつか (いけいけどんどん)
音楽を聴いたり(itunesでは92ギガ入ってた)
写真を見たり
» モーニングトーク (いけいけどんどん)
» イミフwwwうはwwwwおkwwww 神秘的な画像集めようぜ
» イミフwwwうはwwwwおkwwww 壮大な画像くれ
» 【339枚】美しすぎて即壁紙決定な画像 カナ速
» 無題のドキュメント 男なら街の夕焼けとか夜景の壁紙好きだよな?
» a picture is worth a thousand words
» Flickr: The Views: 400 Pool
特に以下のような写真には弱い
» VIPワイドガイド:夏とか少年のころような切なくなるような画像
» 大切な何かを思い出しそうな画像をくれ カナ速
あと最近はゲームの価値を見直して、iPhoneアプリや携帯ゲームをたまにチェックする。人から進められたので記憶に残っているのだと(ビジネスとして知っておくべき含む)のだとGREEの釣りスタやモバゲーのクイズゲーム、iPHoneのTapTapやパズループ、携帯アプリの太鼓の達人や街作り関係ゲームなどなど。
マンガとしては昔はよく読んでいたけど、社会人になって話が出たものだと、こないだはサンクチュアリの価値を改めて亮と共感。あと起業先輩とかからは島耕作。友人とは高橋ツトム。エヴァ、ガンダム、ジョジョはネットの素養として重要だなぁ、と改めて痛感する次第。
いや、何が言いたいかというと、文化、ないしはメディアってやはり素晴らしいですね まる

BGMと事件

ある日、目が覚めたらどこからか曲が流れてきた。夏の日の子供だったら、ラジオ体操を思い出すのだろうし、あるいは、村上春樹なら「遠い太鼓」を思い出すのかもしれない。しかし、その時に聞こえてきたのは、ランバダのような、レゲトンのような、MCATのような、ワルツのような、総じて言えば、全く何の曲かわからないメロディが流れてきた。その曲を耳にしながら、ぼんやりとした意識を、意識上に引きずり出す。今、自分はそもそもどこなのか?今何時なのか。強い日差しが眩しくてうまく目が開けられない。肌が汗ばんで、シーツが濡れている。そこでシーツがあることに気づき、自分がいわゆるところのベッドの上で横たわっているのに気づく。曲はテンポが代わり、またかろやかに流れ出した。シャッフルリピートだ、とどうでも良いことをつぶやく。リピートということは自分はこの曲がリピートされたことを知っているわけで。いずれにせよ、二日酔いに準じたこの頭痛がどこかにいってくれないことには、なんとも思考をまとめることができない。朝、起きたら知らない場所にいた。そんな小説がどこかにあったな、と思い出す。岡島二人だったか、宮部みゆきだったか。あるいは、そのような小説をいつしか憧れていたけれど、日常において、気づけば自分の知らないところにいたなんてことはめったになくて。もちろんお酒をよく飲む人はそんな経験よくしているのかもしれないのだけれど、お酒の飲めない自分はそんなことはあまりなくて。いずれにせよ強い日差しとiPodだかiPhoneだかからのテンポのよいメロディのマッチが何かしら心地よく頭痛のつらさも相まってそのまま目を閉じてふとつぶやく。事件とは日常の延長にあるのではなく、日常の相対性の中にあるのだ、と。
5分32秒(今日はニシヤンに2タンゴ教えて!と聞いたら、BGMと事件というタンゴが帰ってきましたとさ。タンゴ!)

モーニングトーク

英語で言うところの「got stunned」というようなインパクトを受けた写真。日本語ではイマイチ適切な言葉が分からないのだけど。息をのむとか?
それが以下の写真。
dfuhpi.jpg
写真は以下のブログより。「Love」に関する写真を扱ったブログ。とても美しい限り(自分自身、過去に似た試みをしていた気もするけど。Loveじゃないが)。
» Le Love: morning talks
その中でも上記の写真の1枚はことさら感銘を受けた。不格好な適切でない例えで言うならばキャパのこれくらいの衝撃だった。昔からカメラマンというのはハンターというか狩人だと思っていて。瞬間に、狙ったものを射貫くところが。まぁ写真談義はいいや。
この写真のどこにそんなインパクトがあったかの説明は省くとしても、やはり、同じようにこの写真にインパクトを受けた人はいるらしくコメント欄では、妙味あるコメントが重なっている。いくつか紹介しようと思ってピックアップしたけど、なんか野暮だし恥ずかしくなったのでやめる。ただ女性のコメントが多かった。
タイトルは「morning talk」。なんとも味のあるタイトル。

お寿司とポエム

お寿司と聞くと、なぜか人は幸せな気持ちになるのはなぜなのだろうか。少なくとも、「不幸せ」になる人は聞いたことがない。寿司は、やはり、何かしら日本人としての「イデア」なる何かか、大和魂の何かしらを抱えたものなのかもしれない。ちなみに蛇足だが、私はセロリという名前を聞くとダウナーになるがそれは別の話。寿司は、なぜ幸せになるかというと、うまいからだろうか。しかしながら、寿司よりうまいものも世の中にはあるので(比較優位というよりも、全体からみて嗜好性の相対性として)、いちがいにおいしさだけではやはりないのだろう。ただ、寿司はやはり何が良いかというと、ポエミーな点である。なぜポエミーかというと、「寿司いこう」という話を聞くと、人は、詩人になるからである。私の友人でもいるのだが、寿司という単語を聞くとやれ高級なネタを念仏のようにつぶやきだし、そして、シャリだのガリだのニガリだのニガウリだのキューカンバーだのとエスカレーションし、最終的にはザギンでシースー、ギロッポンでヤーキニークと叫び出す人がいて、やはり業界の人はなんというか色々なものがサチっているというか、てんぱっているというか、ギリギリで生きているのだなぁと思う次第。寿司がポエミーなのは、それらの理由からではない。sushiという単語は英語にもなっているが、それが非常に韻を踏みやすいからなのである。有名な寿司の詞としては「I see sushi, you extacy」というポエムは皆様もご存じのこととも思う。これは古イカロスの詞だが、そこには、寿司の快楽は生死をおも左右するという思いが込められていて、これは日本語でも韻を踏んでます まる
6分32秒(メッセで「何か単語2個下さい」と聞いてでてきたのが「寿司」と「ポエム」だった)

夜鳴く鶏

タイトルに他意はなし。思いつき。でも、夜に鳴く鶏がいてもいいんじゃないかと思う。でも近所迷惑だから排除されるかも。鶏の世界において、鳴く時間の多様性は淘汰されてしまうのだ。しかし、そもそも鶏は飛べないのに鳥という非常にユニークで独創的な確固たるアイデンティティを持っているので、それはそれで差異化を生み出しているのだから、それ以上の分化は避けるべき定めなのかもしれない。でも、それってばアイデンティティではなく、独自の個性であり、あるいは、機能なのかもしれない。日本画は、空白を描くという素晴らしい特性を持っているが、鶏も飛べないという「欠落」が独自の機能として作用しているのかもしれない。彼ら(ないし彼女ら)が、なぜ飛べないのかは、私はあずかり知らぬところだけれど、調べる意欲もないけれど(こういう時にPoPInは便利なのだろうか)、まぁ鶏が飛べないというのは、このように人口に膾炙するという点で、PRにおけるフックというかスパイクになっているのだろう。ただし、鶏が知名度をあげたところで、生存における価値はなかなか上昇しないから、結局はROIを無視した戦略になるのかもしれない。ただ、希少価値が高まるとペットとして飼う人もでるゆえに、そこにおける生存可能性(ないし、ベターな生活)は確保されると考えても良いかもしれないと思うが、結局、それは間違いで希少価値が高まれば生産する人が増えるという市場原理が働くので、結局比率は同じに落ち着くのだろうと思う。ただ、種の保存の観点から言えば、頭数が増えれば、種の保存も確保される傾向にあるので、そう考えると、鶏が飛べないというのはちゃんとした理にかなったものかもしれない。ただ、ここで気をつけたいのは、「飛べない」ということの利点が「不利益」を上回る必要があるということだ。つまり、飛べないということで、他の生き物に食べられたり(犬とか人とか)、あるいは馬鹿にされるというネガティブ名声を受ける不利益を利益から差し引かなくてはならない。そう考えると、結局、イーブンな気もしてくるが、それの数値化は厄介なので避ける。ただ、思うに、オムレツはおいしいので鶏さんにはがんばって頂きたい。

泣けるコピペ

省エネエントリ。
たまに週末にみて泣けてます。2ちゃんねるのこの創造性は凄いなぁ、と思いマスです。
» ベア速 涙がでちゃうコピペ
以下いくつか抜粋
■恋人系

どうして私がいつもダイエットしてる時に(・∀・)ニヤニヤと見つめやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして私が悪いのにケンカになると先に謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしてお小遣減らしたのに文句一つ言いませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして交代でやる約束した洗濯をし忘れたのに怒りませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして子供が出来ないのは私のせいなのに謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして自分が体調悪い時は大丈夫だと私を突き放して私が倒れると会社休んでまで看病しますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして妻の私に心配掛けたくなかったからと病気の事を隠しますか(゚Д゚)ゴルァ!
おまけにもって半年とはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
長期出張だと嘘言って知らない間に手術受けて助からないとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で俺の事は忘れていい男見つけろとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちの気持ちは無視ですか(゚Д゚)ゴルァ!
正直、あんた以上のお人よしで優しい男なんか居ませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
それと私みたいな女嫁にすんのはあんた位ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
もう一つ言い忘れてましたが私、お腹に赤ちゃん出来たんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたの子供なのに何で生きられないのですか(゚Д゚)ゴルァ!
そんな状態じゃ言い出せ無いじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
それでも言わない訳にはいかないから思い切って言ったら大喜びで私を抱きしめますか(゚Д゚)ゴルァ!
生まれる頃にはあんたはこの世にいないんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な子だといいなぁってあんた自分の事は蔑ろですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で周りの患者さんや看護婦さんに何自慢してやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
病気で苦しいはずなのに何で姓名判断の本で名前を考えてやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして側に居てあげたいのに一人の身体じゃ無いんだからと家に帰そうとしますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしていつも自分の事は二の次何ですか(゚Д゚)ゴルァ!
医者からいよいよダメだと言われ泣いてる私に大丈夫だよとバレバレの慰めを言いますか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちはあんたとこれからも生きて行きたいんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
それがもうすぐ終わってしまうんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
バカやって泣きそうな私を包んでくれるあんたが居なくなるんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
忘れろと言われても忘れられる訳ないでしょ(゚Д゚)ゴルァ!
死ぬ一週間前に俺みたいな奴と一緒になってくれてありがとなですか、そうですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちがお礼を言わないといけないのに何も言えず泣いちまったじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
あんなに苦しそうだったのに最後は私の手を握りしめて逝きやがりましたね(゚Д゚)ゴルァ!
何で死に顔まで微笑みやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
そんなのは良いから起きて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
生まれてくる子供を抱いて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
子供に微笑みかけて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
たのむから神様何とかして下さい(゚Д゚)ゴルァ!
ダメ女な私にこの先一人で子供を育てろと言いやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
そんなあんたが死んで5ヶ月…
子供が生まれましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な女の子ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
目元はあんたにそっくりですよ(゚Д゚)ゴルァ!
どこかで見てますか(゚Д゚)ゴルァ!
私はこの子と何とか生きてますよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたも遠くから見守って居てください。

嫁は妊娠中。もうすぐ八か月。
西日の部屋で、ソファに座ってお腹を撫でてる嫁を見てたら、なんとなく言いたくなって
後ろから抱き締めて「愛してる」って言った。
ただ、俺の嫁、ろう者なのね。なんも聞こえないの。わかんないの。

わかんないはずなの。
でも、嫁、振り返って

手話で
《わたしも》
って言ってくれた。

俺、明日もがんばれるわ。

■その他

小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした

阪神大震災後のはなし
当時オレはあるファミレスの店員をしていて、
震災後、ボランティアでバイキングのみのメニューを無料で提供する事になった
開店と同時に満席になって席待ちの列、繁忙期以上の忙しさだった
お客さんの中には着の身着のままで来る人がいて、
他のお客さんが「自分は家が残っているし、帰れば着る物がある」と言って
上着を差し出す光景を時折目にして、目頭が熱くなったのを覚えている

昼を過ぎた頃、待ち列の中にやたら身奇麗でアクセをジャラジャラ付けた若い男女二組がいた
彼等は使い捨てカメラで撮影してはギャーギャー騒いでいた
さらに彼等は皆が我慢して並んでいる中、「はやく席に案内してよ」と文句を言うばかりか、
「席に着いたら、即ビール4つね」「わたしパフェたべたーいw」とワガママ放題
見るに見かねてケンカ覚悟で退店願おうとしたその時、
一人の御老人が「あんたら、観光に来たのなら、頼むから帰ってくれないか!」
と涙ながらに訴えた
すると彼等は「カンケーないよw」「ナニか言ってるーw」とケラケラ笑って茶化すだけ
さすがに頭に来たオレが「申し訳ないですが、出て行ってもらえますか?」
と啖呵をきった瞬間、オレの肩をポンと叩いて前に割って入る男性がいた
男性は腕まくりをして見事な刺青を見せ付け、傍若無人な若者たちの前に立つと
「オイ、にいちゃんら はよおうちに帰って、テレビでも見とかんかい!」と一喝
彼等は黙ってスゴスゴと、埃一つ付いてない国産高級車で帰っていった

その後、ヤのつくヒトであろう男性は帰り際、
「店員さんはケンカしちゃいかんよ、そういうのはワシらの仕事やからw」
「食事ありがとう、おいしかったよ」と言って店を後にした
その時の男性の埃まみれのパンチパーマにヒビの入ったサングラス、
少し足を引きずって歩いて帰っていく姿が印象的だった

■おかん系

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。

それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた

これも有名
» pya! 「ありがとう」って言いそびれたヤツいる?

» 無題のドキュメント 感動コピペで泣いたらちんちんどっかん
■ビジネス

そのときの部長はすっごく冷たくて、いつもインテリ独特のオーラを張り巡らせてる人だった。
飲みに誘っても来ることは無いし、忘年会なんかでも一人で淡々と飲むようなタイプで、
良く怒られていたこともあって俺はすごく苦手だった。

ある日のこと、部長の解雇を伝える社内メールが全員に届いた。
あのむかつく部長が居なくなる!!心の中でガッツポーズしたのは俺だけじゃなかったはずだ。

それから1週間後、部長の最後の出勤日。
退社のセレモニーが終わるとみんなそそくさと帰って行ったが
部長と俺だけは居残って仕事を片付けていた。
送別会の開催も自ら断った部長を苦々しく思っていると、珍しく専務から呼び出された。
しぶしぶ専務室に行くと、課長と専務が待ち構えていた。
俺はそこで始めて課長から「部長解雇の真相」を聞いた。
原因は俺だった。俺のミスの責任を全て部長がかぶってくれたらしい。
話を聞いてたまらなくなった俺は急いで部署に戻ったが、部長の姿はすでに無かった。
ふと自分の机の上を見ると、封の開いた買い置きのタバコ。すでに一本無くなってる。
横に添えられたメモにはこう書いてあった。

「これぐらいはいただいても良いはずだ」

俺にとっては無くなったその一本が、思い出の一本です。

■いい話

劇場の喫煙所にて。
俺がボーっと煙草吸ってたら、後から来たおっちゃんが
「アレ?アレ?」という感じでライターを探してた。
お、これはいい事をするチャーンス!と思い、
このスレで学んだように、自然に、さりげなく・・・を意識しながら
自分のライターを差し出した。
しかし。
おっちゃんの手には、やっと見つかったらしい
高級そうなライターが既に握られていた。

うわ百円ライターなんて出しちゃって俺ってばもう!
と慌てて手を引っ込めようとしたら、
「有難う、確かあった筈なんだけどなぁ」とか誤魔化しながら
俺のライター使ってくれた。
こっちが有難うだよ、おっちゃん。

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