本:とにかくすぐやる人の仕事の習慣

とにかくすぐやる人の仕事の習慣
豊田圭一
クロスメディア・パブリッシング(インプレス)
売り上げランキング: 1447
おすすめ度の平均: 5.0

5 すぐやることで仕事の質が上がる
5 ”すぐやる人”になりたい方必見

豊田さんが新刊を出されたそうです。献本御礼!
「すぐやる人」の代名詞である豊田さんのテクニックやポリシーなどの本。
冒頭にも書かれていますが、

すぐやるは性格ではなくスキルの問題だと思っています。

という言葉に哲学が集約されているのではないかと。
「時間とうまく付き合う方法」「手帳、メール、電話の活用法」「ネットワークを作る」といった風に生活全般のノウハウが書かれています。
ちなみに、実際、本書(と今までの著書)にもあるように、氏の「メールの返信速度」はチョっ早で驚くほど。こちらが送信してから、1分かかってない時もあるのではないでしょうか。
あと、本書で「まずは、他の人にできることをする」(いわばギブ&テイクのギブを最初に)という点が書かれていますが、実際に氏はそのようなスタンスで素敵!
このようなテクニックに興味のある方はどぞ!
※お詫び
>他に献本下さっている方々
まだ読めておらず申し訳ありません!!お恥ずかしい限りです。

幸せは善であるか?

ちょうど最近、「幸せのトレードオフ性を持つか」という話を聞いた。
つまり、自分が幸せになれば、その+になった分の幸せは、ダレカガマイナスになっているというとらえ方で、逆は「みなが幸せ+になることもありうる」という見方である。
これは立脚点をどこにおくかで変わってくるけれど、行動経済学では確か、トレードオフになる(たとえば、皆の給料が100円で自分が80円と、自分が70円で他が60円の場合なら、後者を選ぶ)。
このデータだけをみるならば、人は相対的に幸せを感じると仮定し、そうした場合、幸せはトレードオフとなる。
ただ、もちろんマクロで見れば別の話になるし、幸せをどう数値化するか?という問題もある。たとえば、100年前より寿命は延びているのだから、それを幸せと仮定すれば、現在の方が幸せの総和は増えていることになる。
いずれにせよ、幸せという概念を耳にした。
そして、この幸せという概念がくせ者で。22歳くらいに成人式のテレビをみた。
その時に、その成人たちが一番の夢(目標)が「幸せになること」だった。それを聞いて、腹筋しながら見ていた私は激怒したね。メロスのごとく。テレビに向かってどなったさ。「アホか」と。
何度か書いた気もするけど、幸せは感情であって目的ではない。つまり、結果であって、目指す目標にはなり得ないはずなのだ。
「目標は幸せ」という言葉をきくと「ご飯なにたべたい?」「美味しいもの」という質疑を髣髴してしまう。
もちろん幸せが目標、という価値観が存在するのは理解できる。しかし、それはブレイクダウンする必要があって。たとえば「どういう時に幸せを感じるのか」「その場合を得るにはどうすればいいのか」というステップで考えて、そして幸せの後ろにある目標に落とし込むってのがスジだろう、と(一応フォローすると、細かくいうのがめんどくさいから幸せといったり、具体的幸せがあるけれどわかりやすく幸せという心理的機構があるんだろうけど)。
ただ、ここでふと思い立った。「目標は幸せ」と考える人は、「目標という文言=幸せ」という同義でないと捉えるから、そう回答するわけである。つまり「目標を達成した時の感情は、幸せや達成感、社会的貢献、征服欲、各種欲の達成」といった様々な感情を結果として得る中で、「幸せを欲しい」と言っているのではないかと考える。
しかし、一般的に「目標を達成する」ということは「幸せである」ことではないのかしら。と思った。
わからない。
ただ、そこでふと「幸せ」ということは善である価値観自体を否定できたら面白いんではないだろうか。
冒頭の幸せトレードオフ議論も、「他より良い=幸せ」といった心理があるから、幸せがトレードオフになるわけだ。
よって「幸せでないことが目指すことである」という価値観があれば、世の中はずいぶん生きやすくなるんではなかろうか。
確か、父親が「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」という山中鹿之助の名言をよく呟いていた記憶があるが、この価値観は凄いと思っている。
つまり「苦しいこと/大変なこと」を望むという価値観を持っていれば、世の中、恐ろしいものはないのではなかろうか。
これを通称「人生マゾ」と呼ぶわけだが、長距離ランナーも一種のその人種ではないか。というのも、フルマラソンを走ると「よくそんな辛いことするね」と言われるわけだが、その辛いことが楽しかったりするわけだ。
ある種、人生、チャレンジャーの人たちも人生マゾで、場合によってはこれは「挑戦する/闘う」ということにアドレナリン分泌しまくりの通称「平成のサイヤ人」が該当する。「つええ敵におらわくわくすっぞ」という奴である。
また、「たのしければハッピー原理主義者」においては、人生の振れ幅(いつか書いた差分)こそが妙味であって、「辛いこと」「マイナスなこと」もなければ、逆に不幸せという気むずかしい矛盾を内包した存在もある。これは通称、「東京大学物語のなんとか遙」と呼ばれる。
これらの人種は、必ずしも幸せを是としない。いや、是としているのかもしれないけれど、それを善としない。
いや、定義がややこしいな。つまり「一般的に他の人がうらやむこと」に対しての評価を高くもたない、くらいの方がいいのかな。
いやまぁ、何がいいたかったかというと、「幸せてきなもの」を目標におくと、幸せになりにくいのではないかと思うわけだ。つまり、余計な嫉妬やねたみ、うらやみ、自己比較が発生する(これは個別論になるけど、総論としては心理学的に、そのような傾向にある)。
逆に「幸せでない価値観(ネガティブな価値観)」を是とする価値観があれば、それは逆に人生を”幸せ”に享受できるという、すさまじい人生のパラドクスが隠れているんじゃないか、とふと思った次第。

東京マラソン顛末

2月28日、東京マラソンを走ってきた。せっかくなので、ご参考情報でも(周りでもランナー多いし)。
まず抽選であたったのはめでたいことです。倍率今年は10倍くらいだそうで。
ただ、当方としては4度目なので、「やっと」という気分。これ当選する方法もいくつかあるようです(ただ100%というのはなかなか難しいみたいですが)。知り合いには「毎年出てる」というごにょごにょな方もちらほら。
で、事前練習など出来るわけがなく。当日でさえもスケジュール的に参加できるか怪しかったのですが、まぁ当たった以上、出たいわな、ということで無理くり参加(結局、終わってから余韻もなく風呂も入れず仕事するハメになりましたが)。
ちなみに朝も出かける直前まで資料作成という自体に陥っていたので、防寒具の用意など出来るはずもなく(忙しさPRをするつもりは毛頭ないのですが、一応経緯を)。
土砂降りの5度の気温の中、傘も持たず現地に到着。そして、ざーざーぶりの中、Tシャツ・短パンという姿は我が身だけ。98%くらいの人が、傘やカッパ、ウィンドウブレーカーで雨対策。
いやさ、ランナーってそんなヌルイことでいいんすか、と一人思いながら、並ばらないといけない時間からスタートまでの30分をガチガチ歯を鳴らしながら待つ。しかも時計も見あたらなかったので、じゃらじゃら系時計というひどさ。
もはやこの時点で戦意喪失というか、意識が明後日の方向に。image, 1年でもっとも寒い時期に雨に打たれながらTシャツで30分、たちつづけるという苦行を。
そして、意識は「タイムだせるかな?」から「完走できるかな」になり、次に「今日までの資料まにあうだろうか」から「明日の仕事できるかな」と仕事ごとへ、そして「自分は何しているのか」、「私の存在は何なのか」のように哲学的命題に移り変わりゆきます。最終的には「マラソン保険ってあるんだろうか」みたいなよしなしごとまで。
でも、「不毛地帯のシベリアに比べればましか、と相対的に心を穏やかにさせます(小説版しか知らないけど)。
そして、偉い人のスピーチや同じことしかしゃべらないDJなどの慰みも終わり、9時10分出発。
立ち止まるつらさに比べると、どれほど嬉しいことか!
そして新宿都庁前から、港区の方に向かいます。最初の10キロはまぁ楽しい、と。そこから10キロは、気持ち的には飽きてくる。
街頭の「頑張って」という声援は非常にありがたいものの「がんばってるがな!」とかこっそり突っ込み、たまに「Fight」という応援幕も見かけ「闘え!ってことかしら。和製英語のファイトならカタカナにしようぜ!」とか一人毒づくものの、フォローしておくと、いずれにせよ東京マラソンの良さはこういう地元の方々との絡みでしょうね。天候さえよければ非常にありがたい感謝感激の励ましでしたが、天候の悪さで世界が敵にみえていたんす。
さて、港区に入り見慣れた風景になり、少し気分も気楽。iPodを持っていたものの、手がかじかんで、スイッチのオンさえ出来ない状態で20キロまで到着。
そして、そこから浅草の方へ。この辺で雨がやんできて、急にテンションもあがってきます。iPodもオンできるし。
街頭では「バナナ」とかの給食がでる(公式のもの)。たまに、非公式の方がチョコとか飴もくれる。「お汁粉」まであった。こういうのはとても元気がでる(それどころじゃなくてあまり口に出来ませんでしたが)。
20キロから30キロまでは楽しく走る。35キロくらいから、テンションだだ下がり。たまにボビーなんとかの芸能人もいる。
やはり、見慣れた東京の街を走るのは楽しい。「銀座四丁目」あたりは、人も多くて楽しい。「角を曲がると、そこは銀座だった」みたいな。
また、いたるところで催し物がされており、歌うたったり、バンドがあったり。ゆっくりは見れないけど、これもそこそこ楽しい。
コスプレしている人は、そこそこいた。サッカーのワールドカップのトロフィーやスパイダーマン、動物などなど。ただ、ホノルルに比べると少し少なかったかも。
そして、まぁ最後はゴール。運営のオペレーションはエクセレント。ほとんど待ち時間なく、「メダル」をもらって、タオルをもらって、「給食」をもらって、手荷物の返品まで至る。この辺りは感動。
※ただし、東京マラソンは「津波の心配の中の決行」や「オリンピックの期間中の開催(東京ってオリンピックに申請してたんじゃなかったっけ?)」で批難されていた点もあることを念のため注記しておきます。個人的には、その辺は価値観の問題なので評価いたしかねる。
タイムは相当悪かった・・・。どれくらい悪かったかというと、100キロマラソンの42キロ時点の記録より悪かったというほど悪かったので書かない。聞かれても言わない。
42キロマラソンは02年のホノルル以来ぶりだから7年ちょいぶり。ただ1度でも走ってるとペース配分がわかるので気が楽です。ただ、年の(以下、矜持のため自主規制)。
100キロマラソンの時は「あ、アキレス腱切れるかも」という恐れと共に走っていましたが、そういうのもなく(実際、ぷちぷちいってた)。
ただ、筋肉痛は案の定。地元の駅で降りたら、私と同じように足を引きづりながら階段をのぼる外国人がいて、妙な連帯感。お疲れ、というような。
総評としては、やはり東京マラソン、かなり楽しいマラソンでした(そんなに他の大会を走っているわけではないので絶対評価ですが)。皆様にも当選がありますことを願って。
参考:100キロマラソン (いけいけどんどん)

遠藤さん選挙スタッフを募集

先日、ご紹介した「遠藤ちひろ御大の多摩市長選挙、出馬」関連。
遠藤さんが選挙を手伝ってくれる方を募集しているそうです。平日夜だけでも、週末だけでも、自由な感じで、可能な範囲でOKとのこと。
学生さんでも、社会人でも問わないそうです。
私も過去には、お手伝いしたことも。色々学ぶことの多い経験です。あと遠藤さんは、後のアメリカ大統領くらいにはなる位の面白い方なので、それもおすすめです(実際、非常にユニークな御大です)。
もうあと1ヶ月、ラストスパート。東京最年少の市長選挙誕生へのスパートです。もはや現代の戦。熱き日々を過ごせること請け合い(体験談)。
ご興味ある方は、以下のお問い合わせか原田までご連絡頂ければ幸いです。
http://sitesrv.tank.jp/contcgi/form.html
よろしくお願いしますー。

メールの不達とツイートと

電子メールは不達の時がある。
たとえば、相手の迷惑メールに振り分けられている時や、相手が今は利用していないアドレスにメールを送った時、サーバのエラーなどだ。
そんな時、メールはどこにもたどり着かず、放浪の文となる。
そして、かなしいことには、自分にとっては、どのメールが不達か知るよしもないのだ。
仕事のメールなら、まだいい。返事がなければ「届いていますか?」や「電話」で対応することができる。けれども、プライベートのメールならば、そしてそれが時に「重たい」メールならば、「届いたか?」と確認することさえ憚られるだろう。
そして、送った方は、相手がメールを返していないという記憶を持ち、相手は読んでもいないのだから、知らないままそのメールは時空の狭間を彷徨うことになる。
なんて悲しい。
そんなことをふとtwitterのDMを見ながら思った。というのも、たとえば当方ではtwitterのDMスパムがけっこうな量になっており(1日30を超えるかも)、そもそもメールの通知も切っている。
だから、もしDMで誰かが連絡をくれても見逃すだろうなぁ、と思ったのだ。
そして、それは決してtwitterだけの話ではなく、メールや時に携帯メールでさえもそのようなことは起こるかもしれない。
見られることを前提としない文章はそれで存在意義があるが、宛先がついたメッセージが誰にも見られないとは、なんとももの悲しい。
たとえば作家のフランツカフカ。
彼は遺書に未完の原稿を燃やすことを記した。しかし、友人はそれらを燃やさず出版した。それらの中には、かの「城」や「アメリカ」「審判」なども含まれている。
もし友人が従っていたら、これらの物語は日の目を浴びることなく世界から消えていた。悲しい。
でも。
でも、たとい時にいくつかのメールが不達で埋もれてしまったとしても、それは何かしら人生の出会いと同じで「そういうもの」なんだろうなぁ、とも思う。
人生で、「たまたまの街角での出会い」があるように、逆に「本来起こるべきだった何か」が起こらなかったということもありうる。
twitterのタイムラインを見ていると、そのような岐路が色々紛れているなぁ、と。
ツイートの流れに「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」という川の流れを見たりして。
たららん。

匂いの復権

最近、匂いがなんだか力を増しているような気がする。
というか、単にアロマをよく目にするようななった、という程度なのだけれど。あるいは年齢に応じて、そういうのが目につくようになってきただけなのかもしれない。
中学生の頃は、インセンスだか何だかのアジアンテイストなお香が流行っていた気がする。ヤンチャな人たちは制服にその匂いをたきつけていた。バニラだか、ココナッツだかなんだか。
高校生になると色気づいた人たちが香水を使う。雄な方々もCKのなんだかとか、アクアなんだか、ウォーターなんだかなどさわやかさを求め、馬子にも衣装な形でそれなりに教室には幾分、匂いが漂っていた気がする。
いつからか、アロマのトレンドが増え、蝋燭を筆頭とし、オイルがでてきた。最近はスティック型のものもよく目にする。
今日、雨上がりに外に買い物に出かけた(クリップ)。
雨上がりの匂いが、昔の記憶を刺激して、なんだかおののいた。戸惑った。慌てた。自分がどこにいるか分からなくなるほどの濃い匂いだった。そして不思議なことにその匂いが何に結びついているかは明確でもなかった。ただ過去を意味するような匂いだった。
よく言われるように、匂いは記憶と密接に結びつく。それが妙技たるゆえんは、匂いは記憶として思い返しにくいからだ。
ニンニク程度の匂いだと香りを思い出すけれど、10年前に誰かがつけていた匂いはどこかに埋もれてしまう。
それでも、その匂いを再び嗅ぐとそれがトリガーとなり、同時に記憶がよみがえってくる。その「忘れてた度」と「思い出せる度」の差分が大きいゆえに匂いは情緒的な存在となる。
この所作はあらゆる小説や映画などでも利用されるほど、心理的インパクトは大きい。
時をかける少女ではラベンダーの香りが、辻仁成の「嫉妬の香り 」はタイトルにあるように匂いに纏わるエピソードで、あるいは村上春樹氏がウィスキーの本でその匂いに関して触れている。
個人的エピソードを1つくらいあげるならば、昔、留学時に知人が手紙をくれて、その手紙には香水が振られていた。粋なことをするものだ、と思った記憶がある。
そういう風に香りは人生を時に色もなく彩る存在となる。
とはいえ。
とはいえ、突然街中で過去を引っ張り出すのはかんべんしてよ、と思うです。

見えない敵と戦う少年

先日、信号待ちをしていた。
隣で小学生1、2年生とおぼしき少年がいた。
少年はジャンプを繰り返し、たまにパンチを繰り出していた。
何と闘っているのだ?と見ていたところ、どうやら車の影と闘っていたようだ。
車の影をジャンプで交わして、その影に攻撃していた。
見えない敵と戦う少年がいる、と思った。
この話は別段、少年に限らなかったりする。実は「見えない敵と戦う人」は少なからずいる。
たとえばジャーナリストの知人は「真実を暴く!」という信念で戦地にも向かう。そこにいるのは、局地的には「政府」「隣国」などがあるかもしれないけれど、大きなところでは「見えない敵」と闘っている。
政治や国営に携わる知人もそのような人が多いかもしれない。
ブログなどのWebメディアでも「おうおう、そんな喧嘩腰にならんでも」と思うほど牙をむきだし闘う人たちがいる。時には不正であったり、邪悪(evil)であったり、あるいは偏りであったりするけれど、いずれにせよ、長期的には何かしら「巨大な見えない敵」と闘っていたりする。
そんなことを考えながら交差点を渡って、道を折れた。少し進んだ。
その道では、男性と女性が2人歩いていた。男性はスタスタと道を渡った。その道は2車線の2方面で信号機のない場所だから、少しタイミングが難しい。
女性はそんな折「渡れないよ」と男性に声をかけて、男性は中央分離帯で止まっていた。
道を渡るということの是非はともかくとして、そこで「渡ろうとチャレンジ」するかどうかが1つの闘いでないかとふと思った。
いわば「何かへの挑戦」が1つの見えない敵との戦いになるのかもしれない、と思う。
以前、「人生は差分だ」と書いたことがあるのだけれど、もしかしたら、人生は「挑戦の総和」で決まるのかもしらんな、とふと思った。

時には電車の中で大口で

先週、夜。23時ごろ
打ち合わせの帰りに電車に乗っていた。大江戸線の六本木。
大江戸線は他の車両よりも空いていることが多い。それでも、この時間はそこそこ混んでいて。
ふと、妙齢の女性が座っているのが目に付いた。その容姿ゆえではなく「上に大口を空けて、爆睡していた」からだった。まぁ、その端麗な容姿とのコントラストが否応にも目を引いたのは否めないけれど。
周りの人は特に気にせず横に座っていたアフリカ系の人はiPhoneで熱心に何かを読んでいた。思わず中島みゆきのファイトが脳裏に浮かんだ。
一時の安寧とオリエンタルな地下鉄だった。
先週、夜。26時頃。
走ってこよう、と思ってマンションの部屋から1階へ向かった。
マンションの郵便受けを2週間くらい空けてないな、と思いながら、エレベータがN階で止まった。
エレベータ内から透明ガラスを通じて、N階を見ると、女性の部屋から男性が出てきていた。女性は部屋の中で、扉を開けたのが男性だった。
エレベーターのドアが空いて、女性が男性に怒っているのが聞こえた。男性は女性と目を合わせず下を向いていた。
ドアを空けながら私は「乗りますか?」と聞いた。男性が2秒ほど考えてから「すいません。先にいってください」と男性は言った。
平日丑三つ時の論争と慈しみのN階だった。
先週、夜。23時頃。
大学の同窓会的な何かで寄ったグローバルダイニング系の飲食店@恵比寿
トイレに立った私はテーブルの間を抜けて。ふと、女性が1人で食事をしていた。
周りは誕生日の祝いやカクテルショーで賑わしい中、そのテーブルにはシーザサラダとファフィータ、バッファローウィングにガカモレがところ狭しと並んでいた。
1人で食事する人は珍しくない「コンクリートジャングル」だけど、その量の多さが目について。
栄養素とカロリー以外の何かを腹に収めるように、その人は食事をしていた。
喧噪と哀愁が同席するテーブルだった。
都会の夜はドラマが溢れているな、と思う。嫌いではない。私が勝手にドラマを作り上げているだけかもしれないけれど。

思いどおりに働く!―20代の新世代型仕事スタイル

思いどおりに働く!―20代の新世代型仕事スタイル
宮脇 淳
エヌティティ出版
売り上げランキング: 12643

上記の本に取り上げて頂きました。
以下のような内容。

20代の注目すべきビジネスパーソン10人の取材をもとに、これからの働き方のヒ
ントや最新のウェブツールを紹介する実践的な仕事本。

ちょっとした仕事術的なものをお話いたしました。
しかし20代も最後の年になってしまつた。あまり年齢は気にしない生き物なので、便宜的に意識しているフリをすることになるのだけれど。
さて本書、他の回答者の方々がユニークな方なので、是非、お手にとって頂ければ幸甚です。
そして何より宮脇さんありがとうございました!

瀬谷ルミ子さん

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瀬谷ルミ子さんという方がいらっしゃいます。
面識は全くないのですが、以前メディアで拝見して感銘を受け「負けない!」と思いブログTwitterなどをよく拝見しています(文章も面白い)。
公式プロフィールをブログから引用させて頂くと

中央大学総合政策学部→英ブラッドフォード大学紛争解決学修士号取得。国連PKO、外務省、NGOなどで勤務。第二回秋野豊賞受賞。
ルワンダ、アフガニスタン、シエラレオネ、コートジボワール等で勤務。専門は紛争後の復興、平和構築、治安改善(SSR)、兵士の武装解除・動員解除・社会再統合(DDR)など。
アフリカのPKOセンターで軍人、警察、文民の訓練カリキュラム立案や講師も務める。

と書かれているように、国際社会における内戦や戦争後の地域に貢献されている方です。
上記で強調した「DDR」が専門で、「DDR」とは、Disarmament, Demobilization, and Reintegrationの略で「武装解除」「動員解除」「社会復帰」の三つのプログラムを総称。
私自身、上記にも記載されているような「ルワンダ」や「アフガニスタン」「ケニア」など海外の戦地をまわったからかもしれませんが、この辺りの厄介さは想像を絶するものだとは理解できるので、単純に感銘を受けるわけです。
「武力を解除させる(その人たちにとっての戦争を終わらせる)」というのは、「戦争を始める」ことの数倍~数十倍は大変なんではなかろうか。武力を解除することにって、自分は殺されるかもしれない。あるいは仕事がなくなるかもしれない。何より習慣を放棄することになる。と「戦士たち」は考えます。
それを「武力を使わず納得させる」わけで(ソフトパワーも含め)、何たるタフネゴシエーター
そして年齢は関係ないかもしれませんが、32歳の若さで・・・。
過去にはニューズウィークの「2009年 世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれ、アフガニスタンのカルザイ大統領から「ミスDDR」とも呼ばれています。
周りは国際政治に興味ある人も多かった気がするので、何となく共有でした。もう業界では著名人かもしれませんが。

↑ 最近はYouTubeにチャンネルも公開されたそうです。
著作は以下。

武装解除  -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)
伊勢崎 賢治
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おすすめ度の平均: 5.0

5 紛争地域との関わり方
3 国際貢献とは何かを考えさせられる
5 事実は冒険小説よりすごい
5 平和のコスト
5 一気に読んでしまいました

国際協力の現場から―開発にたずさわる若き専門家たち (岩波ジュニア新書)
岩波書店
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おすすめ度の平均: 3.5

4 若手の国際協力専門家紹介
4 日本女性の活躍
3 若き専門家たちの挑戦

以下もご参考まで。
組織の枠を超えて輝く個人の力 | キャリワカ:仕事術 | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉