Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法, ロルフ・ドベリ、安原 実津を読んだ。
めちゃめちゃいい本だった。また読み返したい
>頭の中で検討を重ねることに、意味がないわけではない。短期間でも集中して考えれば、とてつもなく大きな気づきがある。しかし、 時間とともに新たに得られる認識はどんどん小さくなり、すぐに思考は「飽和点」に達してしまう。 たとえば投資の決断をするときは、調査できる事実をすべて机の上に並べ、考える時間は三日もあれば十分だ。個人的な決断なら、一日でいいかもしれない。 キャリアチェンジするかどうかを決めるなら、長くても一週間。ひょっとしたら気持ちの揺れを抑えるための猶予期間も必要かもしれないが、それ以上長く考えても意味がない。行動を起こさなければ、新たな気づきは得られないのだ。
考える時間は3日も十分。キャリアの話でも1週間
>アメリカの心理学者でノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンが「ピーク・エンドの法則」 と呼んでいる法則がある。私たちが旅行に出かけたときの記憶に残るのは、その旅の「ピーク」と「終わり」だけで、残りは忘れ去られてしまう、という法則だ。
つまり旅行は短くても長くても思い出観点では同じ価値かも?!
>頼みごとをつい引き受けてしまうのは、生き物の本能的な反応なのだ。 そう気づいた私は、対抗措置として、ウォーレン・バフェットのビジネス・パートナーであるチャーリー・マンガーが実践しているという「五秒決断ルール」をまねることにして
頼みごとされたら5秒で考える。そこでOKといえなかればNG
>理由はふたつ。ひとつ目は、状況に応じて何度も決断をくり返すと、判断力が鈍ってくる。専門用語でいえば「決断疲れ」 と呼ばれる現象である。 たび重なる決断に疲れた脳は、もっとも安易な選択肢を選ぶようになる。そしてそれは多くの場合、最悪の選択肢でもある。「誓約」が有意義なのはこの点だ。 誓約を立てると、毎回、「メリット」と「デメリット」を天秤にかけて決断する必要がなくなる。決断はすでに下されているため、それ以上、思考のエネルギーを使わなくてすむのだ。
自分は「週末に仕事しない」とかの制約が大事という話。
>ウォーレン・バフェットは、「事後交渉は受け付けない主義」
腹の探り合いは時間の無駄。
>先に列挙した「人生のマイナス要素」の中にいくつか欠けているものもある。「病気」「身体的障害」「離婚」だ。これらのことで受けたショックが、思っているほど長続きしない ことは、数多くの研究結果ですでに明らかになっている。 極端な例を挙げよう。無理もないことだが、半身不随になった人は、事故後数か月は自分が負った障害のことで頭がいっぱいになってしまう。当然、そのあいだは幸せには感じない。だが、その数か月が過ぎると、気持ちが落ち着いてくる。次第に日常の雑事が考えの中心を占めるようになり、障害に関することは頭の後方に押しやられる。離婚も同じような経過をたどる。数年も経つと、涙に暮れる最悪の時期は過去のことになっている。 ところが、アルコール依存、麻薬、慢性的なストレス、騒音、長い通勤時間などは──つまり最初に列挙したすべてのものには──慣れるということがない。
マイナス要素で、慣れるものと慣れないものを切り分けることが大事。
>結論。よい人生は、究極の幸せを求めた結果として得られるものではない。馬鹿げたことや愚かな行為を避け、時代の風潮に流されなければ、人生はおのずとうまくいく。「何を手に入れたか」で人生の豊かさが決まるわけではない。「何を避けるか」が大事なのだ。 ユーモアのセンスあふれるチャーリーは、こうも付け加えている。「一番知りたいのは私が死ぬ場所だ。そうすれば、その場所を常に避けていられる
不幸なのを避ければ、幸せになれる。
>周囲の人にこの質問をしてみたところ、もっとも多かったのは「個人的な成果が 60 パーセント前後、偶然による成果が 40 パーセント前後」という答え
>バフェットは、生まれたときに運命づけられるこうした格差のことを、「卵巣の宝くじ」と呼んでいる。アメリカの代わりに、もちろんドイツやスイス、そのほかの先進国をこの話に当てはめてみてもいい。あなたはこの質問にどう答えるだろうか? 私がこの質問をすると、ほとんどの人は「 80 パーセント前後」と答えた。私もそう答えた一人だ。 つまり私たちは、「私たちの収入のかなりの部分は、恵まれた国に育ったおかげで手に入った」と思っている。先進国に生まれることは、それほどまでに経済的な優位をもたらすものなのだ。 そう考えると、「生まれた場所」が私たちの社会的な成功の大きな要因になっていることは、明らかではないだろうか。 すでにあなたは、途方もない幸運に恵まれている 生まれたときに運命づけられる格差、前述の「卵巣の宝くじ」の対象になるのは、「生まれる国」だけではない。その国の、どの地域の、どの家庭に生まれるかも、自分で選べない。 現在のあなたに有利にも不利にも働くあなた自身の価値観も、ものの見方も、思想も、あなたが自分で身につけたものではない。 気がつけば入っていた「学校」という制度の中で、あなたが勉強を教えてもらった教師たちも、あなたが選んだわけではない。 あなたが病気で苦しい時期を過ごさなければならなかったのも、悲劇的な出来事が起きたのも(もしくは悲劇的な出来事に遭わずにすんだのも)、あなたに責任はない。 そうはいっても、あなたは「これまでの人生には、さまざまな役割をこなしながら自分自身で選び取ってきたものがある」と言うかもしれない。
こういう不平等をなくすビジネスしたい
>研究結果によると、 こうした面接は実はあまり意味がなく、面接者のそれまでの実績を 仔細 に検討したほうがよっぽど役に立つ らしい。 考えてみれば当然だ。「三〇分間の表面的な会話」と、「三〇年間の実績」のどちらにより説得力があるかはいうまでもない。自分の感情を分析するのは、自分で自分の就職面接を行うようなもの。まったく当てにならないの
面接では、実績をきくのが重要
>だが、マイアミビーチにいたときに、私がいまよりどのくらい幸せだったかというと、その度数は「ゼロ」だ。これが、「フォーカシング・イリュージョン」である。 ノーベル経済学賞を受賞した心理学者のダニエル・カーネマンは、次のように説明している。フォーカシング・イリュージョンとは「特定のことについて集中して考えているあいだはそれが人生の重要な要素のように思えても、実際にはあなたが思うほど重要なことでもなんでもない」という錯覚を表す言葉だと。 つまり、 人生における「特定の要素」だけに意識を集中させると、その要素が人生に与える影響を大きく見積もりすぎて
カリフォルニアは天気の良さが最高とかいうけれどそのような価値は実態件ベースでは、そこまで重要ではない。
>それでも、ヨットを買った経験はどうやら無駄ではなかったらしい。「ヨットを所有していて一番嬉しかったのは、買った日と手放した日だった」と彼は言った。 おわかりいただけただろうか。
> すばらしい経験を重ねることが、幸せな人生につながる。ついでにいえば、「結婚生活」においても大事なのはやはり、その生活を通してよい経験が得られるかどうかだ。
一緒にいて喜びを感じる人を「結婚相手」にするこよが重要。
>平凡からはほど遠い彼の著作『Risk Intelligence(リスクインテリジェンス)』(未邦訳)の中で、JPという名前のプロのバックギャモン(ボードゲーム)プレイヤーについて書いている。 「JPはわざといくつかミスをした。相手がその機会を活かせるかどうかを見きわめるためだ。そして相手がそれを巧みに利用してみせると、試合を打ち切った。見込みのない試合にエネルギーをつぎ込むのをやめるためだ。 つまりJPには、ほかのプレイヤーたちに見えていない
すごいな
> 「ほんの少しの華々しい時期を除けば、偉人たちの人生はとても刺激的といえるようなものではない。 ソクラテスはときには友人たちを招いて豪華な食事でもてなすことがあったようだが、一日のほとんどの時間は妻のクサンティッペと静かに過ごし、午後の腹ごなしの散歩の途中でせいぜい一人か二人の友人に会うくらいだった。 カントは自分が住むケーニヒスベルクの周囲一五キロより遠くに出かけたことはなかったといわれている。ダーウィンは世界旅行から戻って以来、死ぬまでずっと自宅で静かな暮らしを送った(中略)。 つまり、偉人たちは得てして静かな生活を送っているものなのだ。人から見れば、たいした楽しみもない人生のように見えただろ
偉人たちも人生は平凡だったという話
>一九六六年生まれのグリゴリ・ペレルマンは、「現在生きているもっとも偉大な数学者」と評される人物である。 数学の世界にはいまだ証明されていない未解決問題が数多くあるが、そのうち、今後解くべき七つの難問をアメリカのクレイ数学研究所が選び、「ミレニアム懸賞問題」として二〇〇〇年に懸賞金をかけて発表した。七問あるうちの六問はいまでも未解決のままだが、そのうちのひとつを、二〇〇二年にペレルマンが解決してみせたのだ。 ペレルマンにはその功績によって、数学界のノーベル賞といわれるフィールド賞が授与されることになったが、彼は受賞を辞退した。懸賞金の一〇〇万ドルですら、ペレルマンは受け取らなかった。サンクトペテルブルクの質素な団地で母親と同居している無職のペレルマンには、お金は必要だったはずなのだ
かっこいい
>その結果、確認できた事実がふたつあった。 ひとつ目は、 若い頃に経済的な成功を重視していた人のほうが、数十年後の所得額が多いこと。つまり、目標の有効性が裏づけられたのだ! 心理学者だけはこの結果に驚いた。彼らは、人間はパブロフの犬みたいに外からの刺激にしか反応しないと思いこんでいた。ふたつ目の事実は、 社会に出たら高収入を稼ごうと若い頃に目標を立て、のちにその目標を達成した人は、人生に対する満足度も非常に高かったこと だ。 一方、同じように金銭面をとても重視していたにもかかわらず、経済的な成功を得られなかった人たちは人生に大きな不満を抱えていた。 あなたはこの結果を当然だと思うかもしれない。お金があれば幸せになれるに決まってるじゃないか、と。 だが、彼らの「幸福度の高さ」は「所得の高さ」によるものではないのだ。というのも、経済的な成功を人生の目標にしていなかった人たちの場合には、所得の高さは人生の幸福度にほとんど影響を与えていなかった。 つまり、 人が幸せを感じるかどうかは所得の額によって決まるのではなく、目標を達成できたかどうかで決まる のである。人生の目標がお金以外の場合でも、同じような傾向が確認されて
年収の高さが幸せを決めるのではなく、目標が達成できたか
>だが、「瞬間」とはどのくらいの長さを指すのだろう? 心理学者たちは、それは「約三秒間」 だという。それが、私たちが「現在」と感じる長さ
>「過去のすばらしい経験を思い返しているときに、人間が幸せを感じる」 ことは、すでに研究で明らかにされている。そのときをなつかしむ気持ちがあれば、感じる幸せはさらに大きくなるらしい。
一番の贅沢は思い出話理論
>前述したように、ノーベル賞受賞者のダニエル・カーネマンは、記憶の誤りをいくつか指摘している。そのうちのひとつが「持続の軽視」 である。 起きた出来事の長さは、記憶に影響しない。つまり、旅行をした期間が三週間だろうと一週間だろうと、あとから振り返れば残っている記憶に差はない。そして旅行全体の印象は、そのピークと終わりの部分だけで決められてしまう(第 22 章で取り上げた「ピーク・エンドの法則」である)。 映画でも、観ている最中でも。つまり、「ピーク・エンドの法則」は人生に対しても作用する。驚いたことに、ピークを過ぎたとはいえ快適に過ごした最後の五年間は考慮されないのである。 研究者たちはこの結果に「ジェームズ・ディーン効果」という気の利いた名前をつけている。 ジェームズ・ディーンは、俳優としての輝かしいキャリアのピークに二四歳の若さで事故に遭って亡くなった。彼がその後何年も、あるいは何十年も、それなりに成功したそれなりに幸せな俳優として生きていたとしたら、彼の人生がこれほどまでに人々の目に魅力的に映っていなかったのは確実だろ
ピークが重要
> これだけのことが、「そうでなくとも」という短い電報で伝わったのだ。つまり この言葉は当時、「全面的なコミットメント」を表すときの一般的な表現だった
戦争で負けそう。それでも降伏しないという意味を一言で言い表すと「そうでなくとも」。
>よい人生には「自分の判断の基準となる、小さく強固な尊厳の輪が必要
これがないと無駄なことに時間を使ったり、自尊心や評判が無縛られる。
>この実験結果は、実際の脅威がなくても、不安感を煽るだけで生態系に影響が出ることをはっきりと示して
不快な音をきいた雀は産んだ卵が40%少なかった
>だから私たちは、自分の仕事に精を出し、稼いだお金をその道のプロに手渡すことにしよう
寄付の話。
素人がボランティアするよりもお金を寄付する方が良い
>「『世界で起きている出来事は、あなたの責任ではない』。ジョン・フォン・ノイマンのこのすばらしい考え方を、私もまねすることにした。意識的に社会に対して無責任でいることに決めたのだ。そう決めてから、私は前よりずっと幸せを感じられるようになっ
最近のくらいニュースへの向き合い方
>ゲイツは、会場に居合わせた人々にこう尋ねた。「あなたたちがいまの成功を手にできた一番の要因は何ですか?」。バフェットは「『フォーカス』だね」と答えた。ゲイツも同意見だった
ゲイツは車からラジオをとった話も有名。考え事が邪魔されないように
>ふたつ目。「無料」のものや「無料」のテクノロジーは避けるようにしよう。 その手のものは、広告収入でやりくりするために「無料」で人の注意を引きつけようとする罠だ。
無料の場合、あなたが何かを負担していることになる
>文字の読み方や計算の仕方をあなたはどうやって学んだだろうか? 文字を読めて計算もできる人の近くにいるだけで学べたのだろうか? そうではなくて、「何年もかけて練習しながら」その能力を意識的に身につけたはずだ。 同じように、情報やインターネットやニュースとの付き合い方に関しても、私たちには集中したトレーニングが必要なのだ。どこにどう注意を向けるかを、意識的に学ばなければなら
ニュースの向き合い方を、我々は学ぶ必要がある。
>「あなたがどこに注意を向けるかで、あなたが幸せを感じるかどうかが決まる」 と心理学者のポール・ドーランも書いて
>今度も0(ひどく不幸)から 10(うっとりするほど幸せ)までで点数をつけてみてほしい。 あなたが大多数の人たちと同じような感じ方をしたとしたら、あなたの幸福度は前より上昇したはずだ。私が初めてこれらの状況を想像してみたときは、水の中にあったボールが噴水ほどの高さに吹き上げられるくらい急激に気分が上昇するのを感じた。
つらい状況を想定して自分と比較することで幸せを感じる
>「私たちはたいてい、自分が手にしている幸せには気づかない」と心理学者のポール・ドーランは書いている。 「自分の幸せを自覚するために、できることはしたほうがいい。ピアノを弾いているのに、その音が聞こえない状態を想像してみるといい。人生で手にしている多くの幸せに気づかずにいるのは、音を聞かずにピアノを弾いているようなものだ」。だが「心の引き算」をすれば、あなたはピアノの音も思う存分楽しめるようになるはずです
>私は、自分が少しでも自己憐憫に陥りそうになっているのを感じると、すぐにその危険な渦から抜け出す努力をしている。アメリカのことわざに「自分が穴の中にいるとわかったら、掘るのをやめろ」というのがあるが、それを忠実に守っているのだ。
村上春樹は「自己憐憫は下劣な人間のすることだ」といってた。
>古代ローマの哲学者、セネカはこんなことを言っている。「運命は、いろいろな出来事を人間の頭の上に投げつける。生きるためには、強い精神を持たねばならない。
セネカは、実践的なストア派哲学の創始者。
>、人を殺せば刑務所に入るのが当然の帰結と考えている。 しかし、現実はそううまくいくものではない。現実の世界は「公正さ」を欠くどころか、かなり「不公正」だ。この不快な現実に、どのように向き合っていけばいいのだろうか? 私はこう考えている。 世界の「不公正」さは、現実としてそのまま受け入れて、冷静に耐えたほうがいい と。そうすれば、人生を歩むうえで、何度も失望せずにすむからだ。
> 聖書のメッセージはこうだ。「人間は、不公正さに耐えなくてはならない。不公正さは、永遠に続くわけではない。どんな出来事にも、人間の限られた能力では理解できるはずのない正当な理由が隠されているものなのだ
不公平さにあがらうのではなく、冷静に向かい合う。
>いまから三〇〇年前、ドイツの哲学者ライプニッツは、「私たちが住んでいるのは考えられる限り最高の世界」だと主張した。神が意図的に不完全な世界をつくるはずがない、というのがその根拠だ。だがその数十年後、フランスの哲学者ヴォルテールは、小説『カンディード』で、ライプニッツの思想を、風刺をきかせて批判した。 一七五五年にリスボンを大地震が襲い、街が完全に破壊されてから、合理的なものの見方をする人間は誰ひとり世界の「公正さ」を信じられなくなっていた。誰もが心配とは無縁の人生を送ることができるという夢物語は、すっかり消滅していたのだ。 物語の主人公カンディードは、多くの困難をくぐり抜けた後、日々の労働に幸福を見出すようになり、最後にこういう結論にたどり着く。「私たちは私たちの畑を耕さなければなりません。
自分のできることをしよう理論。
>子どもが欲しい場合にも、同じことが当てはまる。 古代ギリシアの哲学者たちは、すばらしい言葉を持っていた。人間が手に入れたいと願うものを「取るに足りない好み」と呼んだのだ。
かっこいい表現だな
>──ネルソン・マンデラ 「自分には世界を変える力があると信じ込めるほど頭のおかしい人間は、本当にそれをやってのける」──
>その定義とは「内なる成功こそが、真の成功」 だというものだ。
内なる成功とは、心の充足や平穏さを手に入れることで、幸福な人生を手に入れるためのもっとも有効な一つ。