限りある時間の使い方を読んだ★★

限りある時間の使い方, オリバー・バークマン、高橋璃子

> 社会史研究者のルース・シュウォーツ・コーワンは、著書『お母さんは忙しくなるばかり 4』のなかで、洗濯機や掃除機といった「省力化」のための家電が、実際にはまったく家事を楽にしなかったと指摘する。なぜかというと、家事のレベルに対する社会の期待値がぐんと上がり、家電による省力化のメリットを相殺してしまったからだ

めちゃめちゃ面白い
家電は人を楽にはしなかった

>「仕事の量は、完成のために利用可能な時間をすべて満たすまで膨張する」という有名な法則がある。1955年にシリル・ノースコート・パーキンソンが提唱した「パーキンソンの法則 5」だ。これはただのジョークではないし、仕事に限った話でもない。  どんなタスクも、時間があればあるだけ勝手にふくらんでいくものなのだ。正確には「やるべきこと」の定義がどんどん広がっていくといってもいい。  こういう皮肉な傾向の典型例が、 20 世紀に発明された恐るべき道具、電子メールだ。  電子メールを使うと、地球上のあらゆる人が、いつでも好きなときに、ほとんどコストをかけずに、仕事中はもちろん週末までも、あなたの顔の前やポケットの中にあるデジタル機器に呼びかけることができる。この仕組みのインプット側、つまり受信できる電子メールの数は、ほとんど無限大だ。しかしアウトプット側、つまり実際に読んだり、返信したり、あるいは熟慮のうえ削除したりできるメールの数は、とても限られている

>必要なのは効率を上げることではなく、その逆だった。  すべてを効率的にこなそうとするのではなく、すべてをこなそうという誘惑に打ち勝つことが必要だったの

とてもわかる。

>今ここで感じていることに意識を集中させた。そうすると、冷たさを感じても、苦痛にのみ込まれずにすむのだった

日本」の滝行での話。

>2015年にカーネギーメロン大学の研究者がおこなったおもしろい研究がある 13。研究者らは結婚しているカップルを集め、2カ月のあいだ通常の2倍の頻度でセックスをしてもらった。そうして2カ月後にカップルの幸福度を調べた

まったく幸せにならなかったそうだ。頑張りすぎても意味がない

>つまり同時に休暇をとる人の数に比例することがわかった。みんなが同じタイミングで休暇をとったほうが、みんな幸せになる

バラバラでとっても駄目

脳科学は人格を変えられるか?を読んだ★★

脳科学は人格を変えられるか? (文春文庫), エレーヌ・フォックス、森内薫を読んだ

>楽観的な人の心は、ポジティブなものに強く引かれると同時に、ネガティブなものを巧みに遠ざけている。悲観や不安を抱きがちな人と楽観的な人とでは、認識のスタイルが根本的に異なっているのだ

幸せは注意の向き先によって変わるという話と同じ。

>楽観と悲観はどちらも、「人がどんな遺伝子をもっているか」「どんな出来事を経験するか」「世界をどのように見、解釈するか」の複雑なからみあいから生じる
>オーストラリアのメルボルン大学のブルース・ヘディとアレクサンダー・ウェアリングは一九八九年に発表した研究の中で、「人がどんな経験をするかは気質に影響される」ということを示唆した

悲劇は、精確によるもの。

>楽観主義(オプティミズム)という言葉本来の意味は、この善きものを信じる思いにずっと近い(6)。わたしたちが今日「楽観主義」といって思い浮かべる「バラ色のメガネをかける」とか「明るい面ばかりを見る」などのイメージは、もとの意味からはかなり遠ざかっているのだ。  ラテン語で「可能なかぎりの最善」を意味する「オプティマム」に由来する「オプティミズム」は、ドイツ人の哲学者にして数学者のゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(一六四六~一七一六)が考えた概念だ。ライプニッツによれば、神は可能なかぎり最善の世界を創造した、だから、それをさらに改善することはできない。つまり、オプティミズム本来の意味においては、「ものごとの明るい面」だの「グラスに水が半分 も ある」だのの概念は無縁なのだ。  本来のオプティミズムとはだからむしろ、世界を善悪こみであるがまま受け入れ、なおかつ、そこに潜むネガティブなものに屈しないことだ。

「世界を善悪こみであるがまま受け入れ、なおかつ、そこに潜むネガティブなものに屈しないことだ。」という幸せのスタンスはマッチョ。

>デーヴィッドソンと同僚のジュリー・ブレフツィンスキ=ルイスの研究によれば、注意集中法で瞑想を実践している人は、集中したり、気が散るのを防いだりする脳の回路がたしかに強くなっていた( 14)。二人は、平均一万九〇〇〇時間の瞑想を実践したエキスパートらに実験に参加してもらい、瞑想の初心者と比較した。予想通り、邪念を遠ざけるのを助ける前頭前野の回路は、瞑想のエキスパートのほうがずっと強く、彼らは瞬時に集中モードにスイッチを入れることができた。興味深いことに、瞑想の実践をもっとはるかに多く、平均で四万四〇〇〇時間も積んだ超エキスパートの場合、回路がそれほど活性化されなくても邪念をはねかえす力や集中する力は他の修行僧よりはるかに強いことが判明した。

瞑想でポジティブに

>これが、〈マインドフルネス認知行動療法〉として知られるようになる手法だ。シュウォーツが人々に訓練したのは、ストーブを消したかどうかチェックしたいという衝動と闘うことではない。そうした症状を、〈憂慮すべき何か〉として認識するのをやめ、脳内回路の失調のあらわれとしてとらえ直すことを彼は患者に教えたのだ。  シュウォーツはこの分野の先駆け的な研究の中で、被験者に一〇週間のマインドフルネス認知行動療法を施し、療法の開始前と終了後の二回、脳スキャンを行った( 16)。その結果、療法を受けた後では眼窩前頭皮質の活動があきらかに低下していたことがわかった。療法によって、強迫行為への衝動が弱まったのに加え、脳のエラー探知システムが活動過多でなくなったおかげで、被験者はなんとかふつうに生活を送っていけるようになった。これはすばらしい進歩だった。標準的な認知行動療法は強迫性障害にはほとんど効果をもたないものだが、マインドフルネス瞑想法を組み合わせたことで、大きな成果が得られたのだ。

認知療法行動が、強迫観念に意味がある

>標準的な八週間のプログラム終了後に測定を行うと、マインドフルネス法の瞑想を実践した被験者には、脳の活動にも免疫機能にもプラスの変化が認められた。脳の活動の左右の偏りについては、頭につけられたすべての電極にではないが、すくなくともいくつかの電極に、右から左への活動の移行が見てとれた。ハッピーで楽観的な人に典型的に見られる脳活動のパターンは、瞑想によってたしかに強められていた。また、マインドフルネス法の瞑想を実践した人の体内では、実践しなかった人に比べてインフルエンザの抗体が非常に多くつくられていたこともわかった

インフルエンザの抗体まで!

>いいかえれば、脳の緊急領域が警報ベルを鳴らしっぱなしになっていたわけだ。こうして神経科学的に確認されたのは、その昔ブッダが説いたのとまったく同じことだった。自分の感情にラベルを貼り、単に注意の向かう〈対象〉として扱えば、ネガティブな経験をもある種超然とした立場から眺められるようになるのだ

ラベリングが重要とは聞く。

>だから、状況を自分でコントロールできること──あるいはコントロールできると感じること──は、幸福度を左右する重要な要素なのだ。困難な状況におちいっても、状況をわずかでも自分で制御できると信じれば、対処しようという気持ちはおこりやすい。猛スピードで走る自転車の後ろの荷台や、横滑りしている車の助手席に座っているときの恐怖を思い浮かべてほしい。もし自分が運転をしていれば、恐怖心はいくらかなりとも緩和されるはずだ。それは自分が状況を制御しているという感覚が、自信を与えてくれるからだ。ラットを使った実験からも、自分で制御がきかない状況は、胃潰瘍などストレスになりやすい

コントロールできると感じること。
会社の理不尽なストレスで、体調崩すのは逆にコントロールできないから?

>もうひとつ重要な発見が、科学的な研究からもたらされている( 31)。それは、人がほんとうの意味で幸福になれるのは次に述べる三つの要素があわさったときだけだということだ。ひとつ目は、ポジティブな感情や笑いを数多く経験すること。ふたつ目は、生きるのに積極的にとりくむこと。そして三つ目は、今日明日ではなくもっと長期的な視野で人生に意義を見出すこと

ふーむ


・カップルでポジティブ比は1:5。ポジティブ5でネガティブ1。そのエピソードの割合が重要。

マインドセット:「やればできる!」の研究を読んだ★

マインドセット:「やればできる!」の研究, キャロル・S・ドゥエック、今西 康子

>死ぬ前に『自分は可能性の限りを尽くした』と言って死んでいきたい──母を亡くしたとき、そういう張りつめた思いに駆られた

>伝説的なバスケットボールコーチ、ジョン・ウドゥンは、 失敗を何かのせいにしないかぎり、その人は失敗者ではない と語る。つまり、 自分が間違いを犯したことを認めることができれば、そこから教訓を得てまだまだ成長していける ということなのだ。

>アメリカの女子プロテニス選手、ビリー・ジーン・キング(キング夫人) は、「人生を振り返ったときに何と言いたいか、それですべてが決まる」と

上記、全部、いい話や。

>著名な教育心理学者、ベンジャミン・ブルームは、ピアニスト、彫刻家、オリンピック水泳選手、世界的テニスプレーヤー、数学者、神経学者など、ずば抜けた実績を持つ120名についての調査を行なった。それによると、その大多数が幼少時には凡庸な子で、本格的な訓練を受けるようになるまで、きわだった才能は見られなかったという。思春期初期の段階でもまだ、将来の成功を予見するのは難しかった。さまざまな人びとに支えられながら、たゆみない努力と精進を重ねてはじめて、頂点にまで上りつめることができたのである。  ブルームはこう結んでいる。「米国および他の国々の学校教育について、 40 年間にわたる綿密な調査を行なった結果、まず第1にわかったのは、 学習できる環境があるかぎり、世界中のほとんどだれでも能力を伸ばすことが可能だ ということで

人間の成功は才能ではなく後天的な努力

エフォートレス思考を読んだ★

エフォートレス思考 努力を最小化して成果を最大化する, グレッグ・マキューン、高橋璃子

いい本。

>問題は、どんなにやる気があっても、リソースが限られていることだ。本当に大事なことで成果を出したいと思うなら、働き方と生き方を根本的に変える必要がある

やる気は無限ではない。時間やお金と同じで限られている。

>まず、ベッドに入る1時間前には電子機器をすべて切っておく。寝る前に熱いシャワーを浴びる。そしてベッドに入る時間は、疲れているかどうかにかかわらず毎晩一定にする。  そのうえで、心拍数、ベッドの中にいる時間、眠った時間、眠りの質、レム睡眠の割合を測定した。

そうしてノンレム時間を改善した。

>編集者のピーター・カウフマンは「世界のしくみをすべて理解したい」と考えていた 4。普通なら、そんな目標は無謀すぎると思うだろう。ほとんどの人は、やる前からあきらめるはずだ。  だが、彼は近道を見つけた。科学雑誌『ディスカヴァー』の巻末インタビューを144冊分すべて読みあさったのだ。インタビューは一般の読者向けに、科学のトピックをわかりやすく簡潔にまとめたものだった。具体例や魅力的なストーリーに満ちていて、科学の知識がなくても楽しく読むことができた。  まもなく彼は、学んでいる内容が3つのバケツに分けられることに気づいた。  第1のバケツは、無機物の宇宙。宇宙の始まりから130億年以上にわたる、もっとも古くて大きなデータセットだ。第2のバケツは生物学、つまり地球上のすべての生き物だ。これは期間でいえば約 30 億年分。そして第3のバケツは人類の歴史、つまりヒトが存在してきた比較的短い期間である。  彼はそれから、3つのバケツの共通点を探した。すべてのバケツを説明できるような、一貫した原理はないかと考えたのだ。  第1のバケツで、彼はニュートンの「運動の第三法則」を見つけた。「すべての作用には、反対方向に同じだけの力ではたらく反作用がある」というものだ。つまり、何かに力を加えれば、同じだけの力がこちらにも返ってくる。  第2のバケツには、マーク・トウェインの「猫の尻尾をつかむ者は、必ず引っ掻かれる」という法則が入っていた。  第3のバケツにも、「あなたが人に接するように、人はあなたに接する」という似たような例が入っていた

面白い。世の中の真理は、反作用の法則。

>その共通点を、彼は「鏡像作用」と名づけた。つまり「人は自分が与えたものを得る」ということだ。この原理は日々のさまざまなことに応用できる。お礼状を送れば、それが返ってくる。誰かに心からの笑顔を向ければ、相手も笑顔を返してくれる。会話の中で有益な情報を提供すれば、相手もあなたに情報を返してくれる。  ある実験では、鏡像作用について調べるために、600人近くの見知らぬ人に手書きのクリスマスカードを送った 5。それぞれのカードには、短いメッセージと家族の写真を添えておいた。すると、すぐに見知らぬ人たちから返事が届いた。その数は全部で200通近くにもなったそう

いい話。こんなブログかyoutubeしたい

>テスラ社とスペースXの創業者イーロン・マスクは、機械工学や宇宙工学を専門的に学んできたと思われがちだ。だが実をいうと、これらのベンチャー企業を立ち上げたとき、彼はどちらの分野についてもあまり詳しくなかった。  どうやって複雑な新しい分野をすばやく脳にインプットしたのだろうか。ある人がマスクにたずねた 6。 「あなたがたくさんの本を読み、たくさんの賢い人を雇い、彼らの知識を吸収していることは知っています。ですが、あなたは世界中の誰よりも多くの知識を頭に詰め込む方法を知っているように見えます。その秘訣は何ですか?」  すると、マスクはこう答えた。 「知識を一種のセマンティック・ツリー(意味の木)として捉えることが重要です。そして枝葉・詳細を見る前に、まず幹や大きな枝、つまり土台となる原理を理解しておくんです。そうしないと枝葉をつなぎとめるものがありません

イーロンマスクの勉強法

>■ リンディ効果を利用する 15  本の寿命は、その本の年齢に比例する。本が古ければ古いほど、その本が将来にわたって生き残る可能性が高いということだ(これをリンディ効果という)。だから本を選ぶときは、長く読まれている本を優先するといい。

ノルウェイの森の長沢さんもいってた

>ウォーレン・バフェットは、従業員やビジネスパートナーを選ぶ際に、信頼を測る3つの基準を用いている 3。  その3つとは「誠実さ(Integrity)」「知性(Intelligence)」「自発性(Initiative)」だ。頭文字をとって「3つのIの法則」と呼ぼう。3つとも大事だが、何よりもまず誠実さがなければ、ほかの2つが裏目に出ることもある

最強の集中力 本当にやりたいことに没頭する技術,を読んだ★★★

最強の集中力 本当にやりたいことに没頭する技術, ニール・イヤール、ジュリー・リー、野中 香方子

これも面白かったー。示唆多し

>● あらゆる動機は、不快なことから逃れたいという欲求である。ある行動が安心をもたらすことを知ると、往々にして、それを苦痛から逃れるツールとして使い続けてしまいがち

面白い。

>そうなった背景には単純な理由がある。レビュー・オブ・ジェネラル・サイコロジー誌に掲載された研究が述べるように、「もし満足と幸福感が永久に続けば、さらなる利益や進歩を求めようとする意欲はほとんど湧かなかっただろう(注3)」。言い換えれば、満足することは、人類にとって良いことではなかった。私たちの祖先が懸命に働き、努力し続けたのは、進化によって常に不安を感じるようになっていたからであり、そのおかげで私たちは今も生きている。

人の幸せは継続しないのは、それだといきていけなかったから。

>一つ目の要因から始めよう。それは「退屈」だ。人は、退屈を避けるために、場合によっては文字通りショッキングなことまでやってのける。2014年にサイエンス誌に掲載された研究では、被験者に部屋の中で座って 15 分間考えることを求めた(注4)。部屋は空っぽだったが、唯一、自分で自分を感電させる装置が置かれていた。軽い感電だが、痛みが伴う。「いったい誰がそんな物を使うのだろうか?」とあなたは思うはずだ。  実験前にそれを使うかどうか尋ねると、被験者は皆、金を払ってでも使わない、と答えた。しかし、その装置しかない部屋に一人残され、ほかに何もすることがないと、男性の 67 パーセント、女性の 25 パーセントが自ら感電し、しかも多くの人は何回もそれを繰り返した。論文の著者たちはこう結論づけた。「人は思索より行動を好む。たとえその行動がきわめて不快で、通常なら金を払ってでも避けることであっても。人は一般に孤独な状況を好まない」。そういうわけなので、アクセス数の多いウェブサイトの大半が、ショッピングや有名人のゴシップといった、退屈な仕事から逃げるための刺激を売り物にしているのは驚くに当たらない。

退屈がそんなにおそろしいものだとは。

>ロシアの文豪ドストエフスキーは1863年に、「シロクマのことを考えないという難題を自分に課せば、シロクマが絶えず頭に浮かんでくるだろう(注2)」と書いた。その124年後、社会心理学者ダニエル・ウェグナーは、ドストエフスキーの主張が正しいかどうか実験した。  被験者は、5分間シロクマのことを考えないように、と指示された。すると彼らは平均で1分間に1回、シロクマのことを考えた。まさにドストエフスキーが予言した通りだ。しかし、ウェグナーの実験はそれだけでは終わらなかった。同じグループの被験者と最初の実験には参加していない別のグループに、今度はシロクマのことを思い浮かべるよう指示すると、後者より前者のほうが、シロクマのことを思い浮かべる回数がずっと多かった。「この結果は、最初の5分間に考えないようにしたせいで、心の中でリバウンドが起きて、より頻繁に考えるようになったことを示している」と、ウェグナーはモニター・オン・サイコロジー誌に掲載された論文に書き(注3)、のちにこの傾向を「

考えないと考えたことがよけいに考えることになる。
悪いことの悪循環。

>実は、渇望に影響したのは、最後に喫煙してからの時間ではなく、次に喫煙できるまでの時間だった(注5)。もし、この研究が示す通り、ニコチンのように中毒性があるものへの渇望をコントロールできるのなら、他の不健康な欲求も、脳をだますことでコントロールできるのではないだろうか。ありがたいことに、その通りなのだ。

禁煙で苦しいのは、心理的な理由が大きい。

>  この注意散漫の罠を避けるには、「 10 分間ルール」が効果的だ(注3)。私はほかにすべきことを思いつかなくて、気を紛らわせるためにスマホのメールをチェックしたくなると、「それは悪いことではないが、今はその時ではない」と自分に言い聞かせる。そして何もしないで、 10 分過ぎるのを待つ。この方法は、執筆の手を止めて検索するとか、退屈な時にジャンクフードを食べるとか、「疲れすぎて眠れない」時にネットフリックスの番組の続きを見るといった、あらゆる注意散漫を防ぐ助けに

集中が途切れてスマホみたい時は10分後もみたいかを考えて、集中する

>仕事のつらさを何かでごまかそうとしてはいけない。仕事を楽しめないのは、仕事に向き合う真剣さが足りないからだ。仕事を余裕綽々 でこなしているうちは、真の楽しさは得られない」。つまり答えは、「仕事そのものに集中せよ」ということだ。

仕事に集中しなきゃとプレッシャーをかけるのではなく、仕事自体を好きになるべし。その方法例が以下

>メディアに夢中になるのと同じ神経回路を活用すれば、 楽しくない仕事にも、集中して取り組むことができる。
>楽しさとは、何かの中に、他の人は気づいていない「可変性」を探すことであり、 退屈と単調さを打ち破って、隠れた美を発見することである。

>パフォーマンスを向上させたのは、レモネードの中の砂糖ではなく、私たちの頭の中の思考だった。スタンフォード大学の心理学者キャロル・ドウェックは、米国科学アカデミー紀要に掲載された共同研究において、自我消耗の兆候が認められたのは、意志力には限りがあると信じている被験者だけだった、と結論づけている(注7)。被験者の力を回復させたのは、レモネードの中の砂糖ではなく、砂糖の効果を信じる気持ちだったのだ。 意志力には限界があると考えない人々には、 自我消耗の兆候は見られなかった。  今でも多くの人が自我消耗という考えを支持しているのは、それを否定する証拠があることを知らないからだろう。だが、ドウェックの結論が正しければ、自我消耗説がまかり通っているのは由々しきことだ。というのも、人は実際にはまだ余力があるのに、自我消耗を言い訳にして何かを諦めてしまうかもしれないから

自分は集中力がある、意思があるという信念こそが、実際に集中を続けることができる。
意思は摩耗しない。

>自分を思いやり、失敗とストレスの悪循環を断ち切れば、 回復力 を高めることができる

自分への思いやりも重要。自己憐憫とは別

>自分には意志力と自制心が足りないと信じ込んでいると、その通りになる。自分には誘惑に抵抗する力がない、生まれつき欠陥があると自分に言っていると、実際にそうなってしまう。  ありがたいことに、自分が考えるすべてのことを信じる必要はない。人が無力になるのは、自分は無力だと思った時だけだ。

自分は意思が強い人間だと信じるのが重要。

>自分でコントロールできる唯一のものは、 そのタスクに注ぎこむ時間だけだ。

集中できるか、寝れるかなどは自分でコントロールできないので、時間をコントロールする。

>家族と友人は、私たちが人間関係、忠誠、責任についての価値観に沿って生きるのを手助けしてくれる。彼らはあなたを必要とし、あなたは彼らを必要とするので、彼らは単なる「残余受益者」よりはるかに重要だ。この「残余受益者」という言葉を私が初めて聞いたのは、大学の経済学入門の授業だった。ビジネスの世界における「残余受益者」とは、会社が負債などを整理して解散した時に、残ったものを分配される人々で、大抵の場合、多くは得られない。人生において、私たちが愛する人々はもっと多くを受け取るべきだが、私たちが時間配分を注意深く計画しなければ、彼らはまさに残余受益者になってしまう

めちゃめちゃ面白い
人生の時間の優先度を家族を先にしないと、残余受益者になる。
株の優先株とかの概念にも近い

>。ウォールディンガーは、「大切なのは、友人の数ではなく、……人間関係の質です」と警告

幸せは人間関係の質が重要

>私と友人たちは、多忙なスケジュールや育児疲れをものともせず、定期的に集まることにしている。私たちはそれを「キブツ」と呼んでいる。ヘブライ語で「集会」という意味で、私たち夫婦を含む4組のカップルが2週間に一度、戸外でランチを食べながら一つのテーマについて話し合う。ピクニックしながらの双方向型TEDトークのようなものだ。テーマは「親に教えてもらって、感謝していることは何か?」といった深い問いから、「ピアノなど、子どもがしたがらない習い事を、無理にでも習わせるべきか?」という現実的な問題までさまざまだ。  テーマを決めることには二つの利点がある。一つは、スポーツや天気などについての世間話ではなく、本当に重要なことについて話せることだ。もう一つは、カップルの集まりでは起こりがちな、男性はあちら、女性はこちらという性差による分裂を防げることだ。その日のテーマを決めておけば、全員が会話に参加できる

面白いな。やってみたい

>行動(B=behavior) を起こすには、動機(M=motivation)、能力(A=ability)、誘因(T=trigger) が必要、というのがフォグの行動モデルだ。簡単に表現すれば、B=MATで

>しかし、話はそれほど簡単ではない。ザ・ジャーナル・オブ・エクスペリメンタル・サイコロジー:ヒューマン・パーセプション・アンド・パフォーマンス誌に掲載された研究により、スマホの通知に気づきながら無視しようとすると、それらに反応するのと同じくらい注意散漫になることが判明した(
>スマホへの関心を抑制するのに駆り出され、目の前のタスクに集中できなくなるからだ」と記されている。スマホが視野にあるだけで、脳はそれを無視するために懸命に働かなくてはならない。しかし、スマホに容易に近づけないか、見えるところにそれがなければ、脳はタスクに集中できない。

スマホは通知を知るだけでもストレスになる。

>テキストメッセージによる介入が喫煙行動を減らすことを支持する十分な証拠」が見つかった(注

逆にテキストメッセージで禁煙支援などもできる

>このようなオープンオフィスは、アイデアの共有や協業を促進するとして推奨されてきた。だが、残念ながら、2016年に300件を超す論文を比較・分析したメタ研究によると、オープンオフィスの流行は、より多くの注意散漫を招いた(注 10)。当然ながら、そのせいで社員の満足度は下がった(注

オープンオフィスは集中力を下げる

>「オデュッセウスの契約」は、「将来の自分を拘束するために、設計、意図された自由意思による決定」と定義され(注6)、現在でも私たちはその種のプリコミットメントを利用する。病気や老化のせいで健全な判断ができなくなった場合に備える

これいいな。覚悟。もし実行できなければ、1万円を燃やすとか。

以下とかがツール

>現在、デジタル機器との努力契約を支援する製品やサービスが、続々と誕生している。例えば私は、パソコンで執筆する時はいつも SelfControl(セルフコントロール) アプリをクリックする。すると、たちまちフェイスブックやレディットといった、注意散漫をもたらすウェブサイトへのアクセスが遮断され、電子メールのアカウントも閉じられる(注2)。遮断する時間は、必要に合わせて設定できる。私の場合、大抵は 45 分から1時間だ。また、Freedom(フリーダム) という別のアプリはもう少し高度で、コンピューターだけでなくモバイル機器でも、気が散る原因をブロックする(注
>注意散漫を防ぐアプリの中でも、私が特に気に入って、ほぼ毎日使っているのは Forest (フォレスト) だ(注4)。スマホに邪魔されたくない時、私はそのアプリで、スマホを使わない時間を設定する。Plant(樹木) と書かれたボタンを押すと、画面に小さな苗木が現れ、タイマーがカウントダウンを始める。設定した時間にならないうちにスマホをいじると、そのバーチャルの苗木は枯れる。小さな木を枯らすことになると思うと、スマホを使うのが 憚 られる。その木は、自分と結んだ契約を思い出させるリマインダーなの

以下のような制約

>つまらない言い訳をしようとすると、いつもその100ドル札が、自分と自分の健康に対して結んだ契約を思い出させた。あなたの考えは想像がつく。「そんな乱暴な! お札をそんなふうに燃やしちゃいけない!」。それこそが私の言いたい点だ。私はこの「(カロリーを) 燃焼するか、(お金を) 燃やすか」のテクニックを3年以上使ってきた。その結果、筋肉が約5キロ増えたが、100ドル札は1枚も燃やしていない。
>「燃焼するか、燃やすか」のようなプライス契約は、やる気を短期的に高めたい時にはうまくいく。例えば、ジムへ行くとか、集中して2時間執筆するとか、タバコへの渇望を乗り越えるといった場合だ。しかし、プライス契約があまりにも長く続くと、人はそれを罰則と見なすようになり、タスクや目標を憎むというような逆効果を招く恐れがある。
>プライス契約を結ぶ時は、誰でも躊躇するものだ。 だが、とにかく契約を結ぼう

上記、いかに自分との契約が重要かという話。

>驚くべき結果だったので、研究者たちはその有効性を確認するために、別の選挙でも同じ実験を行った。結果は前回と同じで、「投票者」グループの投票率は、「投票する」グループを大幅に上回った。ブライアンはこう結論づけた。「投票が、単なる行動ではなく、自己の表出、すなわち人格の象徴と見なされると、人は投票する可能性が高くなる」  実際、自己イメージは行動に強く影響し、それは投票に限ったことではなく、アイデンティティーをうまく利用すれば、脳は、難しい選択や意思決定を容易にこなせるように

投票者と言われただけで投票率があがった。アイデンティティの活用が重要。

>では、注意散漫と戦うには、どのようなアイデンティティーを持てばいいのだろうか。それは、本書のタイトルが『Indistractable』(訳注*原書タイトル。注意散漫にならない、という意味) である理由を考えればわかるだろう。Indistractable な世界へようこそ。「自分は indistractable」と考えることによって、あなたは新たなアイデンティティーと、より強い力を得ることができる。またこのアイデンティティーによって、スケジュールを細かくタイムボクシング

自分の信じ込むことの重要性

>最近の研究は、職場や日常生活での世俗的な儀式には、絶大な効果があることを示唆している。ハーバード・ビジネス・スクールのフランチェスカ・ジーノ教授たちは、減量を望む人々を被験者として、儀式が自制(セルフコントロール) にどう影響するかを調べた(注8)。最初のグループは、5日間、食べるものに気を遣うことを求められた。第二グループは、食事前に3段階からなる儀式を行うよう指示された。その儀式は、まず食べ物を切り、次に切ったものを皿の上に左右対称に並べ、それぞれ食べる前に3回フォークかナイフで叩く、というものだ。ばかばかしい儀式だが、驚くほど効果があった。儀式のグループは、食事に気を遣ったグループより、カロリーも脂肪も糖分も、摂取量が少なかった(*)。ジーノ教授は語る。儀式は「時間の無駄のように見えるかもしれないが、私たちの研究が示唆するように、それらは非常に強力だ。長年の伝統でなくても、単純な儀式だけで、修練と自制に役立つこともわかった

儀式の価値。面白いな。なんかもう少しノウハウ化できないかな。

>第一の要因には、研究者たちが「職務ストレス」と呼ぶものが含まれる。そのストレスは、社員が高い期待に応えようとしても、結果が自分ではコントロールできない状況で生じる。スタンスフェルドは、この緊張はブルーカラーだけでなくホワイトカラーも感じると述べ、

「this is not my business」ととらえることが重要

Think clearly を読んだ★★★

Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法, ロルフ・ドベリ、安原 実津を読んだ。

めちゃめちゃいい本だった。また読み返したい

>頭の中で検討を重ねることに、意味がないわけではない。短期間でも集中して考えれば、とてつもなく大きな気づきがある。しかし、 時間とともに新たに得られる認識はどんどん小さくなり、すぐに思考は「飽和点」に達してしまう。  たとえば投資の決断をするときは、調査できる事実をすべて机の上に並べ、考える時間は三日もあれば十分だ。個人的な決断なら、一日でいいかもしれない。  キャリアチェンジするかどうかを決めるなら、長くても一週間。ひょっとしたら気持ちの揺れを抑えるための猶予期間も必要かもしれないが、それ以上長く考えても意味がない。行動を起こさなければ、新たな気づきは得られないのだ。

考える時間は3日も十分。キャリアの話でも1週間

>アメリカの心理学者でノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンが「ピーク・エンドの法則」 と呼んでいる法則がある。私たちが旅行に出かけたときの記憶に残るのは、その旅の「ピーク」と「終わり」だけで、残りは忘れ去られてしまう、という法則だ。  

つまり旅行は短くても長くても思い出観点では同じ価値かも?!

>頼みごとをつい引き受けてしまうのは、生き物の本能的な反応なのだ。  そう気づいた私は、対抗措置として、ウォーレン・バフェットのビジネス・パートナーであるチャーリー・マンガーが実践しているという「五秒決断ルール」をまねることにして

頼みごとされたら5秒で考える。そこでOKといえなかればNG

>理由はふたつ。ひとつ目は、状況に応じて何度も決断をくり返すと、判断力が鈍ってくる。専門用語でいえば「決断疲れ」 と呼ばれる現象である。  たび重なる決断に疲れた脳は、もっとも安易な選択肢を選ぶようになる。そしてそれは多くの場合、最悪の選択肢でもある。「誓約」が有意義なのはこの点だ。  誓約を立てると、毎回、「メリット」と「デメリット」を天秤にかけて決断する必要がなくなる。決断はすでに下されているため、それ以上、思考のエネルギーを使わなくてすむのだ。

自分は「週末に仕事しない」とかの制約が大事という話。

>ウォーレン・バフェットは、「事後交渉は受け付けない主義」

腹の探り合いは時間の無駄。

>先に列挙した「人生のマイナス要素」の中にいくつか欠けているものもある。「病気」「身体的障害」「離婚」だ。これらのことで受けたショックが、思っているほど長続きしない ことは、数多くの研究結果ですでに明らかになっている。  極端な例を挙げよう。無理もないことだが、半身不随になった人は、事故後数か月は自分が負った障害のことで頭がいっぱいになってしまう。当然、そのあいだは幸せには感じない。だが、その数か月が過ぎると、気持ちが落ち着いてくる。次第に日常の雑事が考えの中心を占めるようになり、障害に関することは頭の後方に押しやられる。離婚も同じような経過をたどる。数年も経つと、涙に暮れる最悪の時期は過去のことになっている。  ところが、アルコール依存、麻薬、慢性的なストレス、騒音、長い通勤時間などは──つまり最初に列挙したすべてのものには──慣れるということがない。

マイナス要素で、慣れるものと慣れないものを切り分けることが大事。

>結論。よい人生は、究極の幸せを求めた結果として得られるものではない。馬鹿げたことや愚かな行為を避け、時代の風潮に流されなければ、人生はおのずとうまくいく。「何を手に入れたか」で人生の豊かさが決まるわけではない。「何を避けるか」が大事なのだ。  ユーモアのセンスあふれるチャーリーは、こうも付け加えている。「一番知りたいのは私が死ぬ場所だ。そうすれば、その場所を常に避けていられる

不幸なのを避ければ、幸せになれる。

>周囲の人にこの質問をしてみたところ、もっとも多かったのは「個人的な成果が 60 パーセント前後、偶然による成果が 40 パーセント前後」という答え

>バフェットは、生まれたときに運命づけられるこうした格差のことを、「卵巣の宝くじ」と呼んでいる。アメリカの代わりに、もちろんドイツやスイス、そのほかの先進国をこの話に当てはめてみてもいい。あなたはこの質問にどう答えるだろうか?  私がこの質問をすると、ほとんどの人は「 80 パーセント前後」と答えた。私もそう答えた一人だ。  つまり私たちは、「私たちの収入のかなりの部分は、恵まれた国に育ったおかげで手に入った」と思っている。先進国に生まれることは、それほどまでに経済的な優位をもたらすものなのだ。  そう考えると、「生まれた場所」が私たちの社会的な成功の大きな要因になっていることは、明らかではないだろうか。 すでにあなたは、途方もない幸運に恵まれている  生まれたときに運命づけられる格差、前述の「卵巣の宝くじ」の対象になるのは、「生まれる国」だけではない。その国の、どの地域の、どの家庭に生まれるかも、自分で選べない。   現在のあなたに有利にも不利にも働くあなた自身の価値観も、ものの見方も、思想も、あなたが自分で身につけたものではない。  気がつけば入っていた「学校」という制度の中で、あなたが勉強を教えてもらった教師たちも、あなたが選んだわけではない。  あなたが病気で苦しい時期を過ごさなければならなかったのも、悲劇的な出来事が起きたのも(もしくは悲劇的な出来事に遭わずにすんだのも)、あなたに責任はない。  そうはいっても、あなたは「これまでの人生には、さまざまな役割をこなしながら自分自身で選び取ってきたものがある」と言うかもしれない。

こういう不平等をなくすビジネスしたい

>研究結果によると、 こうした面接は実はあまり意味がなく、面接者のそれまでの実績を 仔細 に検討したほうがよっぽど役に立つ らしい。  考えてみれば当然だ。「三〇分間の表面的な会話」と、「三〇年間の実績」のどちらにより説得力があるかはいうまでもない。自分の感情を分析するのは、自分で自分の就職面接を行うようなもの。まったく当てにならないの

面接では、実績をきくのが重要

>だが、マイアミビーチにいたときに、私がいまよりどのくらい幸せだったかというと、その度数は「ゼロ」だ。これが、「フォーカシング・イリュージョン」である。  ノーベル経済学賞を受賞した心理学者のダニエル・カーネマンは、次のように説明している。フォーカシング・イリュージョンとは「特定のことについて集中して考えているあいだはそれが人生の重要な要素のように思えても、実際にはあなたが思うほど重要なことでもなんでもない」という錯覚を表す言葉だと。  つまり、 人生における「特定の要素」だけに意識を集中させると、その要素が人生に与える影響を大きく見積もりすぎて

カリフォルニアは天気の良さが最高とかいうけれどそのような価値は実態件ベースでは、そこまで重要ではない。

>それでも、ヨットを買った経験はどうやら無駄ではなかったらしい。「ヨットを所有していて一番嬉しかったのは、買った日と手放した日だった」と彼は言った。  おわかりいただけただろうか。

> すばらしい経験を重ねることが、幸せな人生につながる。ついでにいえば、「結婚生活」においても大事なのはやはり、その生活を通してよい経験が得られるかどうかだ。

一緒にいて喜びを感じる人を「結婚相手」にするこよが重要。

>平凡からはほど遠い彼の著作『Risk Intelligence(リスクインテリジェンス)』(未邦訳)の中で、JPという名前のプロのバックギャモン(ボードゲーム)プレイヤーについて書いている。 「JPはわざといくつかミスをした。相手がその機会を活かせるかどうかを見きわめるためだ。そして相手がそれを巧みに利用してみせると、試合を打ち切った。見込みのない試合にエネルギーをつぎ込むのをやめるためだ。  つまりJPには、ほかのプレイヤーたちに見えていない

すごいな

> 「ほんの少しの華々しい時期を除けば、偉人たちの人生はとても刺激的といえるようなものではない。  ソクラテスはときには友人たちを招いて豪華な食事でもてなすことがあったようだが、一日のほとんどの時間は妻のクサンティッペと静かに過ごし、午後の腹ごなしの散歩の途中でせいぜい一人か二人の友人に会うくらいだった。  カントは自分が住むケーニヒスベルクの周囲一五キロより遠くに出かけたことはなかったといわれている。ダーウィンは世界旅行から戻って以来、死ぬまでずっと自宅で静かな暮らしを送った(中略)。  つまり、偉人たちは得てして静かな生活を送っているものなのだ。人から見れば、たいした楽しみもない人生のように見えただろ

偉人たちも人生は平凡だったという話

>一九六六年生まれのグリゴリ・ペレルマンは、「現在生きているもっとも偉大な数学者」と評される人物である。  数学の世界にはいまだ証明されていない未解決問題が数多くあるが、そのうち、今後解くべき七つの難問をアメリカのクレイ数学研究所が選び、「ミレニアム懸賞問題」として二〇〇〇年に懸賞金をかけて発表した。七問あるうちの六問はいまでも未解決のままだが、そのうちのひとつを、二〇〇二年にペレルマンが解決してみせたのだ。  ペレルマンにはその功績によって、数学界のノーベル賞といわれるフィールド賞が授与されることになったが、彼は受賞を辞退した。懸賞金の一〇〇万ドルですら、ペレルマンは受け取らなかった。サンクトペテルブルクの質素な団地で母親と同居している無職のペレルマンには、お金は必要だったはずなのだ

かっこいい

>その結果、確認できた事実がふたつあった。  ひとつ目は、 若い頃に経済的な成功を重視していた人のほうが、数十年後の所得額が多いこと。つまり、目標の有効性が裏づけられたのだ! 心理学者だけはこの結果に驚いた。彼らは、人間はパブロフの犬みたいに外からの刺激にしか反応しないと思いこんでいた。ふたつ目の事実は、 社会に出たら高収入を稼ごうと若い頃に目標を立て、のちにその目標を達成した人は、人生に対する満足度も非常に高かったこと だ。  一方、同じように金銭面をとても重視していたにもかかわらず、経済的な成功を得られなかった人たちは人生に大きな不満を抱えていた。  あなたはこの結果を当然だと思うかもしれない。お金があれば幸せになれるに決まってるじゃないか、と。  だが、彼らの「幸福度の高さ」は「所得の高さ」によるものではないのだ。というのも、経済的な成功を人生の目標にしていなかった人たちの場合には、所得の高さは人生の幸福度にほとんど影響を与えていなかった。  つまり、 人が幸せを感じるかどうかは所得の額によって決まるのではなく、目標を達成できたかどうかで決まる のである。人生の目標がお金以外の場合でも、同じような傾向が確認されて

年収の高さが幸せを決めるのではなく、目標が達成できたか

>だが、「瞬間」とはどのくらいの長さを指すのだろう? 心理学者たちは、それは「約三秒間」 だという。それが、私たちが「現在」と感じる長さ

>「過去のすばらしい経験を思い返しているときに、人間が幸せを感じる」 ことは、すでに研究で明らかにされている。そのときをなつかしむ気持ちがあれば、感じる幸せはさらに大きくなるらしい。

一番の贅沢は思い出話理論

>前述したように、ノーベル賞受賞者のダニエル・カーネマンは、記憶の誤りをいくつか指摘している。そのうちのひとつが「持続の軽視」 である。  起きた出来事の長さは、記憶に影響しない。つまり、旅行をした期間が三週間だろうと一週間だろうと、あとから振り返れば残っている記憶に差はない。そして旅行全体の印象は、そのピークと終わりの部分だけで決められてしまう(第 22 章で取り上げた「ピーク・エンドの法則」である)。  映画でも、観ている最中でも。つまり、「ピーク・エンドの法則」は人生に対しても作用する。驚いたことに、ピークを過ぎたとはいえ快適に過ごした最後の五年間は考慮されないのである。  研究者たちはこの結果に「ジェームズ・ディーン効果」という気の利いた名前をつけている。  ジェームズ・ディーンは、俳優としての輝かしいキャリアのピークに二四歳の若さで事故に遭って亡くなった。彼がその後何年も、あるいは何十年も、それなりに成功したそれなりに幸せな俳優として生きていたとしたら、彼の人生がこれほどまでに人々の目に魅力的に映っていなかったのは確実だろ

ピークが重要

> これだけのことが、「そうでなくとも」という短い電報で伝わったのだ。つまり この言葉は当時、「全面的なコミットメント」を表すときの一般的な表現だった

戦争で負けそう。それでも降伏しないという意味を一言で言い表すと「そうでなくとも」。

>よい人生には「自分の判断の基準となる、小さく強固な尊厳の輪が必要

これがないと無駄なことに時間を使ったり、自尊心や評判が無縛られる。

>この実験結果は、実際の脅威がなくても、不安感を煽るだけで生態系に影響が出ることをはっきりと示して

不快な音をきいた雀は産んだ卵が40%少なかった

>だから私たちは、自分の仕事に精を出し、稼いだお金をその道のプロに手渡すことにしよう

寄付の話。
素人がボランティアするよりもお金を寄付する方が良い

>「『世界で起きている出来事は、あなたの責任ではない』。ジョン・フォン・ノイマンのこのすばらしい考え方を、私もまねすることにした。意識的に社会に対して無責任でいることに決めたのだ。そう決めてから、私は前よりずっと幸せを感じられるようになっ

最近のくらいニュースへの向き合い方

>ゲイツは、会場に居合わせた人々にこう尋ねた。「あなたたちがいまの成功を手にできた一番の要因は何ですか?」。バフェットは「『フォーカス』だね」と答えた。ゲイツも同意見だった

ゲイツは車からラジオをとった話も有名。考え事が邪魔されないように

>ふたつ目。「無料」のものや「無料」のテクノロジーは避けるようにしよう。  その手のものは、広告収入でやりくりするために「無料」で人の注意を引きつけようとする罠だ。

無料の場合、あなたが何かを負担していることになる

>文字の読み方や計算の仕方をあなたはどうやって学んだだろうか? 文字を読めて計算もできる人の近くにいるだけで学べたのだろうか? そうではなくて、「何年もかけて練習しながら」その能力を意識的に身につけたはずだ。  同じように、情報やインターネットやニュースとの付き合い方に関しても、私たちには集中したトレーニングが必要なのだ。どこにどう注意を向けるかを、意識的に学ばなければなら

ニュースの向き合い方を、我々は学ぶ必要がある。

>「あなたがどこに注意を向けるかで、あなたが幸せを感じるかどうかが決まる」 と心理学者のポール・ドーランも書いて

>今度も0(ひどく不幸)から 10(うっとりするほど幸せ)までで点数をつけてみてほしい。  あなたが大多数の人たちと同じような感じ方をしたとしたら、あなたの幸福度は前より上昇したはずだ。私が初めてこれらの状況を想像してみたときは、水の中にあったボールが噴水ほどの高さに吹き上げられるくらい急激に気分が上昇するのを感じた。

つらい状況を想定して自分と比較することで幸せを感じる

>「私たちはたいてい、自分が手にしている幸せには気づかない」と心理学者のポール・ドーランは書いている。 「自分の幸せを自覚するために、できることはしたほうがいい。ピアノを弾いているのに、その音が聞こえない状態を想像してみるといい。人生で手にしている多くの幸せに気づかずにいるのは、音を聞かずにピアノを弾いているようなものだ」。だが「心の引き算」をすれば、あなたはピアノの音も思う存分楽しめるようになるはずです

>私は、自分が少しでも自己憐憫に陥りそうになっているのを感じると、すぐにその危険な渦から抜け出す努力をしている。アメリカのことわざに「自分が穴の中にいるとわかったら、掘るのをやめろ」というのがあるが、それを忠実に守っているのだ。

村上春樹は「自己憐憫は下劣な人間のすることだ」といってた。

>古代ローマの哲学者、セネカはこんなことを言っている。「運命は、いろいろな出来事を人間の頭の上に投げつける。生きるためには、強い精神を持たねばならない。

セネカは、実践的なストア派哲学の創始者。

>、人を殺せば刑務所に入るのが当然の帰結と考えている。  しかし、現実はそううまくいくものではない。現実の世界は「公正さ」を欠くどころか、かなり「不公正」だ。この不快な現実に、どのように向き合っていけばいいのだろうか?  私はこう考えている。 世界の「不公正」さは、現実としてそのまま受け入れて、冷静に耐えたほうがいい と。そうすれば、人生を歩むうえで、何度も失望せずにすむからだ。
> 聖書のメッセージはこうだ。「人間は、不公正さに耐えなくてはならない。不公正さは、永遠に続くわけではない。どんな出来事にも、人間の限られた能力では理解できるはずのない正当な理由が隠されているものなのだ

不公平さにあがらうのではなく、冷静に向かい合う。

>いまから三〇〇年前、ドイツの哲学者ライプニッツは、「私たちが住んでいるのは考えられる限り最高の世界」だと主張した。神が意図的に不完全な世界をつくるはずがない、というのがその根拠だ。だがその数十年後、フランスの哲学者ヴォルテールは、小説『カンディード』で、ライプニッツの思想を、風刺をきかせて批判した。  一七五五年にリスボンを大地震が襲い、街が完全に破壊されてから、合理的なものの見方をする人間は誰ひとり世界の「公正さ」を信じられなくなっていた。誰もが心配とは無縁の人生を送ることができるという夢物語は、すっかり消滅していたのだ。  物語の主人公カンディードは、多くの困難をくぐり抜けた後、日々の労働に幸福を見出すようになり、最後にこういう結論にたどり着く。「私たちは私たちの畑を耕さなければなりません。

自分のできることをしよう理論。

>子どもが欲しい場合にも、同じことが当てはまる。  古代ギリシアの哲学者たちは、すばらしい言葉を持っていた。人間が手に入れたいと願うものを「取るに足りない好み」と呼んだのだ。

かっこいい表現だな

>──ネルソン・マンデラ 「自分には世界を変える力があると信じ込めるほど頭のおかしい人間は、本当にそれをやってのける」──

>その定義とは「内なる成功こそが、真の成功」 だというものだ。

内なる成功とは、心の充足や平穏さを手に入れることで、幸福な人生を手に入れるためのもっとも有効な一つ。

イシューからはじめよを読んだ

最近読み返した

>君たちの賢い頭で 10 分以上真剣に考えて 埒 が明かないのであれば、そのことについて考えることは一度止めたほうがいい。それはもう悩んでしまっている可能性が

>「悩まない」というのは、僕が仕事上でもっとも大事にしている信念だ。これを伝えた若い人たちを見ていると、この本当の意味がわかって実践に入るまでに1年程度かかることが

>「これがイシューだ」と思ったら、そのイシューの主語を確認してみよう。「誰にとって」という主語を変えても成り立つものは、まだイシューとしての見極めが甘い可能性がある

特定の主語が重要

>知らない人に電話でインタビューを申し込むことを英語で「コールドコール」と言うが、これができるようになると生産性は劇的に向上する

最近はビザスクもあるしよりリバレッジはきく

>実際、僕自身もこれまで数百件の「コールドコール」をしてきたが、断られた記憶は数えるほどしかない。生産性を上げようと思ったらフットワークは軽いほうが

すご

News Dietを読んだ

伝説的な投資家であるウォーレン・バフェットの仕事机の上には、三つのレタートレーが置いてあるという。配達された郵便物用とこれから発送する郵便物用、そして「難しすぎる案件」用だ。バフェットの「能力の輪」の外にあるものは、すべてこの「難しすぎる案件」用トレーに振り分けられる。つまり、バフェットがこれといった知識を持たないもの、適正な時間内にじっくりと考え抜くことができないものがそれに当たる。  

ice boxメソッド

デジタル化により、いまやニュースは無害な娯楽媒体から人間の健全な理解力を損なう大量破壊兵器に変化している。そのような危険なものは、避けるに越したことは

ほんとニュースは、人の時間を奪う兵器よね〜。しかも、扇動までする。

最後まで読み通そう。  そして 別の本をはさむことなく、つづけてもう一度読み返す。 二度読んだときに得られる効果は、一度しか読まないときの倍どころではない。私の経験から言えば、効果はほぼ一〇倍にはね上がる。「二度読み」の効果の高さは、もちろん長文記事にも

本は2度読むべし

タクシー運転手の海馬の神経細胞は、バスの運転手よりもずっと発達していた 〜道路地図」に関しては秀でていたものの、幾何学的な図を新たに覚えるのは苦手だった。一方で、バスの運転手のほうは、新たな図を覚えることに支障は感じないようだった。つまり、 脳のある領域が発達すると、それにともなって別の領域は退化する らしいのだ。  同じような脳の構造の変化は、音楽家やジャグラーや多言語環境で育った人にも認められる

記憶力は努力でカバーできる

作家として成功するにつれて、スタージョンは悪意ある言葉を投げかけられることも増えてきた。SF小説の九〇パーセントはクズだという文芸評論家の批判の矢面に立たされるようになったのだ。だがスタージョンはまったく動じず、こんなふうに答えた。 「確かにそのとおりだ。だがあらゆる出版物の九〇パーセントはクズだ。ジャンルなんて関係ない」。 彼のこの答えは、「スタージョンの法則」 として知られるようになっ

「食事が終わってナプキンを折りたたんだあと、この昼食が有意義だったかどうかを判断する基準は何にしましょうか?」  すると、答えはたいていこんなふうになる。昼食の相手から、それまで知らなかった真実や重要な何かを聞くことができたかどうか──つまり、世界をもっとよく理解できるようになるための新しい視点を得られたかどうかが判断の基準になるということ

おもしろーい。やってみよ

 

「NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方 」を読んだ

 

自然の価値を科学的に分析した本。めちゃめちゃ面白かった
平均すると、被験者は都会にいるときより、屋外の緑豊かな場所や自然のなかに身を置いているときのほうが有意に、かつ確実により深い幸福感を覚えている」
同僚、 李宙営 は、森のなかをゆっくりと散策すると、都会を歩いているときと比べて、従来ストレスホルモンと呼ばれていたコルチゾール値が一六%も下がることを発見し
自然の風景を見た被験者の脳は五分後には通常の状態にまで回復したが、人工的な風景を見た被験者の脳は一〇分以上経過したあとも、ある程度しか回復しなかったのである[
この答えを求め、二〇〇八年、李は東京在住の中年のビジネスマンの一団を森に連れていき、三日間、二~四時間ほど森のなかをハイキングしてもらった。三日後に血液検査を実施したところ、ビジネスマンたちのNK細胞が四〇%も増大していることがわかった。さらにその後も七日間、NK細胞が増えた状態は持続し
ヒノキの香りが漂う部屋で睡眠をとった被験者は、三日後にNK細胞が二〇%増大した。そうした被験者は疲労感が軽くなったと報告した。いっぽう、香りのない部屋ですごした被験者にはなんら変化は見られなかっ
ほんの数日間自然のなかですごしただけで、五〇%も創造性が向上したのである[
本書でも、夫妻の研究の成果を何度か紹介させていただいている。そんなレイチェルに、脳を休ませるにはどうすればいいのでしょうと尋ねると「うっとりとした穏やかな状態でいること」という返事が返ってき
とはいえ、この複合施設にはもっと複雑でもっと興味深い話が隠れている。自然のなにが人間の心と調和するのかという問題に関していえば、あまり注目されていない五感のひとつである嗅覚が強力な要素であることがわかっている。脚光を浴びているのはもっぱら視覚だが、マルセル・プルーストにはわかっていたように、脳内の情動をつかさどるニューロンにもっとも強い反応を起こすのは嗅覚
た。彼の話によれば、日の出の時刻から少なくとも一五分間、人間がつくりだす騒音がまったく聞こえない場所は、アメリカの大陸部では一〇か所程度しかないそうだ。つまり夜明けにたった一五分間でも静寂が続く場所はほとんどないというわけ
激しい痛みの発作に何度も襲われた。自宅での長期にわたる療養中、窓の外の一本の松の木を眺めていると、言葉にはできないほど大きな慰めを得られたと
なかですごしたあとの気分の変化とストレスの軽減について尋ねた。すると一か月に五時間、自然のなかですごすと、最大の効果を得られるという結果が出た。トゥルヴァイネンはその効果についてもっと深く分析するため、新たな実験を実施した。八二人のオフィスワーカー(大半が女性)に、三つの異なる場所 ── 都心、整備された公園、森林公園 ── ですごしてもらったのだ。どの場所の被験者にも、三〇分間のんびりと散歩をしてもらい、その前後に一五分間、じっと座ってもらった。そして質問紙に答えを記入してもらい、唾液を採取し、血圧と心拍数を測定した。被験者には、そのあいだお互いに会話をしないようにと指示した(人と交流すると心理的にいい影響が及ぶためだ)。つまり、実験後、被験者が幸福感を覚えたとしても、それは友人ができたからではないことになる。  すると、科学者なら「ビューティフル」と称賛するであろう結果が出た。有意な効果が見られ、予想どおり正比例の関係が見られた。ワゴン車のなかで座っているときと比較して、都心ではストレスから「回復」したという感覚はほとんど抱けず、いっぽう、整備された公園や森林公園のなかではそう感じた。変化は比較的早い段階、すなわち戸外で一五分間座っただけであらわれた。その後、短い距離を散歩すると、「回復」したという感覚がさらに強まり、その状態が持続した。緑がある場所ですごす時間が長くなるほど、気持ちが上向いたという報告が増え、その効果はより自然豊かな森ですごした人のほうが高かっ
 都会で暮らす人たちにとって、これは朗報だ。町中の公園で一五分から四五分間すごせば、気持ちが前向きになり、活力が湧いて、ストレスを軽減できる。公園の歩道が舗装されていようと、大勢の人がいようと、ときどき道路の騒音が
クレイマーはスタンフォード大学が最近発表した論文に大いに関心をもっている[ 12]。室内のウォーキングマシンで歩いても、戸外を実際に歩いても、拡散思考による創造性が高まるというの
ないと話した。「そういう体験によって、態度、気分、行動、さらには脳にも長いあいだ持続するポジティブな変化が生じるんだよ[ 5]」宇宙飛行士も宇宙から地球を眺めたときの「オーバービュー効果」〔神のような超越者の視点から、地球の全体を一望のもとにおさめることによる意識の変容〕 により、同様の感銘を抱く。また臨死体験をした人や、一般的な登山者、サーファー、日食や月食を見た人、イルカと一緒に泳いだ人なども、畏敬の念に打たれ、人生が一変するような衝撃を
 その後も何度か激流に遭遇した。わたしは興奮してやたらと明るくなったり、不安でぴりぴりしたり、身体が冷えて寒くなったり、負けてたまるかと意を決したりと、激しい気分の波にも翻弄された。激流に入ると視野が狭くなり、集中力が上がる。心拍数が増え、息が上がり、皮膚の温度も上昇する。胃が縮むのもわかる。このぐらいのちょっとした冒険でアドレナリンがほどよく放出されるのは、じつに楽しいものだ。いまこの瞬間を生きていると実感できる。些細なことなどどうでもよくなり、激流を無事に通り抜けてほっとすると、エンドルフィンが一気に放出される。カヤック愛好家のなかにはカヤックでの激流下りを「コンバット・ボーティング」(ボートの

シリコンバレー最重要思想家ナヴァル・ラヴィカント を読んだ

シリコンバレーのグル、ナヴァル先生の本。面白かった
だから、 事業を始めもしないうちから仕事の人脈づくりをするのは、まったくの時間の無駄 だ。私にはもっとしっくりくる信条がある。「人が欲しがるおもしろいものをつくれ。技を披露し、技を磨けば、しかるべき人が君を見つけてくれる」
簡単な経験則:難しい決定をめぐって意見が真っ二つに割れたら、短期的な苦痛が大きいほうの道を選べ。  選択肢が2つで、どちらも優劣つけがたいときは、 短期的な困難や苦痛が大きいほうの道を選ぼう。  つまり、一方の道を行くと短期的に苦しみ、もう一方の道はずっと先に苦しみがあるとしよう。すると脳は本能的に衝突を避けるために、短期的な苦しみを退けようとするんんだ
 実をいうと、私は人が思うほどには読書していない。せいぜい1日に1、2時間だね。 だがそれでも世界のトップ0・00001%には入る。  私が人生で何らかの物質的成功を収め、何らかの知性を得ているとしたら、それはひとえにこの読書量のおかげなんだ。現実の人間は1日1時間も読まない。たぶん、1日1分も読んでいないだろう。読書を本物の習慣にすることが、一番重要
私は自分の過去を何も信じない。一切信じない。過去の記憶も、後悔も、人々も、旅も、何一つ信じない。多くの不幸は、過去と現在を比べることから生まれるんだ[
 前に読んだブレーズ・パスカルの本に、こんな一文があった。「人間のあらゆる問題は、一人で部屋に静かに座っていられないことから生じる」  もし 30 分間満ち足りた気持ちで座っていられるなら、君は成功者だ。これはとても強力な境地だけれど、そこに達する人はとても少ないんだ[
私がここ5年間で一番驚いた発見は、心の平安や幸福が「スキル」だということだ。それは生まれつき備わった資質なんかじゃない。たしかに遺伝的なものもあるだろうし、環境による条件づけも大きいが、自分でその条件づけを解くことも、やり直すこともできるんだ。  幸福は徐々に増やしていける。そう「できる」と信じることが、出発点になる。  幸福はスキルだ。栄養管理やダイエット、ワークアウト、お金儲け、デート、人づきあい、恋愛などと同じ、スキルだ。  幸福は学べるスキルだと気づくことから、すべてが始まる。幸福になることに本気で集中して取り組めば、世界は生きやすく
もしベーザドに幸福の秘訣は何かと訊いたら、彼はきっと顔を上げて、「つべこべ言わずにワーオと言え」と答えるだろう。世界はそれほどすばらしい場所なん
・自分は幸福な人間だと、友人に宣言しよう。そうすると、その言葉に合わせて自然に幸福になれる。一貫性バイアスが働いて、自分の言動に一貫性を持たせようとするん
・例外は認めない──スマホなどの画面上で行うすべての活動が幸福を損ない、画面を使わないすべての活動が幸福を促す[
あなたにとって「受け入れる」とはどういう状態のことですか?  どんな結果が出ても気にしないこと。バランスと重心が取れていること。一歩下がって大局的に物事をとらえることだね。  私の求めるものが必ず手に入るとは限らないし、もしかすると今起こっていることが私にとって最善のことなのかもしれない。それを現実として早く受け入れれば受け入れるほど、早く適応
冷水シャワーの苦しみのほとんどは、おそるおそる入っていくときの苦しみだ。いったん入ってしまえばこっちのものだ。苦しくはなく、ただ冷たいだけだ。体が冷たいと感じるのと、頭で冷たいと思うのとは違う。ただ体が冷たいだけだということを認める、向き合う、対処する、受け入れる。頭で悩んでいてはダメだ。冷水シャワーを2分浴びたって死にはし
 

で、こう思った。「なぜ私は空想の中で未来を計画しているんだろう? なぜただここに立って歯を磨けないのか?」。

歯磨きしてる時は歯を磨けている幸せにフォーカスせよという話。たとえ、その日に取材などがあってもそのことは考えるな、とか。たとえが面白い